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ミャンマー・カレン民族のドンダンスを観に行った

11月7日は第61回目のKayin State Dayだった。この日に合わせて、州都のパアンでは、カレン州祭りが開催。数え切れないほどの露天が並び、ミャンマーボクシングや花火などが5日間にわたって行われる。老若男女、驚くほど多くの人が集まり、騒ぐ。

期間中、カレン民族の伝統な踊り、ドンダンスのコンテストを観に行った。

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1チームは男女16名ずつの踊り子と、演奏と歌い手の50名以上で構成される。冒頭はチームで一番、歌と踊りが上手な女性が独唱する。

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その後、30分近い長い時間、休みなく、踊り子は歌いながら激しいダンスを繰り広げていく。

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シェー。

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次々と変わるフォーメーション。f:id:taaku3:20161113200900j:plain

パアンだけでなく、別の町のチームもコンテストに出場する。会場には出場者の家族や友人も会場へ駆けつける。

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あまりの激しい踊りに、舞台の裏では踊りを終えた女性が何人も倒れていた。まるで戦場のような戦いの場だった。

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今年の優勝チームはパアンにある大学生チーム。普段の素朴なカレンの人たちも素敵だけど、伝統衣装に身を包んだ踊り子も美しい。

ちなみに優勝チームが決まったダンスは夜中の2時。会場にはまだ多くの観客。彼らの体力に驚いてしまう(こちらは酔っ払い)

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カレン州の設立

カレン州設立記念が第61回目ということは、1955年にカレン州が設置され、カレン州祭りも同時に始まったと考えられる。しかし実際のところ、1951年の憲法改正により、非常に限られた地域でカレン州は設置され、翌年に6つのタウンシップ、1960年に1つのタウンシップが組み込まれ、現在のカレン州が誕生した。カレン州設立のお祝いは1955年から始まる。*1

一方で、1947年にミャンマーは独立したものの、その際、カレンは州として含まれなかった。その結果、カレン族は独立をもとめ、Karen National Union(KNU)を立ち上げ、それから2012年までの約60年間、政府対少数民族の戦いを繰り広げていく。*2

いまだに治安が安定しないカレン州であるが、パアンから離れた村々からも、このお祭りに参加するために多くの人が集まる。

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ドンダンスのリハーサル

カレン州祭りは5日間であるが、開催前に5日間の準備期間がある。この期間からすでに露天は出ているので、さながらもうひとつのカレン州祭りである。

本番前にドンダンスチームはお祈りを捧げる。

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会場ではリハーサルが始まる。リハーサルでは、化粧はせず、おそろいのロンジーとTシャツで踊る。

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ドンダンスは激しくも、カレン民族の多彩な伝統が残る美しい踊りだった。そして、子どもたちの世代に引き継がれ、多くの人たちを魅了する文化だった。

開発ラッシュに湧くミャンマー。これまで守られてきた伝統文化はどうなっていくだろうか。いかなる形にせよ、この豊かな文化が人々のなかに残り続けることを願ってやまない。

こっち側の世界

小野美由紀さんの文章が好きで、時々思い出してはブログを読んでいる。

2012年頃に「写真家と神」という記事に出会って、なんだか不思議な文章を書く人だなという思ったのがはじめだった。4年経っても彼女の文に惹かれるのは、たぶん自分が感じていることを気持ち良いくらいに言葉にしてくれるからだろう。

 

当時、大学4年生だった僕は、申し込んでいた大学院入試に行かず、インターン先のNPOで働こうと決めた。リクルートスーツを着たこともなければ、求人サイトや合同説明会に参加したこともない。一方で、まわりが明確な進路を決めていくなかで、妙な焦りと孤独感がないわけではなかった。

それは明らかに”多くの人が通る道”(と思っていた)から外れていくことを認識しながら、一歩先さえ靄がかかる深い森のなかにひとりで迷い込んで行く気がしていたからだ。小野さんの言葉を借りれば、「こっち側の世界」に踏み込んでしまったからだ。

 

そういう道を行くと決めたのはその2年前、大学2年生の時だった。インターンシップ協議会を通し、とあるNPOインターンに応募し、開始前のマナー研修なるものに参加した。内容は挨拶の仕方や電話の取り方など、当たり障りのないものだった。ただ、そこで出会った光景を今でも忘れられない。

同じ色のスーツを着た、100名以上の学生が敷き詰める広い講堂。みな同じ方向を見、同じ角度でお辞儀をする。絶賛中二病だった僕は、講師の指示に従いなくなくて、ひとりだけ後ろを振り返ってみた。そこで目に写った光景に妙な既視感を抱いた後、僕の頭にはくっきりとストームトルーパーの軍隊が現れた。

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ずいぶん前に話題になったマイナビ2013の広告を見たときも同じように思った。

「“何をするべきか”は分からないけれど、“何をするべきか分からない時に何をするべきか”は分かっている」という言葉は言い当て妙だ。「正解のない世界」で進むべき先が見えないと、みな不安になる。答えを求める。

 

僕もそうだ。新しい物事や分からない物事にぶつかったとき、どこかに答えを求める。その先が宗教であったり、友人であったり、啓発本であったり。ときに不安は良い商売のネタにもなる。どこか外に答えがあると考えてしまうのだ。

 

しかし、そういうときこそ、見るべきものは実態のある”目の前”や”内側”にあるものだ。国際協力の仕事をしていても、出会うのは前例がないこと、答えがないことばかり。ときに論文や書籍、スタンダードやフレームワークに答えを求めてしまう。でも、たいてい目の前にいる裨益者と向き合えば、自ずとすべきことは見えてくる。

自分の人生だって、啓発本やネットワークイベントに答えなんかない。誰かが自分の”幸せな人生”なんて与えてくれるわけがない。自分の幸せは、自分自身の内側や、目の前にいる家族や友人の間にしか見つからない。


 

「正解のない世界」は確かに残酷だ。不安にもなる。

そのかわりとっても自由だ。信じられないほど、選択肢は広がっていく。「こちら側の世界の様相は毎時毎分毎秒変わり、人生の「答え」も朝起きるたびに毎回変わっている。とってもチャーミングでキュートな世界だ」。だからこそ、僕は「こっち側の世界」に来れて良かったと思うし、この世界で生きていきたいと思う。

アイス売りのおじさんと誇り

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なぜ自分自身に誇りを持つ人はかっこいいのだろう。

ある日、アイス売りのおじさんに出会った。なんだかおもしろい帽子をかぶっていて、たくさんの子どもたちに囲まれていた。無性におじさんを撮りたくなった。

写真を撮らせてと言うと、おじさんは自転車のスタンドを立て、商売道具を整理し始めてしまった。フラれてしまったかなと思っていると、キュッと帽子をかぶり直し、キリッとポーズを決めて、真剣な眼差しを向けてくる。

かっこいい。自分の仕事や人生への誇りが溢れ出ていた。もっとおじさんを撮りたい、知りたいと思った。

 

しかし、呪うべきは、自分の準備不足である。カメラを向けた瞬間、画面に表示される”充電してください”の文字・・。これだから、カメラ素人なのだ。ダディンジュー祭のときもそうだった。見かけた可愛らしい女の子にモデルをお願いしておきながら、残ったのはブレブレの写真だけだ。悔しくて仕方がない。

撮りたいと思う風景や想いを表現する力以前に、カメラを充電しておかなければならないのだ。カメラが充電できていたって、人とのコミュニケーションがスムーズでなければ、相手の表情はかたいし、僕自身もリラックスしてシャッターを押せないのだ。

 

いつかおじさんの誇りが伝わるような写真を撮りたい。

梅佳代さんのうめめや竹沢うるまさんのlandが好きだ。相手への愛情と尊敬の念が伝わってくる。

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梅佳代 (うめかよ) ありのままの日本を写すカメラマンらしくない若手カメラマン | BIRD YARD

f:id:taaku3:20161026230845j:plainURUMA TAKEZAWA | 写真家 竹沢うるま オフィシャルサイト

 

そして、いつかこんな写真を撮れたらと思う。

f:id:taaku3:20161026231350j:plainKolkata's age old tradition of 'bhar' clay cups of tea - Al Jazeera English

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India: Street kids publish newspaper to raise awareness - Al Jazeera English

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On the road with Afghan refugees: From Kabul to Lesbos - Al Jazeera English

これらの写真の根底にあるのは、人々の暮らしであり、誇りであり、喜びや悲しみである。そういた一瞬を切り取り、誰からに伝えられるなら、それほど幸せなことはないと思う。

 

アイス売りのおじさんをどうにかスマホで撮影したのが冒頭の一枚。どうしてもおじさんの魅力を撮れなかったことに悔いていると、おじさんがアイスをくれた。眩しい日差しのなかで食べるアイスはとても美味しかった。

満月とパゴダとダディンジュー祭

ミャンマーでは満月の日は特別だ。

先週、日曜日はダディンジュー祭(Thadingyut)だった。光の祭とも呼ばれるこの満月の日に、仏教徒はみな、パゴタへお祈りに行き、ろうそくや灯籠を灯す。たくさんの灯りに照らされる風景はとても幻想的だ。

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田舎街のパアンでも、町で一番大きいシュエインミャウパゴタ(Shwe Yin Myaw Pagoda)にもたくさんの仏教徒が集まる。

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屋台も並び、厳かなパゴタも賑やかな雰囲気になる。ミャンマー上座部仏教なのに、肉や魚のつくねが売られているのはちょっと不思議。

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たくさんの灯りに照らされる神木も、熱心にお祈りを捧げる人々もとても美しい。

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みな神木のまわりで何本かのろうそくに火を灯し、強い香りのする線香を立てる。そして、両手を頭にあて、ひれ伏し額を地面につける動作を3回繰り返す。

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パゴタ内の広場ではろうそくでパゴタが描かれていた。ろうが至るところに流れており、床は怖いくらいにつるつる。危うくスルッと転びそうになった。

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路上では灯籠が上がっていた。バランスが悪く、ふらふら上がりながら、燃え尽きて自宅の方に落ちたときには焦った。どこかで火事にならないのだろうか。

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ダディンジュッ祭は、仏教仏陀が天界から地上に戻ってくる日でもあり、乾期の境目の日でもあるようだ。ここ最近、雨の頻度が減ってきて、少し涼しくなってきた。ミャンマーの"冬"がやってくるのも、もうすぐだ。

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モヒンガーと民主化

モヒンガー。初めて名前を聞いたときはどんな料理が出てくるのか、まったく想像もできなかった。でも一口食べたら、意外と美味しい。魚の出汁がしっかり出ていて、カレー風味の味も日本人に馴染みやすい。そうめんに似た米麺ももちっとしていて美味しい。

すっかり気に入って、先日、事務所のスタッフに作り方を教えてもらった。

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日本で言うとラーメンだろうか。ただ、州ごとに作り方が異なり、家庭の味を母親に習うという点では、味噌汁やお雑煮のような家庭の味かもしれない。

 

もともとはナマズを使ってスープを作る。日本でナマズなんて食べたこともない。どのように調理するかと思って楽しみにしていたら、スタッフが持ってきてくれたのは見たことのない川魚だった。どんな魚でも良いらしい。

ナンプラーターメリックレモングラスなどと煮て出汁を取り、さらに魚の身はほぐして、玉ねぎやにんにくと炒める。

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ミャンマーの玉ねぎはやけに小さくて、たくさん剥かないといけない。

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先ほど取った出汁に炒めた魚の身を加えて煮込む。ぐつぐつとろみが出るまで煮込む。ヤンゴンでは豆の粉をさらに加えたり、他の州ではたくさんの唐辛子を入れたり、州ごとに地元の味がある。

ヤンゴン出身者がカレン州でヤンゴン風のモヒンガーを出したら、まったく売れずに辞めてしまったとか。

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麺は茹ですぎたそうめんに似た米麺。朝市で買えるようだが、くっついちゃって大変。油を使いながら解いていく。

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だいたい1時間くらいで完成!自分でつくる(ほとんど何もしていないけど・・)モヒンガーは格別に美味しい。自分の好みでコリアンダーやゆで卵、生もやし、生いんげんなどをトッピングして食べる。日本ではもやしといんげんを生で食べることは珍しいけど、青臭いながら、独特な食感と風味がたまらない。

モヒンガーはさっくと軽く食べられるので朝ごはんや小腹が空いたときにぴったり。事務所の近くにモヒンガー屋さんがないのが残念。

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このモヒンガーを初めて食べたのは高田馬場にあるミャンマー料理店ルビーだった。ここで食べたモヒンガーはヤンゴン風だったと思う。

このルビーは土井敏邦さんが監督を務められた「異国に生きる」に登場する。店主のチョウチョウソーはミャンマー民主化運動に関わったことで、軍事政権の圧政に追われ、難民として日本に来た。この映画では彼が家族と再会し、日本で生きていく姿が描かれている。

チョウチョウソーさんの妻・ヌエヌエチョウさんが出してくれたモヒンガーもまた格別に美味しかった。

『異国に生きる』日本の中のビルマ人:ドキュメンタリー映画:土井敏邦