7days

貸したTシャツ

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月曜日は気持の良い晴天だった。

この日、僕はヤンゴン先週の金曜日に亡くなったスタッフのお葬式に参列した。キリスト教徒だった彼の葬儀は、ヤンゴンの町はずれにある教会で行われた。

すぐ隣には仏教徒の火葬場、中国人の墓、ヒンドゥー教徒の寺院が並ぶ。公営葬儀場兼墓地だ。ヤンゴンではしばらく前からご遺体を家に置くことは許されず、こうした場所で葬儀まで保管する。

キリスト教徒のお墓が所狭しと並ぶものの、いくつも壊されたお墓がある。キリスト教徒であっても、死後10年経つと、お墓を壊し、骨をだけを集め、別の場所に移動するという。ヤンゴンの土地不足はこんなところにも影響している。

 

その前日、僕らはご遺族のもとへ訪問した。それまで何となく実感のなかった現実が、彼の家族と会ったとき、それが本当であったことを痛感した。その重苦しい雰囲気に、団体の代表しての立場もあるにも関わらず、僕はほとんど言葉を言えず、寄り添いたくともちょうどいい距離感が見つからず、何とも虫の居所が悪い感覚を覚えた。

今日から2週間前の今ごろ、彼は元気だった。67歳という年齢を感じさせず、言葉通りピンピンしていた。だからこそ、その喪失は家族にとって計り知れないものに違いない。

そうした思いを真正面から感じた僕は余計に言葉が言えなくなってしまった。

 

しかし、不思議な事である。そういう事実を認めたとしても、お腹が減るし、笑うこともできる。人は上手く気持ちを受け止め、咀嚼し、緩やかに忘れていくのだろう。だからこそ、僕たち人間はたくさんの感情とぶつかりながら、それでも生きていけるのだろう。

お葬式で無事に彼を送り出せたとき、そんなふうに思った。

激しい感情を上手く付き合うため、人はいろんな方法を編み出してきた。お葬式もそのひとつなんだろう。

 

今日は事務所へ家族がやってきた。

彼の残した荷物を渡し、改めてお礼を伝え、お悔やみの言葉を送った。僕らができることは少ないのだけど、彼の仕事を責任持ってやりとげようと、いまは少しだけ彼の死を前向きに捉えられている。

 

彼の奥さんから黒い袋を受け取った。彼が最後の勤務日に事務所で体調を崩した際に、貸したロンジーが、綺麗にアイロンがなされて、その中に入っていた。

どこまで律儀な人だったんだと、改めて彼を思い浮かべた。

あのとき、一緒に貸したTシャツは返ってこなかったけど、きっと天国で着てくれていると思っておこう。

とらえどころのない感情

今朝、事務所のスタッフが亡くなった。享年67歳だった。

彼は僕らのお父さんみたいな存在で、いつもスタッフには平等に接し、時には厳しく、でも辛抱強い正確で事務所や事業を支えてくれていた。

先々週から体調を崩し入院していたが、水祭りが明ければ無事に復帰できそうだと話していた。なのに急な訃報が届いたときはあまりのショックに言葉が出なかった。

いまも彼や彼の家族のことを考えると、この気持ちをどう受け取ったら良いか分からない。いまだに戻ってくるんじゃないかという感覚もあるし、亡くなったことが信じることができない。

人はなぜこんなにもすぐ逝ってしまうのだろう。

 

大学時代からこの仕事に関わりはじめて、これまで3人の方を亡くした。

ひとりはインターン時代に一番お世話になった先輩でいつか一緒に働きたいと思っていた人だ。インターン後、久しぶりに事務所に遊びに行こうとした前日、急に亡くなってしまった。もうひとりは学生時代にお世話になった人で、トルコの地震緊急支援中に余震で被災し亡くなった。そして、前職時代に親身に厳しく接してくれた大先輩である。

ひとりひとりを思い出すと、何ともとらえどころのない感情が湧いてくる。

悲しみだけではない。彼らに対する尊敬の念、感謝、申し訳なさ、後悔。そうしたものがまぜこぜになって一気に溢れ出てくる。

もう一度会いたい、感謝の念を伝えたい、ごめんなさいと謝りたい、あの時にもっとこうしておけばよかった。

こうした感情と生きていくことが人生なのだろうか。

 

明後日、彼のお葬式に参列する。

彼の家族に何と言えば良いだろう、このとらえどころのないの気持ちをどう受けいればいいだろう。

こんなことはブログで書くべきではないのかもしれないけれど、いまの気持ちを残したくて書いている。

ミャンマー語検定M1に合格した!

ミャンマーに赴任してもう1年半経つのだけど、現地に住んでいようとも、業務は英語が主で、一向にミャンマー語が話せるようにならない。買い物やタクシーの交渉は何とかなっても、ミャンマーにいてミャンマー語を話せないというのはコミュニケーションの壁になってしまうし、せっかく住んでいるのにという思いもある。

何かを勉強し続けるためにはやっぱり明確な目標が必要だ。そこでミャンマー語検定(MLT)受験を目指して、11月頃から独学で勉強を始めた。

2018年2月、M1に一発で無事合格することができた!とっても嬉しい。

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ミャンマー語検定とは

ミャンマー語検定はミャンマー語検定協会(MLT Association)主催で今回で8回目。母体はよく分からないのだけど、事務局の方は株式会社ココライズ・ジャパン所属のよう。テストのレベルは以下のとおり。

MB:日常生活で初めて出会う基礎単語、文法、会話を理解できるレベル【すべて口語・単語数:200~300語・学習歴目安:約72時間(3ヶ月)】


M1:意思表示をするために最低限必要な単語や文法を理解できるレベル【すべて口語・単語数:500~700語・学習歴目安:約144時間(6ヶ月)】


M2:スムーズに日常会話ができ、簡単な文章を読んで理解することができるレベル【すべて口語・単語数:1200~1400語・学習歴目安:約288時間(1年)】


M3:ネイティブと不自由なく会話でき、少し長めの文章が理解できるレベル【口語70%, 文語30%・単語数:2500~2700語・学習歴目安:約432時間(1年半)】


M4:ビジネスの場でネイティブとやり取りでき、長文(小説、新聞など)が読めるレベル【口語50%, 文語50%・単語数:4000~5000語・学習歴目安:約567時間(2年以上)】

ミャンマー語検定のWebサイトからサンプル問題を見たところ、MBは簡単そうだったので、思い切ってM1を受験することにした。単語数は500〜700語でBeginnerレベル 。真面目に勉強せねば難しい印象。

合格点

M1はListening(40分)とReading(60分)の2つのパートからなり、どちらも合格基準点を超えなければならず、Listeningだけできても不合格となってしまう。試験結果は正答率に応じたA~Eのグレードで出され、C以上(60〜79%)のグレードで合格である。

正答率の計算方法は分からないのだが、Listeningは43問、Readingは46問からなり、60%の正答率で良いとするならば、Listeningは26問、Readingは28問に正解できれば合格できるので、比較的優しい基準ではないかと思う。

Listening

Listeningは次の5つのパートに分かれる。音声は二度繰り返される。

  1. 単語あるいはフレーズが読み上げられ、該当するイラストを選ぶ問題(15問)
  2. 4つの選択肢が読み上げられ、イラストに該当する選択肢を選ぶ問題(15問)
  3. 文章と4つの選択肢が読み上げられ、会話が続くよう適した選択肢を選ぶ問題(8問)
  4. イラストに関する4つの説明文選択肢が読み上げられ、適した説明文を選ぶ問題(2問✕4題)
  5. 長めの会話文が読み上げられた後、問題文と選択肢が読み上げられ、適した回答を選ぶ問題(3問✕2題)

難易度はパート5が断トツ難しく、続いてパート3。パート1・2・4はイラストがあるぶん、難易度は低めである。そのため、パート1・2・4を確実に回答できれば合格に近づくことができる。

Reading

Readingは次の4つのパートに分かれる。

  1. 1つの単語を選択し、文章を完成させる問題(20問)
  2. 4つの単語を並び替え、文章を完成させる問題(10問)
  3. 2〜4文程度の短い文章を読み、問題文に回答する問題(6問)
  4. 長い文章を読み、問題文に回答する問題(2題)

難易度は後半に連れて難しくなる。合格のためにはパート1とパート2は確実に回答し、パート3とパート4をできるだけ回答する必要がある。

勉強方法

僕は①テキストで文法を勉強する、②MLTの単語リストを暗記する、③過去問を問いて対策を練るの3つの方法で準備をした。少なくとも①と②さえしっかり行っていれば、合格点には届くと思う。

 

①テキストで文法を勉強する

ミャンマー語のテキストで評判の高い「ニューエクスプレス ビルマ語」 。解説がとっても分かりやすし、この本だけでM1レベルの文法を全部カバーできる。他のテキストに手を付ける必要は一切なし!

20のスキットや練習問題を暗記するまで繰り返し書いて勉強する。同時にCDの音声を聞きながら、ミャンマー語の発音やリズムに慣れていく。

ニューエクスプレス ビルマ語《CD付》

ニューエクスプレス ビルマ語《CD付》

 

 

②MLTの単語リストを暗記する

Webサイトに公開されているMBとM1レベルの単語リストをひたすら暗記する。また、単語の発音も繰り返し練習する。ニューエクスプレスをしっかり勉強していれば、半分以上の単語はすでに知っているはず。

 

③過去問を問いて対策を練る

M1レベルで合格点を取るには上記の基礎さえできていれば問題ない。時間とお金に余裕があれば、過去問をいくつか問いておくと時間配分やコツが掴めると思う。もちろん過去問は一度解くだけではなく、スムーズに回答できるよう繰り返し見直すと良い。

次回のミャンマー語検定

ミャンマー語を勉強するモチベーションにはぴったしなミャンマー語検定。

次回は2018年9月30日(日)にヤンゴンと東京で、2019年2月24日(日)にヤンゴンで開催予定とのこと!僕もM2を受験する予定。

合格目指してコツコツ勉強しよう!

27歳ってもっと大人だと思っていた

ふと気がつけば、27歳、四捨五入すれば30歳だ。

高校生の頃に想像していた27歳は、自信が持てる何か専門性と仕事を持ち、将来に対して明確な目標があり、子どもはまだにせよ、彼女はいると思っていた。

だが、実際に27歳になって気が付いたことは、自分が想像していた自分にまったく近づけていないということだ。

孔子曰く、「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る。六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩 のり を踰えず」。

ところがどっこい、僕はやっと27歳にして学問の重要さを気がつき、一方で明確な専門性をなく、将来に対しても定まらないことこの上ない。はて、自分はあと3年後には而立し、40歳には不惑となっているのだろうか。

 

改めて思う、人の人生は地続きだ。

10年後の自分を考えたとき、なぜか今の自分からずいぶん飛躍し、まったく新しい自分を想像してしまう。だが、実際は”いまの自分”が連続し、”明日の自分”につながる。いまと10年後は10年の間があるが、そこには堺はなく、その10年は連続的なのだ。

いまの自分の思考や振る舞い、行動が10年後の自分を規定し、10年後の今ごろは出来上がった自分と対面するのみである。そのときに自分自身に満足できなくとも、そこで変化を起こすことはできないのだ。

高校時代に想像した27歳の自分と、いま現実の自分にギャップを感じるならば、この10年間が想像した自分につながる時間の積み重ねではなかったのだろう。

 

一方で、それで良いのだとも思う。

時間は使うものではない。時間を使うものにしてしまった途端、僕らの人生はただ何かを成し遂げるだけに翻弄され、時間が過ぎてゆくことに焦り、自分自身が消費されていく。

人生は人が生まれると書く。生きること自体が人を生みだす過程なのだと思う。時間は積み重ねるものだ。毎日毎日、その日に考えたこと、思ったこと、行動したことが薄く薄く積み重なって、人生が生まれていく。

いま、高校時代に想像した27歳そのものになれたとして、それは幸せなのだろうか。高校時代の自分にはいまミャンマーで働いていることなんて想像もできなかった。それでいいんじゃないかって思う。

 

こう前向きに考えたとしても、時に無性に不安に襲われることがある。

いろんな社会やコミュニティの保障が崩壊していく中で、自分は行きていかねばならないのだ。だからこそ、高校時代に想像した自分とのギャップが、これまでの10年間どうだったんだと不安にさせる。不安でたまらない、それが正直なところだ。

だが、その不安も受け入れよう。

究極的にはどんな金持ちだって、どんなに彷徨った人間だって、遅かれ少なかれ(後者の方が早いかもしれない)どうせみんな最後は墓場に入るのだし、不安になる必要などないのだ。

 

いまできることは、次の10年後の自分を想像しながら、地に足を着けて、目の前とちょっとその先にやってくるものに対して向き合い、諦めずに考え続けていくことだ。

10年後の自分は、いまの自分には想像できないところにいるかもしれない。相変わらず悩んで迷っているかもしれない。そうしてまた次の10年後を考え始めるのだ。

ミャンマー南部・イェへの旅 ②豪雨のカビャーワービーチ

イェではカビャーワービーチ(Ka Byar Wa)に行こうと決めていた。

もともと山梨県出身の僕は、海に馴染みがない。美しいビーチよりも、青々とした豊かな森の方に惹かれる。しかし、この写真を見たとき、不思議なグラデーションの海と、漁船の群れに妙に好奇心を寄せられたのだ。ここに行ってみたい。

f:id:taaku3:20170818002610j:plainSawor Mon's Pics: Ka Byar Wa Beach (Eco Tourism Zone, Mon State)

だが、翌日は朝から雨だった。

3つの季節を持つミャンマーで、雨季は最も旅に適さない時期だろう。すっきりと晴れる日はほとんどなく、時に外出さえままならない。昨日雨に降られなかったことは幸運だったのだ。

やむなくイェの町を散歩する。田舎町特有ののんびりした空気。しとしとと降りしきる雨がなおさら心を落ち着かせる。山羊も雨宿り。

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念願のカビャーワービーチ

ふと雨が止み、晴れ間が覗いてきた。これはきっと神様の思し召しに違いない。ポンチョを買って、カメラが濡れないようにタオルでくるむ。

今日のドライバーはホテルのシェフが買って出てくれた。雨季だからお客さんが少なくて暇なんだろうか。フロントのスタッフに道を確認するシェフ。何だか既視感を覚える。後々思えば、このときに感じた不安は的中したのだ。

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カビャーワービーチまでは1時間ほどと聞いていた。両脇に果てしないゴムの木を抱えた田舎道をひたすら進む。そして、ぐんぐん山道を登っていく。

ふたたび雨が降り始め、徐々に雨脚が早くなる。標高が上がるにつれ低くなる気温と雨。寒さを覚える。だが、雨が降る森は静かできれいだ。霧もかかった姿も特別な感情を抱かせる。

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ふと海抜ゼロメートルのビーチに行くのになぜこんなに山道を登るのだろうという疑問が湧く。そんな疑問をよそにひたすら進むシェフ。そうして、峠の上まで来ると大きな看板が見えてくる。タニンダーリ管区にようこそ。あれ・・?

そう、なんと僕らはモン州からタニンダーリ管区に続く8号線を来たのだ。カビャーワービーチにはずっと手前で左折しなければならない。って、フロントのスタッフが言っていたことを思い出した。

なんとシェフもカビャーワービーチに行くことが初めてだったのだ。イェに来たのは2ヶ月前。大して僕と変わらないじゃないか(2回目)。カッパも傘も持たないワイルド・シェフ。

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結局、1時間かけて登ってきた道を30分で駆け下りる。シェフも懲りたらしく、曲がっては人に道を訪ね、曲がって人に道を尋ねる。そうして、2時間半もかけて、カビャイワーに到着したのだ。

だが、到着したころには晴れ間も消え、豪雨。どこが道なのかよく分からくなった水浸しの村の中を進み、例の景色が見られるパゴダまで登る。

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だが、もはや豪雨でなんにも見えないのだ。時折見せる青い海から想像するに、乾季はずいぶんきれいなんだろうなと思う。

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ちょうど引き潮のようだった。のんびりした漁村の風景が残っている。

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帰り道、最も雨が強かった。激しい雨のなかでバイクを乗ると、雨粒が弾丸のように顔や腕にあたり、ものすごく痛いのだ。カッパも傘も持たない、ワイルド・シェフも遂に弱音を吐いた。すっげえ寒い。雨の中、往復4時間ちょっと行程を運転してくれたのだ。こういう真面目さがミャンマー人らしいのだが、何だか雨の日に行きたいとわがままを言ったことに申し訳なくなってしまう。

ホテルに戻ったことには身体がすっかり冷え切ってしまった。案の定、風邪を引いてしまったのは後日談。

イェからパアンへ

翌朝、行きと反対の道を辿り、モーラミャイン経由でパアンへ戻る。

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地球の歩き方にも乗っていない小さな田舎町。だが、期待していた以上におもしろい町だった。ふたつのビーチ、人々が住む漁村、夜出店で賑やうパゴダ。近くにはBanana Mountainと呼ばれる大きな僧院もあり、イェ側をボートで巡るツアーもあるようだ。

これから南部の開発が進むにつれ、ダウェイやベイへの観光客も増えていくだろう。モーラミャインからダウェイの中継点であるイェ。こののんびりした田舎町で1日過ごすのも悪くない。