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評価のおしり[第13話]

フミコフミオさんが評価し終えることの重要性を書かれていた。仕事での評価の必要性と、自己評価の難しさの話。
「評価し終えること」の重要性について。 - Everything you've ever Dreamed

まったく話は異なるかもしれないが、NPOで分野でも評価はここ最近のトレンドだ。様々な手法が開発され、社会的投資や経済状況の変化に伴い、大きく発展してきた分野でもある。

社会的な事業に対する評価は、収益・売上点で利益といったお金という視点だけでなく、果たしてその事業が受益者にとって、本当に有用だったのかという視点がある。評価の難しさは何と言っても後者なのだ。

それを理由にこれまで多くのNPOが、私たちの事業は数字では測れない、評価できない成果を生んでいるなどと言ってきた。しかし、そうであるならば、その事業が果たして受益者のためになっているのかという問いにどう答えるのだらう。誰かに何かに干渉することは必ず良い影響と悪い影響が生まれる。いくらポジティブな成果が上がる事業であっても、同時にネガティヴな影響も生まれる(言い換えれば、改善の余地も止める余地も常にあるというとだ)。だからこそ、その変化を適切に捉えるための評価は重要だ。

だが、一方で常に評価されるということは息苦しいものだ。それが当たり前の環境だとしても、評価も同様にネガティヴな影響を生むだろう。息苦しさはまったく異なるアイデアの実現や、組織改革への機運を損なうかもしれない。評価の大前提には目的と成果の定義があって、それさえが間違っている可能性もある(だからこそ、評価基準の設定は重要だ)

そのようにごにょごにょと考えていると、評価し終えるという言葉は新鮮だ。評価することにもおしまいがあるのだから。そこには評価をどこまでやれば良いのかという問いが包含されている。果たして評価の終わりとはどこなのだろうか?

期間で言えば、プロジェクトや団体の事業が終わるまでだろうか。職場での人に対する評価は働き続ける限りあるのだろうか。精度で言えば、収益だけを見れば良いのか。定性評価も定量評価も深く行うべきなのか。

ではそれらの評価の終わりをどう決めれば良いのか。

僕は評価を誰か何かとのコミュニケーションと考える。対象との共通言語でもあり、対象からのフィードバックでもある。評価を通して、フィードバックループを結ぶことで、評価の終わりは決めやすくなる。例えば、ドナーとのコミュニケーションならば、相手の属性に合わせて、いくつかの数値とストーリーが見せられれば良いだろう。受益者とのコミュニケーションならば、より綿密な洞察のもと、数値によらない変化や受益者のこえそのものが評価になるだろう。

とても当たり前のことだと思うが、評価し終えるということは、目的と成果の定義、そして対象とのコミュニケーション方法を定めることを求める。しかし、多くのセミナーや書籍で描かれることは、どう評価を行うべきなのかに終始していて、そこには評価の終わり方は書かれていない。同時に評価をコミュニケーションと考えるならば、相手にも評価をなされ、相互に干渉し合うのだ。つまり、誰かの評価の受けることも評価を通じてコミュニケーションを行うことも必要だ。だが、自分がどう評価を行うかに終始している。

NPO事業は本当に多くの人との関係性にもとつぎ行わられる。換言すれば、何かしらの行動を行えば、誰かや誰かに常に干渉し、様々な影響を相互に与え合う。その変化を捉えることが評価であり、私たちだけで完結するものでもない。様々なフィードバックループのなかで、見るべき変化を定め、変化をどのように捉えるか、そしてそれをどのような形で伝えていくかを相手とともに設定する必要がある。そこで、まず評価のおしりを決めることが重要なのだ。

・・とここまで書いてきたが、評価し終えるという言葉に感じた新鮮さがなかなか言語化できない…。