7days

ミャンマーでデング熱にかかった

ミャンマー・パアンでは、雨季はデング熱の季節である。

以前は子どもがよくかかる病気と考えられていたようだが、今ではどんな年代でもかかるようになったと聞く。

つい先日、27歳になった僕もデング熱にかかってしまった。
おそらく人生で2回目。おそらくと言うのは、フィリピンでデング熱らしき症状が出たのだが、病院がなかったため検査ができず、自己療養で治したからだ。

おそらく2回目のデング熱に罹った2週間の備忘録。

いきなり発熱。

7月7日(金)、知人の離任を見送るべく参加した夕食会の途中、いきなり急なめまいと悪寒が始まった。寒いったらありゃしない。そのまま発熱し、身体の節々が痛む。

実は、その2週間前から夏風邪を引きずっていて、咳や微熱が続いていた。免疫が落ちていたからこそ、デング熱に罹ったのかもしれない。だが、その状況が余計に単なる夏風邪が悪化しただけと思わせ、土曜日は病院にも行かず休んでいた。

体温計が手元になかったのだが、後々思えば、39℃台の熱が出ていたと思う。

デング熱感染が発覚。

たまたま9日(日)からヤンゴンへ出張だった。パアンには清潔で信頼できる病院はなく、インターナショナルクリニックを受診するにはヤンゴンに行かねばならない。

いわゆる小康状態に入ったのか、身体が少し楽になったこともあり、ヤンゴンへ行くことにした。バスで6時間移動し、そのままLEO Medicareを受診。

医師いわく、どうやら何かしらのウイルスに感染しているよう。熱は38.4℃。血液検査をしてみると、思いもかけなかったデング熱が陽性。単なる夏風邪だったと思っていたのに。

ただ、この時点で血小板数は160,000ほどと基準値を上回っている。しばらくホテルでの療養となり、2日後に再検査となった。

本気のデング熱

熱は38度半ばあるのに身体は思ったより軽い。デング熱はこんなものか。

そんなことは勘違いだった。10日(月)からは、頭痛・眼窩痛・関節痛がよりひどくなり、下痢・食欲不振・腹痛も同時でやってくる。食べなければならないのに食べられない。身体がしんどくて眠りたいのに、身体が痛くて眠れない。そんな状況が延々と続く。

11日(火)には血小板数は121,000に下がる。翌日12日(水)からは吐き気がひどくなり、嘔吐が続くために寝てもいられない。この吐き気からの嘔吐の繰り返しが一番しんどかった。いよいよ水分も取れなくなり、辛うじて取れても、下痢と嘔吐ですべて出ていってしまう。

13日(木)の時点で、ついに血小板数が45,000と下がって、出血の可能性が出てきたため、医師から入院指示が出される。

しかし、ヤンゴンにはインターナショナルクリニックで入院できるところがない。受診していたLEO Medicareでも、クリニックが入っているビクトリア病院というローカル病院に入院せねばならない。だが、ビクトリア病院に入院するにも、ミャンマー人24時間付き添い、1,000ドル事前デポジット、血清がすぐ手に入るかわからないという無理な条件。

しかも他の病院を紹介することもできないこと。医師からはビクトリア病院に入院するか、入院を拒否するかの二択のみ提示される。そこで同僚の勧めがあり、バンコクの病院へ入院を決定。入院を拒否し責任は自分で負いますという誓約書を書かされる・・。

バンコクの病院へ入院。

13日(木)夜、同僚の同行のもと、バンコクへ向かう。この時点で血圧がだいぶ下がっており、少し歩くだけでめまいと吐き気に襲われる。ヤンゴンで一度、点滴をしたものの、体力も落ちていて、ふらふら。

バンコク空港に設置されている病院の窓口で、予め予約していた専用車に乗り、一路バムルンラード国際病院へ。緊急外来を受診し、即入院決定。到着から2時間後には、綺麗なプライベートルームに案内された。素早い判断と丁寧な対応に驚く・・。

この時点で、同日午前中、38.9℃もあった熱がなぜか36℃台に下がっていた。重症っぽく来たけど、全然大丈夫じゃんみたいな雰囲気を感じていたが・・症状は変わらず、吐き気も身体の痛みもひどかった。

それと、正直なところ、入院さえすれば、ゆっくり休めると思っていた。だが、看護師は2時間ごとにやってくるし、落ち着かないったらありゃしない。しかも、なぜかベッドがものすごいかたい。ただでさえ、関節痛がひどいのに、身体が痛くてたまらない。入院なんてしないほうが良かったと猛烈に後悔しながら、1日目を過ごした(後々、もっと早く入院すれば良かったと思うようになるのだが)。

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バンコクの病院素晴らし。

14日(金)、血小板数は36,000まで下がる。歯ブラシ使用禁止、ひとりでベットからの移動禁止などの出血防止策が出される。もし転んで頭でも打ったら、脳内出血する可能性があるらしく、非常に危険らしい。出血の有無をよく聞かれるものの、幸運にも出血熱の傾向は見られなかった。

ちなみに一度だけ、我慢できずに歯ブラシで歯を磨いたのだが、すぐに歯茎から出血したのでびっくりして止めた。

ただ、シャワーはOKらしく、病室の綺麗なシャワー室で、ふかふか綺麗なタオルも準備され、良い気分転換になった。ベットがかたすぎると伝えたところ、シャワーを浴びている間にふかふかのマットレスに変わっていた(今度は柔らかすぎて腰が痛くなったのだけど)。

その夜、再び熱が38℃を超える。2日ぶりの高熱にもがき苦しむ。

 15日(土)、血小板数がついに上がった!こんなに嬉しい出来事は久しぶりだ。
この頃から手足がとても痒くなり、斑点が出てくる。特に足の斑点がひどく、全体が紫色がかった赤色になり、看護師さんたちも驚く。ひとりからは形態で写真を撮らせて欲しいと言われたが、あんな写真どうするんだろう。

それでも、看護師さんの対応も、医師の対応もとても良かった。あとこのくらいの日数で良くなるはずだよと、笑顔で言ってもらえることが、何にも増して安心するものだ。苦しいときにすぐ心地良く対応してくれ、ずいぶん救われた。

病院食も日本食を選ぶことができ、15日(土)から少しずつ食べられるようになった。ほぼ1週間ぶりの食事。と言っても、野菜の煮物とかくだものだけだけど。

ついに退院。

16日(日)、血小板数が72,000に上がり、ついに50,000という危険値を抜けたことから、退院できることに!ずっと点滴を打っていたこともあり、体力も少しずつ戻ってきた。

諸々手続きを終えて、お昼過ぎに退院。ちなみに入院費用は4日間で約15万円。さすが一流の国際病院でした。かなり痛い金額だが、保険が適用され支払いはなし。

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18日(火)、2日間バンコクで休んだ後、ヤンゴンへ戻った。再びLEO Medicareで検査したところ、血小板の値は200,000超え!人間の回復力はすごい。

今回、出血熱にならなくて本当によかったと思う。

その後。

19日(水)にはパアンへ帰ってきた。ようやく食欲が戻ってきたのだが、さすがに1週間近くほとんど食べられなかったため、体重は3キロ以上減り、体力もずいぶん落ちたようだ。デング熱は肝臓にも負荷がかかるらしく、しばらくアルコールも辛いものも禁止。

1週間ほどのんびり休みつつ、体力を戻していかないといけないようだ。

21日(金)には微熱が出て、右耳下のリンパが腫れきた。なんだろう。デング熱は後遺症がないと言われているが、回復後に微熱が続いたり、髪の毛が抜けたりすることがあるらしい。そのひとつなのだろうか。

発症から3週間経った22日(土)でも、いまだに身体がだるかったり、斑点が綺麗には消えていなかったりする。いまだウイルスが残っているのだろうか。しばらくはしっかり休みながら、様子を見ることにする。すっきりと良くなると良いんだが。

今後に向けて。

もうこんなしんどいデング熱なんて二度と罹りたくない。

できることは蚊対策しかなく、デング熱を媒介するネッタイマシカは特に早朝と夕方に活発だ。虫よけスプレーや蚊取り線香はもちろんのこと、長袖長ズボンで防ぐこともできる。特に雨季は甘く見ず、対策をせねばならない。

万が一、ミャンマーデング熱に罹った場合、ローカル病院を受診することも可能ではあるが、衛生状態や医療レベルの面からおすすめできない。ローカルのクリニックは外国人さえ受け入れてくれない。検査であれば、ヤンゴンのLEO MedicareやInternation SOSなどのインターナショナルクリニックを受診することをおすすめする。

入院が必要になった場合、海外保険が適用されるのであれば、動ける早い段階でバンコクや日本の病院へ移動するほうが良いだろう。特にバンコクの病院であれば、デング熱患者も多く、よっぽど日本の病院より安心である。今回利用したバムルンラード国際病院やバンコク病院は日本語対応もあるし、おすすめだ。

最後に。

今回、同僚や東京本部の人に本当に心配も迷惑もかけて反省。それと全力でサポートしてくれたことへの感謝の思い。あの状態でバンコクへひとりで移動して入院なんて厳しかった。

ヤンゴンバンコクの医師も看護師も親身に対応してくれて救われました。

皆さま、本当にありがとうございました。