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ミャンマー南部・イェへの旅① アンダマン海を目指して

アンダマン海はその透き通った豊かな環境で世界に知られる。特にタイのプーケットやピピ諸島など最も観光地として知名度があるビーチリゾートだあろう。

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Visit Andaman Sea from Phuket Thailand - Gets Ready

そのアンダマン海プーケットから北上したミャンマー南部にも接している。イギリス植民地時代には彼らの避暑地ともなっていたダウェイ(Dawei)、美しい海で知られているメルギー諸島への起点となるベイ(Myeik)やコータウン(Kawthaung)。豊富な観光資源を持ちながら、リゾート開発は進んでおらず、交通網も整備されていないために手つかずのビーチが残されている。

これほど冒険心をくすぐるものはない。その美しい自然をいつか見てみたいとずっと気になっていた。

だが、陸路で移動するとなると、起点となるパアンからコータウンへ旅をするには1週間はかかってしまう。夏休みの3日間で確実に帰ってこれる旅先は、ダウェイの手前に位置するイェ(Ye)が限界そうだ。

パアンからモーラミャインへ

日が昇り始めた早朝、事務所近くのモン州都のモーラミャインへのバスに乗り込む。韓国製の中古バスに揺られ、パアンからタンリーアン川を沿うように南下していく。ピヨピヨとひよこの声が聞こえたと思えば、バス下の荷物入れからたくさんのひよこがでてくる。地元民を乗せては降ろし、時には荷物や手紙まで送り届ける。

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1時間半ほどでモーラミャインのバスターミナルに到着する。パアンからわずか1,000チャット。地元民の足だからこそ、ミャンマーのバス料金はとても安いのだろう。旅行者にとっても助かってこの上ないわけだが、運転手たちはしっかり生活できているんだろうかとか勝手な心配をしてしまう。

モーラミャインからイェへ

終点のバスターミナルでイェ行きのバスを探すが、どうやらこのバスターミナルはヤンゴンなど北部のバスが中心のようだ。バス会社のお姉さんが終えてくれたゼージョーに向かう。バイクタクシーで10分。料金は1,000チャット。パアンから1,000チャットで来たのに、なぜ1,000チャットを払って同じ道を戻ってるんだろうと何だか残念な気持ちになる。

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近くの食堂で朝ごはんを食べる。タミンジョー。MSGたっぷりの炒飯に、ミャンマーカレーを乗せて食べる朝食の定番。

ふたたびエアコンなしのローカルバスに乗り込み、8号線を通ってイェへ向かう。道路の両側にはゴムの木が整然と立ち並ぶ。時折、背の低い山々を背中に水田が広がる風景が見え、パアンからずいぶん遠くに来たような感覚になる。

途中、「死の鉄道」で知られるタンビュザヤで休憩。ひとり置いてかれては困るので運転手に出発時刻を聞くのだが、タミンサーメー(ご飯を食べるよ)と返事が来るだけ。それって何分なんだ。結局、20分もせずに出発。

こないだバガンで乗せてもらったドライバーが言っていた。欧米人は食事に2時間も3時間もかけるが、日本人や韓国人は1時間もかけないと。じゃあミャンマー人は?という問いに対して、ふたり声を重ねて15分と答えた。思わず笑ってしまった。しかし、本当に15分だったわけだ。

モーラミャインから4時間半でイェに到着。地球の歩き方に載ってもいない小さな田舎町だ。

イェの町

イェはイェ川と湖に囲まれた地域を中心に住宅が建ち並ぶ。こじんまりとしたイェの市場の裏手には、イェ川が流れ、まさに田舎らしい田舎だ。ここで外国人が泊まれる場所はふたつのみ。それもひとつは今年できたばかりだ。

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町の中には3つのパゴダがある。ミャンマーのどの町に行っても、パゴダには常に人が集まり、熱心にお祈りする人も、世間話する人も、昼寝をする人も、めいめいに時間を過ごす人たちに出会う。手を組んだ若い男女や、着飾った女の子たちを見ると、いっそう仏教やパゴダという場が人々の生活の一部として、存在しているか実感する。

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町の真ん中に位置するのがShwe San Daw Pagoda。バガンのシュエサンドーパゴダやアーナンダ寺院を模したものは多く見られるが、ここもそのひとつ。大きな寝釈迦像も。

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湖上に建つのがSasana 2500 Pagoda。なぜ2500なのか分からないのだが、仏暦2500年は西暦1957年にあたり、この年に何かゆかりがあるのだろう。夜は出店が並び、老若男女で賑わう。

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Sakar Taung Pagodaからはイェの町が一望できる。田舎町であることを忘れ、夜景を期待して見に行ったのだが、想像以上に真っ暗で写真に何も写らなかった。

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ピンレーワ―ビーチ

イェで行きたい場所がひとつあった。それがKa Byar Waビーチだ。詳しくは次編で書くとして、モン州政府が大規模なリゾート開発を考えている場所でもある。

しかし、ホテルのフロントで情報を集めていると、ピンレーワ―(Pin Leh Wa)というビーチも良いらしい。漁村の風景も見れると聞いて興味が俄然湧いてくる。さっそく行きたいことを伝えると、ホテルのマネージャーがドライバーを買って出てくれた。

のんびりとした田園地帯を進んでいく。道すがら、マネージャーが24歳という若さであり、ヤンゴン出身、イェに来たのは1ヶ月前という事実を知る。ピンレーワ―ビーチに行くのも初めてという。すっかり土地勘のある地元出身の青年と思い込んでいた僕は拍子抜けしてしまう。大して僕と変わらないじゃないか。

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30分ほどで到着したビーチは、透き通った青色という期待を裏切り、真っ茶色。いつも見ているタンリーアン川の色だ。いちゃいちゃする若いカップル以外、誰も泳ぐ人はいない。

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ビーチの裏手にあるパゴダに登ってみる。そこからの眺めは最高だった。海水が途中で綺麗な青色に変わっている。もともとの海水はきれいなのだが、川から泥が入流し、海水が濁ってしまうのだろう。

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ところで、マネージャーと僕が持っている知識はほとんど変わらない。パゴダの名前はとか、あの島の名前はとか聞いても、そばの地元民にそのまま聞くのである。だが、それが功を奏し(と言って良いのか何なのか)、辛抱強く付き合ってくれた青年が近くに綺麗な滝があるから連れてってくれるという。

海沿いに広がる漁村を進む。ここまで来ると外国人の来訪もほとんどないらしく、僕に対する目線も他の場所とずいぶん違う。大して見た目の変わらないのに。興味と警戒心が入り混じった目線はミャンマーで初めてかもしれない。

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入り口で入場料を支払う。滝を見るのになぜだろうという疑問が湧く。

そこに待っていたのは噴水とプールだった。こんなしっかりしたレジャー施設を初めて見たかもしれない。さながら東京サマーランド。思いがけない登場に動揺してしまう。

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だが、綺麗なプールでシャンプーを始めた女性たちを見て安心した。ああ、ここはミャンマーなのだと。決して東京サマーランドではないんだと。彼女らの気持ちが分かってしまうあたり、だいぶミャンマーに染まってきたと実感する。生活排水や下水が混じった川の水で洗うよりきれいだし、井戸水で洗うより潤沢に水があるし、髪の長い女性にとって、これほど髪を洗いやすい場所はないかもしれない。

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滝はプールの上流にあった。透き通って冷たい水。思ったより小さかったが、リラックス効果は十分だ。青年はこの水は飲めるよと教えてくれたが、お腹を下すことが不安で挑戦できなかった。

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しばらく涼しんだあと、イェへの帰路につく。

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だが、旅にはトラブルがつきものである。急にバイクの後輪がパンクした。ああ、行きに感じた違和感はこの前兆だったのか。青年が近くのワークショップまで連れて行ってくれ、タイヤのチューブを交換する。

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作業を待ちながら、ふと疑問が湧いてくる。この青年はなぜ1時間も2時間も付き合ってくれ、助けてくれるのだろう。腐ってしまった僕の心は、きっと別れ際にガイド料とか言ってお金を求めるのだろうと警戒する。一方で、ここはミャンマーの片田舎であって、実は彼は優しさで付き合ってくれているのかもしれないと思う気持ちもある。

信じることと疑うことの葛藤。旅では付きもののように思う。誰か知らない人について行くリスクはお金だけじゃない。むしろそれで済めば良い方なのだ。強盗や誘拐、レイプの可能性だってある。

この警戒心は旅を安全に続けるにあたって、とても重要なものに思うし、閉ざしてしまったとき、事件や事故に巻き込まれてしまうのだ。ただ、だからといって、すべての誘いを断ると旅はどんどん無機質なものになっていってしまう。

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そんなことを沸々と考えていると、パンク修理は終わった。別れ際、青年は笑顔で颯爽と去っていった。こういうときに疑っていた自分に寂しくなる。別れ際まで分からないのが難しいのだ。

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ホテルのレストランで夕食を取る。まずアスパラガスと銀杏の野菜炒めと、ナスと牛肉の煮込みをつまみに生ビールを飲む。シメはチェーオー。想像を裏切り、そこらのレストランより断然美味しい。結局、イェで食べた食事でここが一番だった。