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蜂窩織炎(ほうかしきえん)にかかった

自分のはなし

休暇と東京本部への出勤のため、2月中旬から2週間ほど一時帰国した。

久しぶりの日本を楽しみにしていたにも関わらず、蜂窩織炎(ほうかしきえん)にかかり、結局ほとんど自宅で寝て終わってしまった。

蜂窩織炎とは虫刺されや傷口などから細菌が侵入し、真皮や皮下脂肪に到達して炎症・化膿を起こすもの。悪化すれば、意識消失や敗血症の可能性もあり、死亡率も30%ほどになるらしい。

僕の場合はミャンマーから帰国した5日後に38.5℃と急に発熱し、病院を受診し判明した。帰国後すぐということでマラリアの可能性も疑った。いつかの誰かの参考までに経過をまとめておく。

 

2月15日(木)頃

はっきりと覚えていないが、パアンやヤンゴンのホテルで左足を蚊に刺された。特に変わったものではなく、ふつうの虫刺され。

2月18日(土)

虫刺されを中心に赤く腫れが広がる。虫刺されはしこりができ、腫れは熱を帯びている。歩く際に痛みを感じるようになる。だが、以前も同じような腫れができたことがあり、あまり深刻には考えていなかった。

2月20日(月)

実家に帰省。18日から腫れと痛みが大きくなる。特にしばらく座ってから歩き出すときに激しい痛みがある。虫刺されを塞いでいたかさぶたが剥がれ、膿と思しきものと出血。少し痛みと腫れが引く。

2月21日(火)

足の付け根のリンパが腫れてきたため、地元の皮膚科を受診。が、医師にミャンマー帰りと伝えると、患部に触れもせず、抗生物質を飲んで治らなければミャンマーの病院を受診しろと伝えられる。医師の気持ちも理解しつつ抗生物質を服用開始。

夜、久しぶりに家族と温泉に行く。が、寒いのなんの。温まっても温まっても悪寒がする。帰宅後、37.9℃と発熱。後で思えば、この温泉が良くなかった。

2月22日(水)

翌朝は38.5℃まで熱が上がっていたため、マラリアの可能性を考えて、国立国際医療研究センター病院感染症内科を受診。マラリアの検査では陰性だったことから蜂窩織炎の診断。下痢はなく、頭痛と胃痛のみ。

とりあえず一安心。入院か自宅での治療か選択して良いと言われ帰宅。強めの抗生物質を服用し、月曜日に再診することになる。

2月23日(木)

熱帯性マラリアは1回目の検査では陰性になることがあると聞いていたため、熱の経過をしっかり観察。下痢などの熱帯性マラリアの症状がなく、徐々に熱も下がり、熱のぶり返しもなかったため、三日熱や四日熱マラリアの可能性もないと判断。入浴や運動は避け、とにかく寝て休養した。

2月27日(月)

ようやく平熱まで戻り、医師にも問題ないと診断される。ただ、発病から10日間は抗生物質を服用する必要があるとのこと。実際に3月2日(木)あたりまで熱っぽさがあり、頭がぼーっとしていた(決して休みボケではない)。

 

今回、①早い段階でマラリアの可能性を疑ったこと、②感染症の専門医に診てもらったことは良い判断であったと思う。急な発熱があり、さらにそれが虫に刺されてから1週間ほど経過していた時点であったため、マラリアの可能性を考えた。そして、実家がある山梨県にはマラリア診断ができる感染症内科がないことを知っていたため、東京まで行き信頼できる専門医を受診することができた。そうして、マラリアデング熱などの可能性を排除でき、適切な診療を受けられた。

日本で熱帯病が原因で亡くなる多くの人は、専門医ではない医師を受診し誤った治療を受けたことによると聞く。ついつい日本の医療は進んでいると思いがちだが、熱帯病の経験がない医師も多く、適切な医療機関にかかることが重要だ。

熱帯病の可能性がある国に行く人は、最低限の知識を身につけ、それらの可能性を疑えるようにしておくと良い。また、潜伏期間のある病気もあるので、日本や滞在先の病院情報を集めておく必要がある。そうすれば、何かあっても、少しは安心できる。

なお、日本の感染症内科はこちら。

今回僕が受診した国立国際医療研究センター病院の国際感染症センター トラベルクリニックは、帰国後の体調不良に関して24時間対応を行っている。正直なところ、医師やスタッフの患者対応はいまいち(やけに偉そう)だが、医師が2名体制で診断してくれたし、経験も豊富であろうしおすすめ。

今回は山梨から近い病院を選んだが、都立駒込病院も良いだろう。ワクチン外来しか受診したことがないが、感染症の専門医がいる。

 

しかし、何と言っても予防が一番大切だ。蚊にさされないこと、虫刺されや傷などの患部を清潔にしておくことなどで防げるものばかりだ。そして、虫刺されが腫れたときは温泉に入らない!ここ大事。

せっかくの休暇は布団の中で終わってしまったが、得られた教訓は大きい。

 

国立国際医療研究センター病院は立派な建物だった。なんと病院内にタリーズがあった!すごい。

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「僕と同じだね」

学びのはなし 仕事のはなし 自分のはなし

今週のお題「私のタラレバ」

もし人生に自分に対する選択と他人に対する選択があるならば、他人に対する選択で「もし、ああしていたら」「あのとき、あっちを選んでいれば」なんて毎日後悔しっぱなしだ。

 

「僕と同じだね」

先日、障がい者への聞き取り調査でフィールドへ出張した際のこと、村の学校で何人かの障がい児を紹介された。その中に眼鏡をかけた一人の少年がいた。

彼に話を聞くと、何年か前から急に近視が進み、黒板の文字が読めなくなってしまったらしい。夜は目が見えづらくなったようだが、いまは眼鏡をかけており、教室のどこからでも黒板は見えるようになった。

僕も小学3年生の頃から急に近視が進み、それらから20年弱、眼鏡が必須だ。目が良ければと思うことはあるけど、目が悪いことで困ることは多くなかったし、緊張しがちに話す彼にも近視なんて気にしなくて大丈夫だよと思った。

そんな彼に「僕と同じだね」と伝えた。

でも数秒後、ひどい言葉を投げかけてしまったとすぐ後悔した。たとえ同じく近視であろうとも、”障がい”の程度は少年と僕とは全然異なるかもしれないのに、少年の気持ちを考えずに言ってしまった。

 

障がいとは何か 

障がいとは何だろうか。その問いには長い歴史がある。その中でも「社会モデル」は様々な批判を受けながらも、現在の障がい理解の基礎となっている。

社会モデルの対比相手は医学モデル(個人モデル)だ。従来の障がい者に対するリハビリテーションは個人の生活機能を向上するために行われてきた。言い換えれば、障がいは個人の機能に起因するもので、それさえ改善されれば、障がいは改善されるという前提で行われていた。

 

一方で、社会モデルは、個人の機能不全をImpairment、社会にある障壁をDisabilityと定義し、人は社会によってDisabledにされると考える。例えば、車いすを利用している人がバスに乗れなかったとする。これは乗車に必要なスロープや、十分なスペースが社内にないからこそ起こるものであり、個人のImpairmentに原因あるのではなく、社会によって”できない状況”にさせられているということ。

さらに社会モデルは、Impairmentは社会のDisabilityに直面して、はじめて認識されると考える。歩けないことはそれ自体でImpairmentとなるわけではなく、日常生活を送る、外出する、学校に行くなどの社会参画を行うとき、Disabilityによって何かができない状況にさせられることで、個人のImpairmentにはじめて気づく。

僕のように近視だとしても、日本であれば眼鏡やコンタクトといった補助具が手に入るし、眼鏡が差別の対象になることもない。言わば、Disabilityはとても少なく、それが個人の機能不全だと認識することはほとんどない。

しかし、祖母の話を聞けば、何十年前、田舎では近視の女性は”お嫁に行けない”ことがあったらしい。そのため、家族は女性が近視であることを隠していたこともあったという。社会や時代が違えば、Disabilityも、それによって認識されるImpairmentも異なる。

 

この視点を持って考えれば、前述の少年と僕が直面するDisabilityは同じではなく、それによって認識されるImpairmentも違うだろう。彼は眼鏡をかけていることでいじめを受けているかもしれないし、眼鏡を購入することで家族の経済状況は大変かもしれない。正しい知識がないゆえに、先生からは”障がい者”として見られていることに、彼の自尊心が傷ついているかもしれない。

たかが数分の会話で僕は彼の状況を知った気になり、「僕と同じだね」という残酷な言葉を投げかけてしまった。

 

他人に対する選択

自分に対する選択に後悔しないのは、それによって影響を受ける相手が自分であり、どうとにも解釈し受け入れることができるからだろう。しかし、他人に対する選択で後悔するのは、それが容易に相手を傷つけたり、信頼を損ねたりしてしまうからだ。

相手に対する誠実な姿勢、深い理解、適切な背景知識。

ひとつ欠けていれば、すぐさま無配慮の言葉や態度に表れる。他人に対する選択はそれらがいかに自分に欠けているかを痛感させ、落ち込ませ、「なんでこうしてしまったのだろう」と後悔させる。

こうした後悔を少しでも変えるには、相手に対する誠実な姿勢、深い理解、適切な背景知識、それらを鍛えることでしか成せないのだろうと思う。

 

乾季のパアンの朝は美しい。濃霧がぼんやりと朝日に照らされる景色が好きだ。

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Community Based Rehabilitationの評価手法

仕事のはなし 学びのはなし

Community Based Rehabilitation(地域に根ざしたリハビリテーション)は、障がい者個人を対象とした専門的支援を提供するのではなく、限られた地域資源を活用しながら、障がいのあるなしに関わらず、均等な機会を得られる、障がい者を含めた社会的包摂を実現するアプローチである。

中西由起子さんの「根ざしたリハビリテーション(CBR)の現状と展望」という論文では、CBRの意義として、①障がい者の生活の質の向上、②適正技術の移転、③地域社会の意識の向上、④障がい者のエンパワーメントを挙げている。具体的には、5つのカテゴリー・25の活動分野を自在に組み合わせながら、複合的な活動を行っていく。

概念が提唱されてから40年以上が経ち、現在100カ国以上で実践されている。

CBRが抱える問題

CBRが障がい者を含むコミュニティ主体で行う大前提を持つにも関わらず、”支援者”が障がい者を一方的な”被支援者”と見ており、計画・実施に障がい者自身が参画していないという批判がある。

また、一般化された評価指標がないために、エビデンスにもとづく評価がなされたCBRの事例が積み重なっていないことも指摘されている。確かに多くのCBR事例では、25の活動分野のうち、どの活動をどのように行ったかという点までしか記載されていないことが多く、果たしてその手法が有用であったか、他事業へ展開可能であったかなど、十分な評価と分析がなされていない印象が強い。

評価があったとしても荒いビフォー・アフター評価で、信頼に値するものはとても少ない印象だ。これはCBR事業だけでなく、ほとんどすべてのNGOの事業で当てはまることだろう(そういえば、前職で受けた地方行政の仕事はまったくといってよいほど、セミナーを何回やって何人参加したといったアウトプット記載に終止していた)。

ディーン・カーランが「善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学」で述べているように、その程度の評価をするのであればいっそやらないほうがマシというのも頷ける。

CBRの評価手法

一方で、実務者の立場からすれば、限られた予算と時間の中で、どうにか自分たちの事業が本当に成果を生んだのか調べねばならないし、そこまでして初めて受益者と支援者に対して責任を取ることになると思う。

CBRで活用可能な評価手法はどんなものがあるだろうか。

ひとつにWHOが2015年に発行した”Community-based Rehabilitation Indicators Manual”がある。CBRガイドラインにもとづいた事業を評価しましょうというものである。

この評価ガイドラインは次のふたつを目的としている。

Capturing the situation of people with disability in the communities where CBR is implemented.

Capturing differences between adults, youth and children with disability, and those without disability in the areas of health, education, social life, livelihood and empowerment.

具体的には5つのCBRカテゴリーに対して、健康状態への満足度や意思決定の機会があるかなど基礎的な指標として13項目と、より具体的な指標の27項目から評価する。またその指標に必要な情報を得るために、8つの基礎的な質問と、30の具体的な質問が設定されている。各指標と質問は簡潔でとても使いやすい印象だ。

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WHO(2015)Community-based Rehabilitation Indicators Manual, p4

また、男性・女性・男子・女子のそれぞれの分類を設け、障がいを持っている人と、障がいを持っていない人を比較するところも特徴だろう。

例えば、日常生活において大きな選択を自分自身で行ったかという設問に対して、それぞれの回答を比較する(下図参照)。すると、最も否定的な回答は女子であったものの、障がいのあるなしで比較すると、女性で最も大きな差がある。

つまり障がいとは別の理由で女子が脆弱な状況にあるものの、障がいあるなしによって女性が最も自己選択の機会を阻まれている。CBRが平等な機会を目指すのであれば、後者の差こそ小さくすることが成果として言えるのであろう。ただ、CBRはコミュニティの社会的包摂を促していくもので、結果的に女子の選択機会の向上にもつながると思われる(あるいは、女子と男子の機会選択の差異を問題としてみることもできるだろう)

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WHO(2015)Community-based Rehabilitation Indicators Manual, p35

簡潔で扱いやすい印象のある指標だが、CBRの成果をすべて捕らえるのは難しいだろう。基本的な手法と基礎的な設問を参照しつつ、事業独自の指標を追加し、カスタマイズしながら使うのが良さそうだ。

この他にも評価方法は様々なものがあるだろう。いずれにせよ、評価なしでは自分たちの事業が果たして有効であったか知ることはできないし、いくら事業の良い点を挙げようともそれは主観的な解釈でしかない。評価→改善→評価・・・と繰り返していく上に、信頼にたる事業が生まれていくのだろう。

ヤンゴンの新しいバス路線YBSに乗ってみた

ミャンマーのはなし

2017年1月16日、ヤンゴンのバス路線が一新されて、Yangon Bus Service(YBS)という新しい仕組みに変更された。

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これまで運用されていた約300路線は61路線に縮小され、バスの台数は7,800台から3,700台へと削減。以前は郊外から市街地へ1本で行けたが、市街地の周回バスへ乗り換えなければならないことになった。

約1週間前に急遽、アナウンスされたYBSへの移行で、バス利用者は大混乱。朝と夕方のバス停は多くの人で混雑していた。

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さっそくYBSに乗ってみた

1月18日、ちょうどヤンゴンへ出張していたので、バスに乗ってみた。

YBS移行に合わせてか、YBSと書かれたキャップをかぶっているスタッフがおり、新しい路線図を配りながら、利用者の案内をしている。どのバス停にも5人ほどのスタッフがいて、どのバスを乗れば良いか教えてくれる。

もちろん路線図はビルマ語のみ。案内スタッフに目的地を伝えると、ちょうどバス停に入ってきたバスに乗れと教えられる。

乗ったバスは年季の入ったボロバス。渋滞のひどい道をのろのろ進むなか、エアコン付きのバスに乗れば良かったと少し後悔する。運賃は200チャットで一律。

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ミャンマー人の知り合いは、YBSの導入によりこれまで1路線で行けた場所が2路線に増えた、これまでよりも通勤時間や通勤費がかかると言う。決して十分満帆の船出とは言えないYBS。市民の不満に対して、ヤンゴン政府は改善を約束すると伝えている。

一方で、ボランティアにより無料のバスが運行!困ったときはお互いさまの精神なのか、特にバスが足りていない路線を補っている。さらにフェリーやタクシーまでもボランティアで。さすがミャンマー。今週いっぱいは遅刻してもOKの会社も多いとのこと。ミャンマーいちの大都市でさえ、この柔軟性と共助の文化、これこそがミャンマーに住んでいておもしろいところだ。

ヤンゴンの渋滞対策

ヤンゴンでは特に通勤・登校の朝、下校の昼、退勤の夕方から夜は渋滞がひどい。無数のバスとタクシー、通勤や通学に使われる個人の車。車の輸入が制限されていた軍事政権が終わり、マイカーを持つ人口が急激に増えた結果だ。自動車登録台数は、2015年には2011年の2倍に増加したとのこと。

ただでさえ交通マナーが悪く、路上駐車や二重駐車により、渋滞は悪化する様相だ。交通システムの未整備も大きな課題。

そういた状況に対して、今回のYBS導入は渋滞対策としては、とても大きな一歩であると思う。今後、タクシーやスクールバスのルールも変更されると聞く。ヤンゴンに来るたびに何かしら変化が見られるが、急激な開発のなかで、市民を悩ませる渋滞はどのように解消されていくだろうか。

おまけ:YBSの路線 

バス亭で配られている路線図。

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裏面は各路線がどのバス停に停まるか書かれている。

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バス停で配られている路線図はこんな感じ。YBSの公式サイトでも各路線がバス停に停まるか調べることができる。

路線図を読むちびっこ比丘尼さん。

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2017年にやりたいこと90個と予備10個

自分のはなし

今年やりたいことを100個考えてみた。3時間くらい悩んだけど、残念ながら90個しか思いつかなかった。残り10個は年末までに新しく思いついた予備にとっておこう。

さて、ここ最近、過敏性腸症候群のような状況に苦しんでる。飲食のたびに腹痛からのトイレ直行の繰り返し。食欲もあるし、日頃は特に腹痛も風邪の症状もないから、ものすごく辛いわけではないが、やっぱり心配で落ち着かない。

原因がたぶんストレスのせいだろうか。やりたいことを100個達成でなくても、健康的な身体で友人とともに日々楽しく過ごせたらそれで十分なような気がしてくる。

友人おすすめのしいたけ占いによると、2017年上半期は「自分が主役になって周りを動かす」らしい。今年はどんな1年になるだろう。

 

仕事のこと

01. CBRガイドラインを熟読する
02. CBR研修ガイドラインを読む
03. 障がいの種類を覚える
04. 基礎的な理学療法を学ぶ
05. MSCガイドラインを読む
06. RCTの基本を学ぶ
07. メタファシリテーションの研修をスタッフへする
08. 毎日3回はスタッフと仕事以外のことを話す
09. フィールドへ月2日は行く
10. 緊急支援要員の必須条件を満たす
11. 緊急支援要員に登録する
12. 毎週英字新聞を読む
13. 毎週カレンニュースをチェックする
14. Googleアラートを毎日読む
15. ワーキンググループで毎回1回発言する
16. 事務所の運営を毎月1つ改善する
17. 同期と経験共有の場を設ける
18. 現地スタッフと勉強会を開く
19. 他団体の人と月1回食事へ行く
20. CBR事業を体系化する

研究のこと

21. タイの難民キャンプへ行く
22. 難民キャンプ出身者10人にインタビューする
23. インタビューをレポートにまとめる
24. 研究のテーマ候補を3つ見つける
25. 関連する論文を10本読む
26. 大学院の候補を見つける
27. 防災・災害関連の書籍を5冊読む
28. アニミズム信仰の人に会う
29. アニミズム信仰の基礎をレポートにまとめる
30. カレン民族の行事に毎回参加する

勉強のこと

31. 英語を使った勉強を毎週10時間する
32. 週5日15分でも勉強をする
33. 英語のボキャブラリーを3,000語増やす
34. ビルマ語を100単語覚える
35. 文章の書き方を勉強する
36. BCCラジオを寝る前に毎日聞く
37. 洋書を5冊読む
38. 学習する組織を読む
39. IELTSかTOEFLで行くか決める
40. IELTSかTOEFLの参考書を1冊終える

自分のこと

41. 映画を100本観る
42. 観た全映画のレビューをfilmarksで書く
43. カラマーゾフの兄弟を読み切る
44. 本を100冊読む
45. 読んだ本のレビューをブクログで書く
46. カメラをいつも持ち歩く
47. お気に入りの写真を10枚撮る
48. 誰かのために写真を撮る
49. ALBUSで毎月写真を印刷する
50. 趣味を見つける

旅行のこと

51. インドへ旅行する
52. ゴールデンロックに行く
53. バガンに行く
54. 泰緬鉄道跡地に行く
55. メーソートからチェンマイへ行く
56. ミャンマーの最南端へ行く
57. ぶくぶく農園へ行く
58. 日本らしい場所へ行く
59. パアンの洞窟へ行く
60. ズウェガビン山に登る

生活のこと

60. 8キロ太る
61. 筋トレを週3で続ける
62. お腹くずすのを月1回に抑える
63. 週5回は自炊する
64. 週1回掃除をする
65. 目標金額を貯金する
66. 毎月200,000MMKで生活する
67. 毎日7時に起きれるようになる
68. 毎日24時には寝る
69. カーテンを作る
70. 蚊に刺されない
71. 野菜多めの食事を摂る
72. 猫背を直す
73. 飲酒は週1回まで
74. ブログを週1回書く
75. ブログ記事をすぐ公開せず1回校正する
76. 掃除機を購入する
77. 寝室灯を買う
78. スピーカーを買う
79. 失くしものをしない
80. 確定申告をする

家族・友人のこと

80. 家族を旅行に連れて行く
81. 家族を食事に連れて行く
82. 妹夫妻と食事に行く
83. 家族にはがきを送る
84. 友だちに誘われたら行く
85. 新しい友だちを3人つくる
86. 彼女をつくる
87. 大学の友人と1度は会う
88. 山梨の友人と1度は会う
89. 近所のおばちゃんちの娘さんに日本語を教える
90. 友人の結婚式に行く

その他

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99. 
100. 

モン州モーラミャインと魅力的な写真を撮る条件

ミャンマーのはなし 写真のはなし 旅のはなし

ミャンマーに赴任してからよく写真を撮るようになった。

この国には多くの魅力が溢れている。そう気付き、ここでの日常を撮影し始めたのがきっかけだった。

ただ、納得いく写真をなかなか撮れない。カメラの技術は素人だし、撮影者としても新米だ。どうすれば平凡な写真を越えて、魅力的なものが撮影できるのだろうか。

12月末、モン州のモーラミャインへ行ったとき、ふと気がついたことがあった。

モン州のモーラミャイン

モン州の州都であるモーラミャインは、カレン州のパアンから60km、車で1時間程度のところにある。パアンも通るタンリーアン川の河流域に栄える。

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つい最近までヤンゴンマンダレーに次いで、モーラミャインはミャンマーで3番目に大きい街だったらしい。ネピドーが3位に浮上したとのことだろうが、ゴーストタウンを彷彿させるネピドーがモーラミャインより栄えていることがあり得るのだろうか。

パアンからはタクシーを貸し切って行った。同僚の買い物に付き合い日帰り。価格はなんと45,000チャット。かなり高い。

市場を歩く

Zeigyi(ゼイジー)でCentral Marketという意味だ。市場へ行って初めて気がついたのだが、モーラミャインにはZeigyiがふたつある。タンリーアン川に面した旧市場と、内陸に入った新市場。ともに歩ける距離にあり、その通りにも多くのお店が出ているので、時間があれば、散策してみるのもおもしろい。

パアンの市場と比べるとずいぶん栄えており、モン民族やビルマ民族、インド系の人など多様な人が混ざる。雑多な雰囲気は市場好きにはたまらない。

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惹かれる写真を撮る条件

市場を散策していると、奥まったところで鶏の屠殺を行っている人たちに出会った。日本も然り、屠殺の仕事は”社会的地位が低い”人たちの仕事であることが多い。果たして彼らはどうなのだろうか。

そんな僕の想いを抱きながら作業を眺めている僕に対して、彼らは和気あいあいと作業を進める。鶏を温め、毛をむしり、解体。そして、腸など使える部位を整理していく。その手際の良さに気持ちよささえ覚える。

そうして何枚かの写真を撮影した。その一枚が僕にとって納得できるものになった。

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彼らの表情は満ちていた。それ以上に表現できる言葉を持たないが、僕は素直に彼らの仕事への誇りを撮りたいと思った。そうして撮った。彼の鍛えられた身体と、仕事風景、誇らしげな笑顔がそれを表現できたと感じた。

何かを表現するとき、技術以前に、表現者の想いや目的が不可欠だ。僕が好きな写真家たちの作品は何か強いものを訴えかけてくる。受け手によってその解釈が異なったとしても、それが写真の深みを増すには違いなく、綺麗な写真と惹きつける写真の大きな違いであると思う。

自分自身が心揺さぶられるものを撮ること、それが魅力的な写真を撮る条件だ。

一方で、被写体の素直な表情を引き出せるのだろうか。それはひとことのコミュニケーションだ。カメラを向ける前にひとことを言葉を交わす。これが被写体の表情をずいぶん変えることに気がついた。

ひとことは決して言葉でなくても良い。アイコンタクトでも言葉以上に伝えられることがある。たった5秒のコミュニケーションで表情は驚くほど変わる。

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たまたま出会った市場の片隅にある屠殺場。偶然、僕は「自分自身が心揺さぶられるものを撮ること」「ひとことのコミュニケーションを交わすこと」という、魅力的な写真を撮るためのふたつのシンプルな条件を学んだ。

そして、それが写真をまったく変えることを身体で感じた。

民族と宗教と文化の豊かさ

モーラミャインを巡っていると、教会、仏教施設、モスクが混在していることがよく分かる。タイのメーソートでも感じた民族と宗教と文化の豊かさだ。

人々で賑やう市場から少し脇道へ入っていくと、まったく異なる風景がある。

チャパティをつくるおじさん。ベンガル人か彫りの深い顔をしている。

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いまにも崩れそうな民家が密集する路地で遊ぶ子どもたち。

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パアンとは異なる空気感。何がこれを生み出しているのだろうと疑問に思う。トルコでも内陸ほど人々はコンサバだったが、モーラミャインが海にも近く交易が盛んな街だからなのだろうか。それとも街の大きさは包摂できる豊かさと比例するのだろうか。

街のお店

たつの市場を結ぶ通りにはたくさんの小さなお店が並ぶ。ひとつひとつ表情が異なるので、いくら見ていて飽きない。

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日帰りで行ったモーラミャイン。思いがけず大きな収穫を得た街だった。

ふたつの大きな市場も”市場好き”にはたまらない。またゆっくりと来たい、そう思わせられる。

次回はパアンからモーラミャインの途中に位置する、イーレーパゴダや泰緬鉄道跡にも寄りながら行ってみよう。

カレン新年のお祭りに行ってきた

ミャンマーのはなし

ミャンマーでは4月が正月で、12月31日も1月1日も平日だが、12月29日はカレン民族の新年で祝日だった。カレン州の州都パアンでも人々がカレンの旗を軒先にかかげ、新年をお祝いをする。

新年当日、まだ外が真っ暗な5時半に家を出て、Karen Student Centerでのお祭りに参加してきた。会場に到着するとすぐカレンの旗を少年たちが掲げ始めた。参加者はみな起立して迎える。

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カレン民族の暦では、今年は2756年だ。紀元前7世紀にスゴーカレンとポーカレンが生まれたとされている。ミャンマーの地に初めて下り立ったのはカレン民族という説もあるが、果たして事実はどうなのだろうか。

招待客を迎えるカレン民族の伝統衣装に身を包んだ少女少年たち。鮮やかな色でかわいらしい。

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旗を上げたあとは軽食が振る舞われた。紅白ならぬ、白黒のもち米である。黒いもち米は初めて食べたが、柔らかく香も良い。赤飯のようにごま塩が振られている。聞けば、黒い方が高く、招待客にしか振る舞っていないそうだ。しかし、赤飯が縁起直しとして食べられる一方で、白黒のもち米には特に意味はないらしい。

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そして、日の出を迎える7時から再び式典が始まった。舞台中央に年配の男性が座り、少年たちがスピーチを行う。1人10分近いものが何人も続くので疲れてしまう。

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式典前にもらった"The Karen New Year Day"を読む。

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これによると、カレン新年のお祝いが始まったのは79年前の1936年である。イギリス植民地時代、現在のKNU(Karen National Union=カレン民族同盟)の前身となるKNA(Karen National Association)が生まれる。KNAはカレンの民族文化を広めるべく、政府へ"Karen National Day"の設置を請う。

しかし、カレンナショナリズムの台頭を危惧した政府は"Karen New Year Day"として承認した。KNAは宗教や国籍に関わらず受け入れられるだろう、カレン歴の1日目をその日として選んだ。加えて、農産物の収穫や家の新築に適した時期であることも、この日に選ばれた要因のひとつであった。

現在、カレン新年の行事としていくつか共通することがある。収穫したばかりの農作物に感謝をし食すこと、村人がみな集まりお年寄りへ感謝をすることなどである。

Karen Student Centerでも、式典の後に、豊作を感謝する儀式が行われた。お米や里芋が積み上げられた山に、お祈りをしながら、お米でできたお酒をかけていく。なぜか一番偉いであろう人がサングラスをかけている。こういうところがミャンマーっぽい。

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しっかり練習したのかなと思ってしまうほど、ぐだぐだな進行。日本人だから急に名前を呼ばれ、途中から参加させられる。

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これらの儀式はいつから行われているものなのだろうか。

どのようにカレン新年が生まれたかを考えると、これらの儀式は伝統的なものというよりも意図して作られたもののように感じてしまう。犠牲祭の要素と、上座仏教の要素(目上の人への敬意を払う)などが入り混ぜて、何かしら意味を持たせようとしたのではないか。

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儀式後、ちょっと怪しい緑色のお酒を飲む。何かくだものの葉(忘れてしまった)をストローに。もち米から作られているらしく、少し独特な香がある。

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儀式が終われば、今度は朝食だ。里芋のクリームシチューのようなものと、エビとタニシのスープのようなもの。どれも初めて食べたが、カレンの食べものらしい。

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食事後、お米で作られた甘いものが振る舞われた。甘酒のように少しアルコールを含むが、甘酒ほど滑らかでもない。

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しかし、食べるものも飲むものもみなお米からできている。ミャンマーは米消費量が世界一らしいが、彼らの生活をお米なしでは語れない。

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Karen Student Centerでのお祭りを終え、巨大なカレン族の人形があると噂の場所へ向かう。到着するなり、遠くに異様な存在感を醸し出す男の姿が見えてくる。

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近くで見るとなかなかの迫力だ。夜に再度見に行ったらキセルがピカピカ光っていた。なかなかにくい演出だ。ちなみに中はハリボテ。

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今年のカレン新年はいろんな米の形を堪能した日だった。

西暦とは異なり、日本の旧暦のように太陰太陽暦で日にちが決まるため、特定の日ではないようだ。来年はどんな像が見られるのだろうか。少し楽しみである。

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