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こっち側の世界

小野美由紀さんの文章が好きで、時々思い出してはブログを読んでいる。

2012年頃に「写真家と神」という記事に出会って、なんだか不思議な文章を書く人だなという思ったのがはじめだった。4年経っても彼女の文に惹かれるのは、たぶん自分が感じていることを気持ち良いくらいに言葉にしてくれるからだろう。

 

当時、大学4年生だった僕は、申し込んでいた大学院入試に行かず、インターン先のNPOで働こうと決めた。リクルートスーツを着たこともなければ、求人サイトや合同説明会に参加したこともない。一方で、まわりが明確な進路を決めていくなかで、妙な焦りと孤独感がないわけではなかった。

それは明らかに”多くの人が通る道”(と思っていた)から外れていくことを認識しながら、一歩先さえ靄がかかる深い森のなかにひとりで迷い込んで行く気がしていたからだ。小野さんの言葉を借りれば、「こっち側の世界」に踏み込んでしまったからだ。

 

そういう道を行くと決めたのはその2年前、大学2年生の時だった。インターンシップ協議会を通し、とあるNPOインターンに応募し、開始前のマナー研修なるものに参加した。内容は挨拶の仕方や電話の取り方など、当たり障りのないものだった。ただ、そこで出会った光景を今でも忘れられない。

同じ色のスーツを着た、100名以上の学生が敷き詰める広い講堂。みな同じ方向を見、同じ角度でお辞儀をする。絶賛中二病だった僕は、講師の指示に従いなくなくて、ひとりだけ後ろを振り返ってみた。そこで目に写った光景に妙な既視感を抱いた後、僕の頭にはくっきりとストームトルーパーの軍隊が現れた。

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ずいぶん前に話題になったマイナビ2013の広告を見たときも同じように思った。

「“何をするべきか”は分からないけれど、“何をするべきか分からない時に何をするべきか”は分かっている」という言葉は言い当て妙だ。「正解のない世界」で進むべき先が見えないと、みな不安になる。答えを求める。

 

僕もそうだ。新しい物事や分からない物事にぶつかったとき、どこかに答えを求める。その先が宗教であったり、友人であったり、啓発本であったり。ときに不安は良い商売のネタにもなる。どこか外に答えがあると考えてしまうのだ。

 

しかし、そういうときこそ、見るべきものは実態のある”目の前”や”内側”にあるものだ。国際協力の仕事をしていても、出会うのは前例がないこと、答えがないことばかり。ときに論文や書籍、スタンダードやフレームワークに答えを求めてしまう。でも、たいてい目の前にいる裨益者と向き合えば、自ずとすべきことは見えてくる。

自分の人生だって、啓発本やネットワークイベントに答えなんかない。誰かが自分の”幸せな人生”なんて与えてくれるわけがない。自分の幸せは、自分自身の内側や、目の前にいる家族や友人の間にしか見つからない。


 

「正解のない世界」は確かに残酷だ。不安にもなる。

そのかわりとっても自由だ。信じられないほど、選択肢は広がっていく。「こちら側の世界の様相は毎時毎分毎秒変わり、人生の「答え」も朝起きるたびに毎回変わっている。とってもチャーミングでキュートな世界だ」。だからこそ、僕は「こっち側の世界」に来れて良かったと思うし、この世界で生きていきたいと思う。