7days

トルコを旅する

トルコは絶対に行きたいと思っていた旅先のひとつだった。まさか初の海外出張で来るとは思ってもいなかったが、念願かなって、7月始めのバイラム休暇中に旅をした。

トルコは不思議な国だなと思う。数千年の歴史、多様な文化、壮大で美しい自然、世俗主義と厳格なムスリム、多彩な食事。混沌とし、一方で先進国の面影も感じる整然としたこの国はとても”大きい”。

ただ、ここ数年は残念なことに、テロの懸念からがっくりと観光客が減っている。今回の旅行ではひとりも日本人に出会わなかった。どこの観光地も苦境にあえいでいる。僕も当初はいろんな街をまわろうと思っていたが、6月28日にイスタンブール空港で自爆テロがあったばかりだったので、予定を変更した。それでも本当に素敵な旅になった。

 

◎7月5日:アドナン・メンデレス空港(イズミール)→セルチュク→シリンジェ

イズミールの空港から電車でセルチュクという街に向かう。ただっぴろい平原を走るだけなのに、電車は頻繁に止まるし、とてもゆっくり。外の景色はなんとなく日本に似ている。

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電車の見た目は結構かっこいい。

f:id:taaku3:20160727035305j:plain空港からセルチュクまで約1時間。駅から10分弱歩いたところにあるオトガルから、シリンジェ行きのバンに乗る。20分の1本くらいで出ていて、片道3TRY。

シリンジェはとても小さな街。この街がトルコ中で有名になったのは2012年のこと。マヤ暦には12月に地球が滅びるが、シリンジェだけが助かると書かれていたらしい。ちなみにフルーツワインが有名。

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仲良くなったトルコ人にご飯屋さんを紹介してもらう。

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日中はとても暑く、日も長い。22時くらいから少しずつ涼しくなってくる。ステイしたペンションのオーナーはトルコで有名なマジシャンだった。

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◎7月6日:シリンジェ→エフェス→シリンジェ

朝のシリンジェはとても綺麗。

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シリンジェから再びバンに乗り、セルチュクのオトガルで乗り換えてエフェスに向かう。セルチュクからは15分くらい。途中で降ろされたので、エフェス遺跡まで歩く。入場料は1人40TRY。遺跡の中にも屋内展示場があって、そちらは20TRY。

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どんと現れた遺跡群は壮大だった。2000年以上も前にいったいどうやって作られたのだろうか。細部までこだわって装飾が施された建築は美しく、荘厳だった。

3時間ほどかけてゆっくりと見る。しかし、50度近い炎天下のなかでの観光はかなりしんどい。

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セルチュクに戻って、エフェス博物館に向かう。独特な大アルテミス像。

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その後はシリンジェに戻る。夜の静まった街並みも居心地が良い。

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◎7月7日:シリンジェ→セルチュク→クシャダス→ソケ→ディディム→セルチュク

シリンジェからセルチュク、クシャダス、ソケ、ディディムへとミニバスを乗り継ぐ。2時間くらいで行けると思っていたが、結局3時間ほどかかって到着。

地中海(と水着美女)を眺めながらビールをいただく。最高。

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ビーチ近くからさらに市内を回るミニバスに乗り、アポロ寺院へ行く。メジューサで有名だが、建築も素晴らしかった。現存する遺跡だけでも壮大なのに、当時はこの3倍の高さだったらしい。建物のまわりには彫刻が施された大理石がごろごろと転がる。

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そこからビーチ近くへミニバスで向かい、さらにミニバスを乗り継ぎセルチュクへ戻る。帰りは渋滞につかまり4時間ちかくかかってしまった。

ソケのオトガル。夜行バスも数多く出ているターミナルでかなり広い。

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クシャダスの乗り換え地点。

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◎7月8日:セルチュク→デニズリ→パムッカレ→セルチュク

日本人にも有名なパムッカレを目指す。セルチュクのオトガルから3社がバスを運行しているが、電車の方が安いし、遅れることもないのでこちらを選択。約3時間ゆっくりと電車に揺られる。

デニズリの駅からオトガルまでは徒歩で5分くらい。パムッカレまでミニバスでやってくると、ぽいっと街中で降ろされる。そこから再び歩いて10分。真っ白な景色が見えてくる。

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観光ラッシュでだいぶ水が干上がってしまい、かつてほど美しい景色は残っていないと聞いていたが、やはり期待を下回ってしまった。それでも自然が創りだした石灰岩の棚田は素晴らしく、目を奪われてしまう。

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なににせよ、驚きなのはこの石灰岩の棚上に、ローマ帝国の温泉保養地・ヒエラポリスが栄えていたことである。1354年の大地震で崩壊したが、かつてどんなに素晴らしい景色と豊かな温泉が人々を癒していたかと思うととても興味深い。

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セルチュクへ再び3時間の電車旅。何もさえぎるものがない太陽の下で、さらに足元は真っ白な石灰岩。日焼けがひりひりする。

最後にビールで旅を〆る。

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セルチュクもシリンジェも日本人にとっては決して人気のある街ではないし、なにか特別なものがあるわけでもない。ただ、どんな街にもその街の色がある。観光地を巡っているといつか飽きが来てしまうのだが、新しい街と出会うことはいつも刺激的だ。

そして、移動も旅の大事な要素だ。街に住む人とともに肩を寄せ、長い間、移動しているとその暮らしと文化が見えてくる。話しかけられたり、じろじろ見られたり、逆にじっと見つめてみたり。みな目的地に着くと、ひとりひとりと降りていく。まるで何もなかったかのように、空間が消え、また新しい空間が生まれる。

僕にとって、旅とは街と街との移動だ。

たしかに人も重要な要素だ。でもそれは人との交流だけを示さない。空間を共有する、すれ違う、目で挨拶をする、電車で隣になる、、それもまた旅の魅力だ。交流ばかりを見ていると、その隙間にある大事な、幸せな時間を逃してしまう。

さて、次はどこに行こうか。その時間が何よりも幸せなのである。

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26歳

先週、26歳になった。こんなにもあっさりと26歳になるなんて考えてもいなかった。決して18歳の気分でいるわけでも、22歳の気分でいるわけでもない。ただ、思っていたより、26歳はすぐにやってきて、思っていたより、18歳や22歳の自分と変わっていなかった。

26歳という響きは特別に感じていた。20代ながら、前半でも後半でもない。若さと身軽さを持ちながら、一方で多少なりとも経験を得て、頼られるようになる歳とも思っていた。25歳は若すぎる。でも26歳は少し違う。子どもの頃に描いていた26歳は軽やかで目指すべき姿だった。

残念ながら、そうなるべき生き方をしてこなかったのか、描いていた26歳像が誤っていたのか、想像とは到底離れた26歳の自分が出来上がった。もしかしたら、トルコ人のおっさんに、トルコ風に切られた髪のせいなのかもしれない。妙に若く見られる。

いや、おそらく髪型ではないだろう。もっと根本的なもののように思える。

そんなことを先日金曜日に考えていた。ちょうど26年前に生まれたその日は奇しくも、バイラム休暇前の最後の勤務日。現地スタッフがみんな楽しげに笑顔で、じゃあねー!なんて帰って行くなか、彼らが諦めた仕事とともに過ごしながら、26歳とは何か考えていた。すっきりとする答えは見つからない。

誕生日の翌日に食べた食事が悪かったのか、特別と思っていた26歳は腹痛と下痢と迎えた。すでに3日が経つものの、相変わらずの状態である。

昔から胃腸が弱い。思い当たる節がありすぎて、はっきりと原因が特定できない。おそらく過敏性腸症候群であろう。この胃腸がすこぶる良くなれば、きっと26歳も理想としていたものに近くなるのではないか。そうか、26歳の目標は過敏性腸症候群を治すにしよう。

ちょっと調べてみると、過敏性腸症候群を治すためには、食事を整える、ストレスを減らす、生活習慣を改善するなどが必要とのこと。なんだか簡単ではなさそうだが、綺麗な胃腸とともに迎える27歳は特別になるかもしれない。すっきり胃腸の綺麗な27歳。それにしよう。

さて、トイレの心配は残るが、いまからイズミル旅行だ!9日まで5日間、楽しんできまーす! 

トルコと信じること

トルコに来て、はや1ヶ月が過ぎた。ようやく仕事の雰囲気にも生活にも慣れてきて思うのは、トルコは想像以上に住みやすい国だ。99%がイスラム教ながら、世俗主義を徹底してきた歴史的背景もあり、戒律が厳しいということはない。都市部であれば、電気も水道も整備され、モールに行けば、日本で必要なものは何でもそろう。それでありながら、野菜や果物が安くて美味しい。トマトが1kgで100円、スイカが1玉で300円。いんげんやほうれん草、レタスなど、日本で食べ慣れた食材もすぐ手に入る。

そして、最も嬉しいのは、どんな洗濯物も2時間あれば乾くことだ。もちろん地域によるだろうが、湿度が低く、ジーパンだってすぐ乾く。とっても快適。ただ、夏場は気温がかなり上がる。天気予報によると、今週の最高気温は40度・・。それでも湿度がないぶん、日陰に入り、風があれば、思った以上に快適に過ごせる。

そんなトルコはいま、ラマダン中。今月の6日から約1ヶ月間、イスラム教徒は朝3時頃から夜の8時までいっさい水も食事も摂らない。僕も1日だけ断食をしてみた。昼食を抜くことは難しくないのだが、この暑さのなかで水分を取れないことは本当に辛かった。夕方の疲れはずっしり重く、ときどきぼーっとしてしまった。イスラム教の友人に、それがヘブンだなんて冗談を言われたが、断食明けのイフタールは最高に美味しかった。

ラマダン中にトルコに滞在すると驚くことがある。それは太鼓。ラマダン初日、深夜2時過ぎに大音量で鳴る太鼓の音で目覚めた。車のトランクを開けて、後部座席で太鼓を叩いている。翌日知ったのだが、起きるほどに大きな音なのは理由があり、断食がはじまる前に食事を取り忘れないように起こすための太鼓なのだ。断食をする人たちは、夜早めに寝て、2時頃に起きて食事をしたあと、再び寝て仕事に行く。慣れてしまうのと気づかず寝ていることも多いが、トルコに来たことに、朝4時のアザーンに毎日起こされていたことを思い出した。ちなみに、その次は朝6時の騒音がひどいごみ収集車である。

そうした古い文化が残る一方で、NGOで働くトルコ人はリベラルな人も多い。無宗教もいれば、イスラム教ながらお祈りはしない人、断食をしない人、さまざまである。ラマダンが食べものが豊かでない時代の古き風習であり、合理的な理由からやめた人もいた。もちろん断食をし、毎日5回のお祈りをする人も数多くいる。イスラム教徒と言えども、その姿は決して一様ではないのだ。

ただ、そのなかでも共通することがある。彼らのおおくは小さな優しさを自然と行う。ベビーカーを引く女性が階段を降りることを助けたり、気を利かせて自転車事故をふせいだ少年に良いドライバーだと褒めてみたり、電車で女性に席を譲ったり、たくさんの場面に出会ってきた。僕たちもそうだ。日本にいたって同じような風景をたくさん見てきた。だからこそ、思うのは、やっぱり人を信じようということだ。

NGOで働くなかで、どうしようもなく、途方に暮れることがある。もっと厳しい現実はたくさんあるはずなのに。それでも、変えられると信じていける気がするのだ。

トルコにやってきた

5月上旬、来週からトルコに行ける?と上司から尋ねられ、翌週トルコにやってきた。いつか旅行で行きたいと思ってはいたが、まさか発の海外出張で来ることになるとは思いもよらなかった。慌ただしい出発で、気づけば2週間が経った。

トルコはいま、シリア難民問題の大きな鍵を握っている。

アラブの春による影響を受けてはじまったシリア内戦では、シリア政府、反政府組織、ISIL、クルド系勢力が”四つ巴”の争いを呈している。さらにNATO諸国、アメリカ、ロシアも加わり、なんだかもう”ぐちゃぐちゃ”な状態なのである。

これまで480万人以上がシリアを離れ、IDP(国内避難民:Internally Displaced People)も含めると、移動を余儀なくされた人は1,000万人を超えるとも言われている。そのうち、270万人もの人がトルコに逃れてきている。

さらには一連の紛争により、28万人もの人が亡くなっている。

こうした状況ゆえ、「21世紀最大の人道危機」と言われる。溢れかえる難民により、各国は国内における難問受け入れ問題にぶつかり、EUではシェンゲン協定の存続も危ぶまれる。世界大戦後、彼らが築いてきた難民の権利、人権の保護といった倫理がゆらぎはじめている。

そんななか、3月18日にトルコとEUは、難民対策に関する合意を結んだ。トルコからギリシャにわたる不法移民を送還するかわりに、同数のトルコ国内にいるシリア難民をEU内で受け入れる、EUは難民対策費として30億ユーロの資金援助を行う、さらにトルコのシェンゲン協定加盟を進めるものである。JETROの資料に詳しい。

さらに、シリア内における戦闘行為も含め(トルコ国内で書くことは避ける)、ますますトルコはシリア問題において、重要な鍵となっているのである。

 

先日、5月23日24日、イスタンブールで世界人道サミットが開催された。MSFが参加辞退を表明したように、実用的な成果は得られなかったようである。

そして26日27日に開催された伊勢志摩サミットにおいても、十分な成果が得られなかったようである。

NGO、温暖化対策対応に厳しい評価毎日新聞

 

このように世界各国の足並みがそろわず、事態は混沌としていくなかで、わたしたちNGOの人間はどのような働きかけができるのだろうか。

残りの滞在期間、じっくりと考え、動いていきたい。

世界3大ファンタジーと言われる作品は、指輪物語ゲド戦記ナルニア国物語である。初めて指輪物語を読んだのは小学3年生の頃だったと思う。冒頭の歴史解説がどうしても難しく、しばらく読むことを諦めていたのだが、翌年改めて読み始め、食い入るように読み終わってしまったことを覚えている。

しかし、他のふたつはこれまで読んだことがなかった。先週末、ふと思い立ち、ゲド戦記を番外編までセットで購入した。

指輪物語が神話世界のある一時期を描くのに対して、ゲド戦記は大きな歴史観のなかで抜粋するように鍵となる出来事を描く。2巻まで読み、指輪物語の奥深さを再認識している。それでも世界3大と称されるように、ゲド戦記の描く世界もまた圧倒的だ。

2巻の末にこんな文章がある。

『自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは、決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。』(p233)

そして、自由を諦め、自らを他者に委ねることを選ぶ者もいると説く。真理だと思う。だからこそ、私たちは悩み考え苦しみ、それでも自由を求めていくのだ。

最近は専門書や実用書ばかりを読んでいる。仕事で求められること、将来の勉強のため、そうした目的的な読書ばかりである。確かに身になる本は価値がある。

しかし、時たま、小説を読むと世界がふっと広がる感覚になる。実用的な本はいまの自分にとって、同時にある条件下において有効な話である。真理は普遍的だ。そうした普遍的な考えと言葉を紡いでいくためには、いま実用的でないものこそ、手に取り、思考を深めていく必要があるのかもしれない。

同時に本は楽しいものだ。読まねばならぬものではない。ならば、好きな本を読み、新しい本に挑戦し、新しい世界に出会いたいと思う。