7days

できることをやる。

先日、こんな話を聞いた。

ある時、とある神父さんが海岸を歩いていると、大量のクラゲが打ち上げられていることを見つけた。大変だと驚いた神父さんは急いで海に返そうとする。でもあまりの数にひとりではどうしようもできない。どうにか3匹だけ救えた神父さんに、近くを通りかかった町の人が尋ねる。「全部を助けられないのに、なぜその3匹だけ救うんだ」。神父さんは返す。「自分ができることをしたまでだ」。

 

何のひねりもへったくれもない話である。ミャンマー人スタッフが教会かどこかで聞いてきたのだろう。何とも素直なオチだ。

だが、よくよく読み返してみると、おもしろい話にも見えてくる。さて、神父さんが「できること」はクラゲを"3匹"だけ海へ返すことだったのだろうか?

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大量のクラゲと聞いて、小学生2年生の頃、海へ友だち家族と行ったことをふと思い出した。8月も終わりに近づき、山梨からわざわざ訪れた海には大量のクラゲが発生していた。海岸を埋め尽くすかのようなクラゲ、クラゲ。海になんて入れるわけがない。

僕も無邪気な子どもだった。打ち上げられたクラゲを捕まえては投げてみたり、砂に埋めたり、救うどころかクラゲを散々いじめていった。あの数え切れないほどのクラゲの様子はいまでも思い出す。

 

話は逸れたが、神父さんができたことは、ひとりで3匹のクラゲを救うことではなかったはずだ。開発分野でよく聞かされた話がある。川の上から赤ちゃんがどんぶらこどんぶらこと流れてくる。救っても救ってもキリがない。上流に見に行ってみると、赤ちゃんを流している人を見つけた。あんまり具体的に覚えていないが、根治療法の重要性を説いた逸話である。

じゃあ、冒頭のクラゲ救出物語の場合はどうだろうか。やはり同じく対処療法と根治療法があるはずだ。

クラゲを救う対処療法と根治療法

対処療法では、打ち上げられたクラゲをどう救えるかということが視点になる。ここで神父さんがより多くのクラゲを救うためには、まず道具があると良い。網があれば一気にクラゲを移動できるし、バケツがあれば、水をクラゲにかけてちょっとは延命できるかもしれない。

それにひとりでできることは少ない。水族館に連絡をして専門家に助けてもらったり、町の人にボランティアとして手伝ってもらったり、はたまたメディアやSNSで取り上げてもらって関心を高めたりと、よりクラゲを多く救う行動ができるはずだ。

一方で、根治療法はクラゲが打ち上げられないために何ができるかということだ。正直なところ、僕もなぜクラゲが海岸に打ち上げられるか知らないのだが、まず根治療法では原因を探ることから始まる。課題と原因を紐解き、どこを解決すれば最も打ち上げられるクラゲが最も減るかを知り、具体的な対策を行っていく。

根治療法は時に時間がかかるものだ。1回目に打ち上げられたクラゲは救えないかもしれない。でも2回目は打ち上げられるクラゲを減らして、対処療法よりももっと救えるかもしれない。根治療法のアプローチを行いながらも、対処療法を同時に行うことはとても意義がある。

あなたができることは何か 

そう考えてみると、打ち上げられた神父さんはすぐクラゲ救出に取り組むのではなく、まず助けを求めるべきだったと思う。途中で誰か1人合流してくれたら、少なくとも3匹+2匹は救うことができる。さらにその人がバケツや網を持ってきてくれて、クラゲの寿命が2倍になり、1匹あたりの救助時間が半分になれば、1匹+2匹✕2倍✕2倍✕2人=17匹を救えることになる。

さらに救助後、クラゲが打ち上げられた理由を探り、試しにひとつの案を試してみたところ、例えば、打ち上げられる数が10%減ったとする。当初は100匹が打ち上げられていたが、90匹に減った。

対処療法と根治療法の合計数を足してみると、27匹を助けることができ、なんと神父さんがひとりで助けるときよりも、9倍ものクラゲが助かる。

冒頭の逸話は「できることをしなさい」の前に、「あなたができることは何なのかを見つけなさい」というとても根幹的な投げかけを含んでいるのではないだろうか。

課題を社会化する

さらに逸話では、懸命にクラゲを救おうとする神父さんを町の人があんなひとりじゃ救えないよと蔑む。あるいは、もしかしたら、そもそも町の人にはクラゲを救うという行為自体が滑稽だったのかもしれない。

そこで必要なことが「課題の社会化」である。産後の母体ケアに取り組むマドレボニータという団体は、活動開始当初、誰も関心を持っていなかった産後の母体の状況や育児環境に対して疑問を投げかけ、それが社会の解決するべき問題であると示していった。

言わば、クラゲを救うどころか、それが問題と捉えられない人に助けを求めても助けは得られない。そもそもクラゲを救うことへの意義を見出していないからだ。そこでクラゲの存在価値を伝え、保護の意義を示していく。そうすることで、「クラゲの打ち上げ問題は重要だ。みんなで取り組むべきだ」という空気を醸成していくことができる。

つまり冒頭の逸話はもうひとつ別のメッセージを含んでいて、「クラゲを救う意義を考えなさい。そしてそれを社会化しなさい」ということだ。

できることをやる。

私たちはできることからしかできない。しかし、できることをやるという気持ちさえあれば、できることはきっと広がっていく。大きくなくてもいい。小さくできることを始めて、そのできることを広げていくだけだ。

3匹しか救えないなら、何もしなくていいという考えていたらどうだろう?それは単なる思考停止で諦めに過ぎない。こういう考えが広がっていった先には、誰もが誰に対しても無関心で、関係性が失われた社会しか残らないのではないかと思う。

ガンジーは言ったという。

Find purpose, the means will follow.
目的を見つけよ。手段は後からついてくる。

クラゲを救う、この目的さえ見失わなければ、手段はいくらでもついてくる。

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