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ヤンゴンの新しいバス路線YBSに乗ってみた

2017年1月16日、ヤンゴンのバス路線が一新されて、Yangon Bus Service(YBS)という新しい仕組みに変更された。

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これまで運用されていた約300路線は61路線に縮小され、バスの台数は7,800台から3,700台へと削減。以前は郊外から市街地へ1本で行けたが、市街地の周回バスへ乗り換えなければならないことになった。

約1週間前に急遽、アナウンスされたYBSへの移行で、バス利用者は大混乱。朝と夕方のバス停は多くの人で混雑していた。

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さっそくYBSに乗ってみた

1月18日、ちょうどヤンゴンへ出張していたので、バスに乗ってみた。

YBS移行に合わせてか、YBSと書かれたキャップをかぶっているスタッフがおり、新しい路線図を配りながら、利用者の案内をしている。どのバス停にも5人ほどのスタッフがいて、どのバスを乗れば良いか教えてくれる。

もちろん路線図はビルマ語のみ。案内スタッフに目的地を伝えると、ちょうどバス停に入ってきたバスに乗れと教えられる。

乗ったバスは年季の入ったボロバス。渋滞のひどい道をのろのろ進むなか、エアコン付きのバスに乗れば良かったと少し後悔する。運賃は200チャットで一律。

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ミャンマー人の知り合いは、YBSの導入によりこれまで1路線で行けた場所が2路線に増えた、これまでよりも通勤時間や通勤費がかかると言う。決して十分満帆の船出とは言えないYBS。市民の不満に対して、ヤンゴン政府は改善を約束すると伝えている。

一方で、ボランティアにより無料のバスが運行!困ったときはお互いさまの精神なのか、特にバスが足りていない路線を補っている。さらにフェリーやタクシーまでもボランティアで。さすがミャンマー。今週いっぱいは遅刻してもOKの会社も多いとのこと。ミャンマーいちの大都市でさえ、この柔軟性と共助の文化、これこそがミャンマーに住んでいておもしろいところだ。

ヤンゴンの渋滞対策

ヤンゴンでは特に通勤・登校の朝、下校の昼、退勤の夕方から夜は渋滞がひどい。無数のバスとタクシー、通勤や通学に使われる個人の車。車の輸入が制限されていた軍事政権が終わり、マイカーを持つ人口が急激に増えた結果だ。自動車登録台数は、2015年には2011年の2倍に増加したとのこと。

ただでさえ交通マナーが悪く、路上駐車や二重駐車により、渋滞は悪化する様相だ。交通システムの未整備も大きな課題。

そういた状況に対して、今回のYBS導入は渋滞対策としては、とても大きな一歩であると思う。今後、タクシーやスクールバスのルールも変更されると聞く。ヤンゴンに来るたびに何かしら変化が見られるが、急激な開発のなかで、市民を悩ませる渋滞はどのように解消されていくだろうか。

おまけ:YBSの路線 

バス亭で配られている路線図。

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裏面は各路線がどのバス停に停まるか書かれている。

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バス停で配られている路線図はこんな感じ。YBSの公式サイトでも各路線がバス停に停まるか調べることができる。

路線図を読むちびっこ比丘尼さん。

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2017年にやりたいこと90個と予備10個

今年やりたいことを100個考えてみた。3時間くらい悩んだけど、残念ながら90個しか思いつかなかった。残り10個は年末までに新しく思いついた予備にとっておこう。

さて、ここ最近、過敏性腸症候群のような状況に苦しんでる。飲食のたびに腹痛からのトイレ直行の繰り返し。食欲もあるし、日頃は特に腹痛も風邪の症状もないから、ものすごく辛いわけではないが、やっぱり心配で落ち着かない。

原因がたぶんストレスのせいだろうか。やりたいことを100個達成でなくても、健康的な身体で友人とともに日々楽しく過ごせたらそれで十分なような気がしてくる。

友人おすすめのしいたけ占いによると、2017年上半期は「自分が主役になって周りを動かす」らしい。今年はどんな1年になるだろう。

 

仕事のこと

01. CBRガイドラインを熟読する
02. CBR研修ガイドラインを読む
03. 障がいの種類を覚える
04. 基礎的な理学療法を学ぶ
05. MSCガイドラインを読む
06. RCTの基本を学ぶ
07. メタファシリテーションの研修をスタッフへする
08. 毎日3回はスタッフと仕事以外のことを話す
09. フィールドへ月2日は行く
10. 緊急支援要員の必須条件を満たす
11. 緊急支援要員に登録する
12. 毎週英字新聞を読む
13. 毎週カレンニュースをチェックする
14. Googleアラートを毎日読む
15. ワーキンググループで毎回1回発言する
16. 事務所の運営を毎月1つ改善する
17. 同期と経験共有の場を設ける
18. 現地スタッフと勉強会を開く
19. 他団体の人と月1回食事へ行く
20. CBR事業を体系化する

研究のこと

21. タイの難民キャンプへ行く
22. 難民キャンプ出身者10人にインタビューする
23. インタビューをレポートにまとめる
24. 研究のテーマ候補を3つ見つける
25. 関連する論文を10本読む
26. 大学院の候補を見つける
27. 防災・災害関連の書籍を5冊読む
28. アニミズム信仰の人に会う
29. アニミズム信仰の基礎をレポートにまとめる
30. カレン民族の行事に毎回参加する

勉強のこと

31. 英語を使った勉強を毎週10時間する
32. 週5日15分でも勉強をする
33. 英語のボキャブラリーを3,000語増やす
34. ビルマ語を100単語覚える
35. 文章の書き方を勉強する
36. BCCラジオを寝る前に毎日聞く
37. 洋書を5冊読む
38. 学習する組織を読む
39. IELTSかTOEFLで行くか決める
40. IELTSかTOEFLの参考書を1冊終える

自分のこと

41. 映画を100本観る
42. 観た全映画のレビューをfilmarksで書く
43. カラマーゾフの兄弟を読み切る
44. 本を100冊読む
45. 読んだ本のレビューをブクログで書く
46. カメラをいつも持ち歩く
47. お気に入りの写真を10枚撮る
48. 誰かのために写真を撮る
49. ALBUSで毎月写真を印刷する
50. 趣味を見つける

旅行のこと

51. インドへ旅行する
52. ゴールデンロックに行く
53. バガンに行く
54. 泰緬鉄道跡地に行く
55. メーソートからチェンマイへ行く
56. ミャンマーの最南端へ行く
57. ぶくぶく農園へ行く
58. 日本らしい場所へ行く
59. パアンの洞窟へ行く
60. ズウェガビン山に登る

生活のこと

60. 8キロ太る
61. 筋トレを週3で続ける
62. お腹くずすのを月1回に抑える
63. 週5回は自炊する
64. 週1回掃除をする
65. 目標金額を貯金する
66. 毎月200,000MMKで生活する
67. 毎日7時に起きれるようになる
68. 毎日24時には寝る
69. カーテンを作る
70. 蚊に刺されない
71. 野菜多めの食事を摂る
72. 猫背を直す
73. 飲酒は週1回まで
74. ブログを週1回書く
75. ブログ記事をすぐ公開せず1回校正する
76. 掃除機を購入する
77. 寝室灯を買う
78. スピーカーを買う
79. 失くしものをしない
80. 確定申告をする

家族・友人のこと

80. 家族を旅行に連れて行く
81. 家族を食事に連れて行く
82. 妹夫妻と食事に行く
83. 家族にはがきを送る
84. 友だちに誘われたら行く
85. 新しい友だちを3人つくる
86. 彼女をつくる
87. 大学の友人と1度は会う
88. 山梨の友人と1度は会う
89. 近所のおばちゃんちの娘さんに日本語を教える
90. 友人の結婚式に行く

その他

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モン州モーラミャインと魅力的な写真を撮る条件

ミャンマーに赴任してからよく写真を撮るようになった。

この国には多くの魅力が溢れている。そう気付き、ここでの日常を撮影し始めたのがきっかけだった。

ただ、納得いく写真をなかなか撮れない。カメラの技術は素人だし、撮影者としても新米だ。どうすれば平凡な写真を越えて、魅力的なものが撮影できるのだろうか。

12月末、モン州のモーラミャインへ行ったとき、ふと気がついたことがあった。

モン州のモーラミャイン

モン州の州都であるモーラミャインは、カレン州のパアンから60km、車で1時間程度のところにある。パアンも通るタンリーアン川の河流域に栄える。

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つい最近までヤンゴンマンダレーに次いで、モーラミャインはミャンマーで3番目に大きい街だったらしい。ネピドーが3位に浮上したとのことだろうが、ゴーストタウンを彷彿させるネピドーがモーラミャインより栄えていることがあり得るのだろうか。

パアンからはタクシーを貸し切って行った。同僚の買い物に付き合い日帰り。価格はなんと45,000チャット。かなり高い。

市場を歩く

Zeigyi(ゼイジー)でCentral Marketという意味だ。市場へ行って初めて気がついたのだが、モーラミャインにはZeigyiがふたつある。タンリーアン川に面した旧市場と、内陸に入った新市場。ともに歩ける距離にあり、その通りにも多くのお店が出ているので、時間があれば、散策してみるのもおもしろい。

パアンの市場と比べるとずいぶん栄えており、モン民族やビルマ民族、インド系の人など多様な人が混ざる。雑多な雰囲気は市場好きにはたまらない。

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惹かれる写真を撮る条件

市場を散策していると、奥まったところで鶏の屠殺を行っている人たちに出会った。日本も然り、屠殺の仕事は”社会的地位が低い”人たちの仕事であることが多い。果たして彼らはどうなのだろうか。

そんな僕の想いを抱きながら作業を眺めている僕に対して、彼らは和気あいあいと作業を進める。鶏を温め、毛をむしり、解体。そして、腸など使える部位を整理していく。その手際の良さに気持ちよささえ覚える。

そうして何枚かの写真を撮影した。その一枚が僕にとって納得できるものになった。

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彼らの表情は満ちていた。それ以上に表現できる言葉を持たないが、僕は素直に彼らの仕事への誇りを撮りたいと思った。そうして撮った。彼の鍛えられた身体と、仕事風景、誇らしげな笑顔がそれを表現できたと感じた。

何かを表現するとき、技術以前に、表現者の想いや目的が不可欠だ。僕が好きな写真家たちの作品は何か強いものを訴えかけてくる。受け手によってその解釈が異なったとしても、それが写真の深みを増すには違いなく、綺麗な写真と惹きつける写真の大きな違いであると思う。

自分自身が心揺さぶられるものを撮ること、それが魅力的な写真を撮る条件だ。

一方で、被写体の素直な表情を引き出せるのだろうか。それはひとことのコミュニケーションだ。カメラを向ける前にひとことを言葉を交わす。これが被写体の表情をずいぶん変えることに気がついた。

ひとことは決して言葉でなくても良い。アイコンタクトでも言葉以上に伝えられることがある。たった5秒のコミュニケーションで表情は驚くほど変わる。

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たまたま出会った市場の片隅にある屠殺場。偶然、僕は「自分自身が心揺さぶられるものを撮ること」「ひとことのコミュニケーションを交わすこと」という、魅力的な写真を撮るためのふたつのシンプルな条件を学んだ。

そして、それが写真をまったく変えることを身体で感じた。

民族と宗教と文化の豊かさ

モーラミャインを巡っていると、教会、仏教施設、モスクが混在していることがよく分かる。タイのメーソートでも感じた民族と宗教と文化の豊かさだ。

人々で賑やう市場から少し脇道へ入っていくと、まったく異なる風景がある。

チャパティをつくるおじさん。ベンガル人か彫りの深い顔をしている。

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いまにも崩れそうな民家が密集する路地で遊ぶ子どもたち。

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パアンとは異なる空気感。何がこれを生み出しているのだろうと疑問に思う。トルコでも内陸ほど人々はコンサバだったが、モーラミャインが海にも近く交易が盛んな街だからなのだろうか。それとも街の大きさは包摂できる豊かさと比例するのだろうか。

街のお店

たつの市場を結ぶ通りにはたくさんの小さなお店が並ぶ。ひとつひとつ表情が異なるので、いくら見ていて飽きない。

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日帰りで行ったモーラミャイン。思いがけず大きな収穫を得た街だった。

ふたつの大きな市場も”市場好き”にはたまらない。またゆっくりと来たい、そう思わせられる。

次回はパアンからモーラミャインの途中に位置する、イーレーパゴダや泰緬鉄道跡にも寄りながら行ってみよう。

カレン新年のお祭りに行ってきた

ミャンマーでは4月が正月で、12月31日も1月1日も平日だが、12月29日はカレン民族の新年で祝日だった。カレン州の州都パアンでも人々がカレンの旗を軒先にかかげ、新年をお祝いをする。

新年当日、まだ外が真っ暗な5時半に家を出て、Karen Student Centerでのお祭りに参加してきた。会場に到着するとすぐカレンの旗を少年たちが掲げ始めた。参加者はみな起立して迎える。

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カレン民族の暦では、今年は2756年だ。紀元前7世紀にスゴーカレンとポーカレンが生まれたとされている。ミャンマーの地に初めて下り立ったのはカレン民族という説もあるが、果たして事実はどうなのだろうか。

招待客を迎えるカレン民族の伝統衣装に身を包んだ少女少年たち。鮮やかな色でかわいらしい。

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旗を上げたあとは軽食が振る舞われた。紅白ならぬ、白黒のもち米である。黒いもち米は初めて食べたが、柔らかく香も良い。赤飯のようにごま塩が振られている。聞けば、黒い方が高く、招待客にしか振る舞っていないそうだ。しかし、赤飯が縁起直しとして食べられる一方で、白黒のもち米には特に意味はないらしい。

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そして、日の出を迎える7時から再び式典が始まった。舞台中央に年配の男性が座り、少年たちがスピーチを行う。1人10分近いものが何人も続くので疲れてしまう。

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式典前にもらった"The Karen New Year Day"を読む。

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これによると、カレン新年のお祝いが始まったのは79年前の1936年である。イギリス植民地時代、現在のKNU(Karen National Union=カレン民族同盟)の前身となるKNA(Karen National Association)が生まれる。KNAはカレンの民族文化を広めるべく、政府へ"Karen National Day"の設置を請う。

しかし、カレンナショナリズムの台頭を危惧した政府は"Karen New Year Day"として承認した。KNAは宗教や国籍に関わらず受け入れられるだろう、カレン歴の1日目をその日として選んだ。加えて、農産物の収穫や家の新築に適した時期であることも、この日に選ばれた要因のひとつであった。

現在、カレン新年の行事としていくつか共通することがある。収穫したばかりの農作物に感謝をし食すこと、村人がみな集まりお年寄りへ感謝をすることなどである。

Karen Student Centerでも、式典の後に、豊作を感謝する儀式が行われた。お米や里芋が積み上げられた山に、お祈りをしながら、お米でできたお酒をかけていく。なぜか一番偉いであろう人がサングラスをかけている。こういうところがミャンマーっぽい。

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しっかり練習したのかなと思ってしまうほど、ぐだぐだな進行。日本人だから急に名前を呼ばれ、途中から参加させられる。

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これらの儀式はいつから行われているものなのだろうか。

どのようにカレン新年が生まれたかを考えると、これらの儀式は伝統的なものというよりも意図して作られたもののように感じてしまう。犠牲祭の要素と、上座仏教の要素(目上の人への敬意を払う)などが入り混ぜて、何かしら意味を持たせようとしたのではないか。

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儀式後、ちょっと怪しい緑色のお酒を飲む。何かくだものの葉(忘れてしまった)をストローに。もち米から作られているらしく、少し独特な香がある。

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儀式が終われば、今度は朝食だ。里芋のクリームシチューのようなものと、エビとタニシのスープのようなもの。どれも初めて食べたが、カレンの食べものらしい。

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食事後、お米で作られた甘いものが振る舞われた。甘酒のように少しアルコールを含むが、甘酒ほど滑らかでもない。

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しかし、食べるものも飲むものもみなお米からできている。ミャンマーは米消費量が世界一らしいが、彼らの生活をお米なしでは語れない。

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Karen Student Centerでのお祭りを終え、巨大なカレン族の人形があると噂の場所へ向かう。到着するなり、遠くに異様な存在感を醸し出す男の姿が見えてくる。

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近くで見るとなかなかの迫力だ。夜に再度見に行ったらキセルがピカピカ光っていた。なかなかにくい演出だ。ちなみに中はハリボテ。

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今年のカレン新年はいろんな米の形を堪能した日だった。

西暦とは異なり、日本の旧暦のように太陰太陽暦で日にちが決まるため、特定の日ではないようだ。来年はどんな像が見られるのだろうか。少し楽しみである。

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言葉は物事を現実にする

日本は大晦日というのに、30度を超える日中の暑さがそう感じさせない。しかもミャンマーの新年は4月であるから、年末年始休みもなく、余計に毎月と変わらない感覚になる。

しかし、2016年を振り返ってみれば、本当に多くの変化を越えた年だった。大学卒業後、3年間勤めてきたNPOを今年4月に退職し、国際協力NGOへ転職した。そもそも昨年の12月31日には退職後の仕事さえ決まってなかったことを考えると、2016年はずいぶん冒険的な始まりで迎えた。

転職後すぐトルコへ

福岡から東京で働き始め、ようやく1ヶ月の研修期間を終えたころ、急遽トルコへ出張に行くことになった。シリア難民問題の主要な登場国のひとつでもあり、転職の際に希望地のひとつとしていたとしても、クルド人問題を抱え、テロが頻発する地域へ行くのは少なからず勇気が必要だった。

実際に行ってみれば、そこには平和な日常があった。毎日5回、モスクからアザーンが流れ、人々はお祈りに行く。世界三大料理とも言われる豊かな食文化があり、美しい歴史的建造物が残る。同時にシリア難民を包摂しようとする姿が見られた。

一方で、3ヶ月という短い期間ででさえ、クルド人や反政府政治犯への弾圧、エルドアンの強権政治、シリア難民との文化的摩擦が見えてきた。帰国前にクーデター未遂が発生したことにはずいぶん驚いた。

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ミャンマーへ赴任

今年、5回も引っ越しをした。現在も1ヶ月の1週間はホテル滞在。そんな生活をしていると、自分の家がどこか分からなくなってしまう。

3ヶ月の出張を終え、日本に1ヶ月滞在したのち、9月ミャンマーへ赴任した。ミャンマーもまた、2012年に軍事政権が終わったものの、いまだに軍部が強い力を持ち、長年の内戦で制度も法律もすべてぐちゃぐちゃの状態だ。

義務教育がなく、政府、民族組織、寺院などがさまざまな形態の学校を運営する。高校卒業者はわずか30%、児童労働は当たり前に行われている。ロヒンギャへの弾圧も激しく、ビルマ政府と少数民族との和解は一進一退の状態だ。ヤンゴンでは乱開発が進み、環境汚染は深刻である。

一方で、トルコ同様、ここにも平和で豊かな日常がある。

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2016年で学んだこと

こうして、転々とした生活を送るなかで学んだことがいくつかある。

ひとつは、現在を知るには過去を知らなければならないこと。例えば、カレン州の地域はホワイトエリア、ブラウンエリア、ブラックエリアの3つに、ビルマ政府とカレン民族組織がそれぞれ支配する地域が分かれている。ブラウンエリアは二重政府状態だ。なぜこのような状態になっているか、ビルマ政府とカレン民族との戦いの歴史を知らねば理解は難しい。

もうひとつは、国や文化を知る近道はローカルの人と仲良くなること。言わずもがな、生きた文化や歴史は生活のなかにある。

そして、人が生きるために必要なものは案外少ない。引っ越しを繰り返すなかで、毎回不用品を処分していった結果、必需品はわずかスーツケース2つに収まった。所持品が少ないと身軽になれる。身軽になると移動が楽になる。移動が楽になると特定の場所にしばられることなく、自由になれる。

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言葉にすること

アジアで国際協力の仕事をしたいと初めて思ったのは2009年のことだ。それから7年、紆余曲折ありながらも、ようやく辿り着くことができた。

そして思うのは「言葉は物事を現実にする」ということだ。

関心のあることを職にする。決して簡単でないことかもしれない。ただ、こんな仕事をしたい、こんなことに関心があるということを言葉にすることは、きっとその実現を助けてくれる。

いまの職に就くまでもいくつか大きな選択をしてきた。いや、選択といいつつ、そのときの流れに任せていた。その流れこそ、言葉が生み出したものだ。このような機会もあるのではないかと転職を勧めてくれる、魅力的な転職先を紹介してくれる。大きな選択こそ、自分だけで選ぶことは難しい。

言葉にしてこそ、選択はより目指すところに近づき、物事は現実になる。叶うかどうか前に、自信があるかどうかに関わらず、言葉にすることできっと未来は目指すところに近づくはずだ。そう改めて感じる2016年だった。

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大晦日の今日も日常が流れる。いつもと同じ賑やかな市場がミャンマーで一番好きな景色だ。