ミャンマーのパアンからタイのメーソートへ
先日、ミャンマーのパアンからタイのメーソートまで行ってきた。
タイのからミャンマーのミャワディへ来る人は多いが、ミャンマーからメーソートへ行く人は少ないので紹介。
パアンからミャワディへ
ミャンマーのパアンからは国境の街ミャワディまで約3時間。バス、乗り合いタクシー、貸し切りタクシーの3種類の方法で行くことができる。
午前便のバスがなかったので、毎時ある乗り合いタクシーを選んだ。価格は8,000チャット。パアンのダウンタウンにあるPhoe La Minというスーパーの近くに旅行代理店が複数あり、バスと乗り合いタクシーのチケットが買える。
バスは時間がかかるが乗り心地は良く安全、乗り合いタクシーは速く安いが同乗者によっては危険、貸切タクシーは落ち着けて速いが値が張る。懐事情と旅程に合わせて選ぶと良いと思う。
ちなみに乗り合いタクシーは、5人乗りのプロボックス。助手席に1人、後部座席に3人が座る。もうひとりは椅子のないトランク・・。席配置も混み具合も運任せ。
なお、パアンからミャワディまでに通るアジアハイウェイ上では、ビルマ政府とカレン民族武装組織との間で、散発的に武力衝突が起こっている。以前まではこの道は隔日のみ通行が可能だったこともあり、念のため、出発前に状況を確認した方が良いだろう。
ミャワディからメーソートへ
ミャワディは、パアンとは打って変わって、栄えた賑やかな街。タイ側から中古の農機具やバイクなどが大量に運ばれてくる。
タイ側へは立派な門をくぐって、モエイ川にかかる友好橋を歩いて渡る。乗り合いタクシーはこの門の近くでおろしてくれるので、門を目印に迎えば迷わない。
ミャンマー側のイミグレはミャンマー人でいっぱいであったが、外国人は少なく、待つことなく出国。先日、今まで1日に限定されていたミャンマー人向けのタイへの一時入国ビザが1週間に延長され、より行き来が活発になったのかもしれない。
Myawaddy-Mae Sot Temporary Border Crossing Permit Extended From One to Seven Days « Karen News
国境線となっているモエイ川を上っていくと、チベットを源流とするサルウィン川にたどり着く。「ランボー/最後の戦場」では、ランボーがこの川を遡上し、カレン民族支配地域に入り戦いを繰り広げる。僕が住むパアンもサルウィン川の下流に位置する。
ランボーの世界とはまるで異なり、のどかな時間が流れていた。
ミャンマーは左側通行、タイは右側通行のため、橋の上では入れ替え用のレーンがあった。事故が起こることはないのかな。
メーソート
日本人はビザなしでタイへ入国できる。並ぶこともなくあっさり入国。セキュリティチェックさえも日本人と分かるとパス。国籍に安全かどうかなんて関係ないのに。
入国したすぐ先にトゥクトゥクの乗り場がある。メーソートのダウンタウンまでわずか20Bだが、満員になるまで全然出発しない。タクシーだと100Bほど。タイ側のゲートにはトラックの列が延々と続いていた。
トゥクトゥクでダウンタウンの市場まで行く。この電線と看板の多さがどことなくパアンと異なる雰囲気を醸し出す。市場からしばらく歩くと、町中に出る。と言っても、目新しいものは特にない。
ダウンタウンのマップ。
町はずれのゲストハウスに泊まった。1泊400バーツのみで、ミャンマーに比べて宿泊費は断然安い。大学時代に東南アジアを貧乏旅行していたころは400バーツでも高いと思ったものだ。
ゲストハウスでは自転車を無料で貸してもらえた。坂道がないメーソートでは自転車移動が大活躍。
ロビンソンで買い物をして、夜はライブミュージックが聴けるお店でタイ料理。
ついつい楽しくなって、近くの飲み屋さんに入る。音楽を聴きながらお酒を飲める幸せ。。パアンにもひとつでもこんなお店ができれば良いのに。
翌朝、ダウンタウンの市場へ行く。とても賑やかなだ。野菜も肉もパアンの市場で売られているものと大差ないが、衛生状態と新鮮さはずいぶん違う。
市場を歩いていると、タナカを塗ったミャンマー人や、ヒジャブをかぶったムスリムの女性によく会う。人が行き交う国境の町ならでは様子かな。
朝ごはんは中国人が経営するお店でお粥を食べる。久々のミャンマー料理とタイ料理以外の食事が嬉しい。
メーソートからミャワディへ
帰路ではメーソートのダウンタウンから国境まではタクシーで行った。100Bで20分もかからずに着く。ふたたび友好橋をわたってミャワディへ向かう。タイ側の国境沿いには鮮やかな市場があった。
ちなみにイミグレはミャンマー時間の17時で閉まる。ミャンマーとタイでは30分の時差があり、タイ時間では16時半となるので要注意。
夕暮れどきの景色は美しい。船で人々が国境線であるモエイ川を行き来する。ビザはどうなっているんだろうなんて、野暮なことは言わない。国境なんて、文化や民族の境界線ではなく、単なる人工的に引かれた線にしか過ぎないのだ。
田舎町メーソートにはモスクがあり、夕方にはお祈りの時間を知らせるアザーンが流れていた。イスラム教への圧力が強いミャンマーに比べて、お隣の街では自由なようだ。市場では、ビルマ語を話すインド人や、中国人のお店でお粥を食べるタイ人、タナカを塗ったミャンマー人に出会った。
ミャンマーではムスリムは歓迎されない。中国人嫌いも多い。カレン人はミャンマーとタイにまたがって住む。先の内戦では多くのカレン人がタイ側へ流れ込んだ。また、タイへの出稼ぎも多い。
見逃してしまうくらいに小さなことかもしれない。しかし、メーソートは単なる田舎町ではないように思う。民族も宗教も入り混じった国境ならではの多彩で豊かな町だった。それを辿れば、これまでの過去も現在もまた垣間見られる。