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何もしない時間が怖い

高校や大学の友人を見ると、本当によく働いている。それは必ずしも労働時間が長いという意味ではないが、彼らは”本気で”働いている。

前職ではそんな友人たちに対して、なんとなく引け目を感じていた。なぜだろう。朝から晩まで働いていたし、何もない状態からひとつずつ整えてきたつもりだ。それでも同期や上司はもちろん、メンターとなる人もおらず、自己評価をどこに置くべきか判断しきれなかった。だから、もっと追い込んで働かなければと思っていた。

いま、ほぼ定時で帰っている。研修中ゆえではあるが、それでも転職先はホワイトな職場環境だった。

そして思う。これまでの4年間、そこそこ頑張ってきたんじゃないかなって。同時にプライベートもなく、働いてきたために、仕事以外の時間の使い方が分からなくなってしまった。19時に帰宅したら、5時間近くも空き時間がある。これまでであれば、パソコンを開き、仕事を再開したが、転職先では基本的に事務所でしか仕事ができない。仕事をしたい。あー仕事をしたい。

そこで気づく。ワーカホリックだったのだと。

いつの間にか何もしない時間が怖くなった。その時間は誰かが頑張っている時間で、もがいている時間で、有意義に暮らしている時間であると。自分にとって、何か価値を生み出せる時間は映画を見ることでもなく、飲みに行くことでもなく、仕事をすることであると。だからこそ、仕事を選んできた(もちろん、自分が信じるビジョンや、取り組むプロジェクトを実現させたかった、そこに価値ややりがいを見出していたということが一番の理由だ)

お休みの日、寝坊をすると凹む、何もせずにぐうたらしていると後悔する、何かをせねばと焦る。何もしない時間は”無駄”であり、”有意義ではない”時間なのだ。

そんな考え方をするようになったのはいつからだろう。決して珍しい考え方ではなく、多くの日本人が同じように感じているのではないか。しかし、未来に対して、逆算的に生きていくことが必ずしも幸せと結びつくわけでもなく、いまを豊かにするとは限らないのだ。

余白をつくる。

3日坊主になってしまった瞑想も、何も考えない時間を取るためではなく、むしろただ座ることを通して、浮かんでくる考えや感情と向き合うことに違いない。余白をつくることは無駄ではなく、むしろ無駄な雑念を整理し、より自分にとって大切な時間と暮らしを選択できるものに違いない。

研修は1ヶ月。思いもよらず、生まれた余白を楽しもう。