7days

はじまり

昨日、ミャンマーに赴任した - 7daysというエントリを書きながら、フィリピンのマタグオブを思い出していた。国際協力という仕事に関わろうと決意した村だ。奇遇にもNGOの職員としての最初の赴任地がマタグオブに似ていて、自分の原点へ連れ戻してくれる。

マタグオブで出会ったひとりのナナイ(お母さん)から言われた一言で、僕は貧困や開発というものを深く考えたい、専門家として関わりたいと思うようになったのだ。

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マタグオブはセブからフェリーでレイテ島のオルモックに渡り、そこからバスで行く。まばらに村々が存在し、拓けた土地には水田が、林間部にはヤシの木が広がる。決して豊かな経済状況ではなく、小作人制度が残り、村人間の格差もある。幹線道路に面する村と、山岳部に位置する町でも経済状況は大きく異なる。さらに洪水も頻発し、2013年のハイエンはまさにこの地を襲い、甚大な被害が出た。

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そんな状況でも村人は陽気に暮らす。ココナッツで作られたトゥバというワインを飲み、しょっぱいおかずで山盛りのご飯を食べ、賑やかな夜を過ごす。朝、小学校へ行ったら、ラジオ体操代わりにLady GagaのPoker Faceで子どもたちがダンスをしていたのは驚いた。いまは何の曲で踊っているのだろう。

 

マタグオブには大学1年生のころ、初めて訪れた。気さくなフィリピン人の優しさに触れ、一気に惹かれてしまったのを覚えている。これまでにたった3回、計2ヶ月半しかいなかったのに、第二の故郷のように思えて仕方がない。

僕らはマタグオブで村に滞在しながら、村人ともにプロジェクトを実施するワークキャンプを行った。村の人たちと相談し、小学校校舎の修復と水道管の整備をした。滞在中は村の公民館や村人の家に泊まらせてもらい、衣食住をともにする。毎日が楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまった。

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ただ楽しかっただけでは、大学生のひとつの思い出にしかならなかったかもしれない。そこで出会ったひとりのナナイ(お母さん)のひとことがいまの仕事への始まりだ。

人と人の豊かなつながりや気ままな生活に魅力を感じるなかで、貧しさという言葉に疑問を覚えるようになってきた。当時、日本でワークキャンプを紹介する際、フィリピン農村部で貧困解決のための活動と伝えていた。しかし、現地にあるのは貧しさではなく、むしろ日本より豊かな暮らしに見えてしょうがなかったのだ。

 

ある日、お世話になっていたナナイにその想いを伝えた。彼女は厳しい顔でこう答えた。

「それはあなたに選択することができるからよ」

 

その言葉をしっかりと理解できるまでにどれほど時間がかかっただろうか。

「貧困とは選択の乏しさである」

そう理解できたとき、なぜナナイが厳しい顔で答えたのか、ナナイがどのような現実を見てきたか痛感し、自分自身の至らなさを恥じたのだった。果たして僕がマタグオブでやってきたことは本当に彼らの選択肢を広げる行為だったのか。一度、気付いてしまうと、沸々と疑問が生まれてきた。

 

同時に結局、ワークキャンプで一番しんどかったのは日本人同士の関係やコミュニケーションだった。ワークリーダーを務めるなかで、人に役割をつくり、励まし、チームをつくりあげていくことがどんなに難しく、重要であるかを痛感した。それはその後、いくつかのNGOインターンをするなかでも感じたことである。

こうして、国際協力の仕事に関わりたいと思い、非営利のマネジメントと学ぼうと決意してから7年。当時願ったかたちで、ミャンマーに来られたことをとても嬉しく思う。

描けば叶う。具体的でなくても、漠然としたイメージを描き、近くであろう選択を重ねていけば、どんなに遠回りしてでもいずれ辿り着けるだろう。

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