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パアンからタトン経由で、チャイティーヨーへ行く列車旅

先日、ミャンマーのカレン州パアンから、ゴールデンロックで有名なチャイティーヨーへ行ってきた。ミャンマー国鉄にも乗ってみたかったので、モン州のタトン経由で列車に乗り継いで行ってきた。

移動ルートはパアン⇒タトン⇒チャイトー⇒キンプン⇒チャイティーヨー。

ニッチなルートだろうけど、タイ側から入国しパアン経由でゴールデンロックを見に行くという人には参考になるかも。今回はタトンから列車に乗ったが、パアンからミャンマー第4位のモーラミャインまで行き、そこから列車に乗ることもできる。

パアンからタトンへ

パアンからタトン行きへの乗り合い軽トラは、パアン市内にある市場近くから乗ることができる。市場まではバイクタクシーの運ちゃんにZay Gyi(ゼイジー)と言えば連れて行ってくれる。

朝7時、軽トラの荷台に乗り込みいざ出発。タトンまでは1,500チャットで、1時間ほど。田舎道をのんびり走っていく。

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乗り合い軽トラの終点はタトン市内の市場前。歩いてすぐにShwe Sar Yan Pagodaという大きなパゴダがあったので少し見学。内部には立派な仏像が並んでいる。

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パゴダを出て、市場前で三輪バイクタクシー(呼び方が分からないけど、サイカーのバイク版)にひろう。鉄道の利用客が少ないためか、なかなか行き先が伝わらない。市場からタトン駅まで500チャット、5分ほどで到着。

9時頃に列車があると聞いていたが、切符売り場に行ってみるとチャイトー行きは10時半!ホームもほとんど人がおらずガラリとしている。

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チケット売り場。酔っぱらいっぽいおじさんがだるそうに対応。一応英語も通じた。座席のクラスはアッパークラス・ファーストクラス・オーディナリークラスの3つ。アッパークラスを選んだが、タトン駅からチャイトー駅までわずか950チャット!安い!2014年以前は外国人料金があって、正規料金の10倍ほどだったとのこと。

余談だけど、ミャンマー人は並ばない。横入り、待ち順無視は当たり前。切符売り場でも待ちレーンがあるというのに、やっぱりごちゃごちゃ〜となる。それでも、外国人だからか、一番始めに買わせてくれる優しさはミャンマー人っぽい。

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列車の時刻が近づくにつれ、閑散としていたホームにも人が集まってきた。3連休だからか家族連れが多い。

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定時を過ぎてもなかなか来ない。20分近く遅れて到着。しぶい外装。

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最上級のアッパークラスでも冷房はなし。席はまあまあ乗り心地よし。マレー鉄道に乗った際は上位クラスは外国人ばかりだった印象だが、もともとの価格が安いためか、ザ・ローカルな雰囲気。車内ではお弁当や飲みものが売られていた。

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タトンからチャイトー

知り合いのミャンマー人曰く、モーラミャインからチャイトーあたりまで、1日数本と列車の数が限られているため、運転手があまり時間を気にしないらしい。そんなわけで、結局11時頃、タトンを出発。

ガタンゴトンと文字通りの音を立てながら進む。外の景色を眺めながらビールを空ける。風が気持ちよく、快適な列車旅。に思えたが、12時過ぎてからぐんぐん気温が上がり、もう暑くてたまらない・・。窓側の左腕だけが太陽にじりじりと焼かれていく。

酷暑期の真っ昼間に列車移動はなかなか厳しい。チャイトーまで約3時間。バスで行けば、1時間半ほどと考えると、移動時間は2倍。外は乾季ならではの茶色っぽい景色が延々と続く。

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チャイトーからキンプン

ようやくチャイトー駅に到着。出口すぐのところからゴールデンロックへの起点となるキンプンまでの乗り合い軽トラに乗れる。チャイトーからキンプンまでは500チャット。

田舎道を進み、1時間弱でキンプンに到着。ゴールデンロックは翌日に観に行くことに決めて、ホテルにチェックイン。

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ゴールデンロックに泊りがけで行く場合、宿泊場所として2つの選択肢がある。

ひとつはチャイティーヨー山頂にあるホテルに宿泊。1泊100ドルほどするが、朝日と夕陽に照らされたゴールデンロックを見ることができる。もうひとつはキンプン。1泊30ドルほどから手頃なホテルが見つかるが、チャイティーヨー山頂行きの政府運営のトラックが朝6時から夕方6時までと限られているため、日中のゴールデンロックしか見ることができない。

今回は予算上、キンプンを選択。宿泊したGolden Sunrise Hotelは1泊30ドルほどながら、ミャンマーには珍しいモダンな内装で、設備も綺麗。アメニティーは最低限しかないが、レストランの味も良く、キンプン宿泊の際にはおすすめ。

キンプンからチャイティーヨー 

翌日5時半、あわよくば朝日のゴールデンロックが見られればと、朝一のトラックに乗れるようにホテルを出発。

さすがに5時半から行く人は少ないだろうなと甘く考えていたら、人人人!なぜこんなに人がいるんだと文句を言いたくなるほどに混み合うトラック乗り場。行列がいくつもできていて、どこに並べばよいのかさえよく分からない。

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トラックの料金は地球の歩き方には2,500チャットとあったけど、ひとり2,000チャットだった。荷台ではなく、車内に乗りたい場合は3,000チャット。トラック乗り場の奥に受付があるので予約できるよう。受付で乗り方を聞いたら、英語が話せるスタッフがベストポジションで待たせてくれた。

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時間になるとトラックがクラクションを盛大に鳴らしながら、信じられないスピードで乗り場に突っ込んでくる。負けじと動くトラックに飛び乗る人たち。事前にスタッフに声をかけておいて良かった・・

スタッフのいまだ行け!という合図に合わせて、トラックの荷台に飛び乗る。必死に自分の席を確保する。あまりの激しさに写真は撮れなかった。今から神聖な場所に行くというにも自我丸出しでいんだろうか・・。

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10分後、チャイティーヨー山頂へ向けてトラックが走り出す。途中で人数調整をし、20人ほどが別のトラックへ移動する。それでも残った乗車数はなんと70人ほど。しかも山頂までガンガン飛ばす飛ばす。速いのなんのって。一番端の席に座ってしまったために、カーブのたびに飛んでいってしまいそうな恐怖感。

山頂までわずか30分ほどで到着。ここもまたものすごい人。帰る人と来る人がもう大混雑。もう少し上手にオペレーションできるんじゃないかなと思ってしまう。

ゴールデンロック

参道を20分ほど押し合いへし合いで登っていくと、チャイティーヨーへの入り口が見えてくる。

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参道の途中に外国人用の入場ゲートがあるので、入場料6,000チャットを支払う。

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さらにしばらく歩いていくと、ついにゴールデンロックが見えてくる。人混みをかき分け、ようやくご対面。

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下からドーン。するっと滑ってころがっていってしまってもおかしくなさそうだが、落ちそうで落ちない不思議な位置に留まっている。どうやって裏面の金箔を貼ったんだろう。

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ゴールデンロックに向けて、参拝客は熱心にお祈りを捧げていた。

そんな様子を見ていたら、お供え物を普通に食べて、持ち帰っていた親子に気がついた。あれはなんだったんだろう。バチがあたりそう。

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願いごとか何かが書かれた鈴。

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男性限定であるが、ゴールデンロックに触れて金箔を貼ることができる。

僕もさっそく金箔を購入。手前にある柵内からはカメラも携帯電話も持ち込めないため、金箔を購入できる建物近くにある交番に荷物を預ける。セキュリティチェックを越えて、ペタペタと金箔を貼る。ご加護がありますように!

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チャイティーヨー山頂にはゴールデンロックがぽつんとあるのではなく、ひとつの村ができあがっている。参拝客用らしき大きな宿舎ががひしめき合う。

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一歩中に入れば、お土産屋さんや飲食店が延々と続く。

みんなみんな同じものを売っているが、つぶれることはないんだろうか。

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1時間ほどで1周することができる。途中にはいくつかお参りポイントがあり、洞窟内の仏像にお祈りしたり、読経していたりする人に出会った。

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11時頃になり、気温も上がってきたのでキンプンへ戻る。ゴールデンロック周辺ではみな日よけを作って休んでいる。夜通しお祈りする人もいるらしい。

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帰り道。みなせっせとやって来る。大きな荷物を運ぶポーターや、お金持ちや年配の方を運ぶ籠も。

朝はミャンマー人しか見なかったが、外国人の観光客もちらほらと。3・4月にゴールデンロックに来る場合、午後はとても暑くなるので、午前中がおすすめ。

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キンプンからパアンへ

再びトラックで爆走し、キンプンへ戻り、バスターミナルでパアン行きのチケットを購入する。価格は7,000チャット。

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キンプンからチャイトーまで乗り合い軽トラで向かい、パアン行きのバスに乗り換える。しかし、このバスがエアコンもなく、めっちゃボロ車!明らかに7,000チャットはぼったくり価格!

寡占状態なので仕方がないんだけど、チャイトーの市街地まで500チャットで行き、そこでバスチケットを購入したほうがずっと安く、良いバスに乗ることができそう。

 

キンプンからパアンまで、チャイトーでの乗り換えも含めると、およそ4時間ほどで到着。厳しい暑さに疲れたが、念願のミャンマー国鉄にも乗れたし、ゴールデンロックも見れたし、なかなか充実した旅だった。

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蜂窩織炎(ほうかしきえん)にかかった

休暇と東京本部への出勤のため、2月中旬から2週間ほど一時帰国した。

久しぶりの日本を楽しみにしていたにも関わらず、蜂窩織炎(ほうかしきえん)にかかり、結局ほとんど自宅で寝て終わってしまった。

蜂窩織炎とは虫刺されや傷口などから細菌が侵入し、真皮や皮下脂肪に到達して炎症・化膿を起こすもの。悪化すれば、意識消失や敗血症の可能性もあり、死亡率も30%ほどになるらしい。

僕の場合はミャンマーから帰国した5日後に38.5℃と急に発熱し、病院を受診し判明した。帰国後すぐということでマラリアの可能性も疑った。いつかの誰かの参考までに経過をまとめておく。

 

2月15日(木)頃

はっきりと覚えていないが、パアンやヤンゴンのホテルで左足を蚊に刺された。特に変わったものではなく、ふつうの虫刺され。

2月18日(土)

虫刺されを中心に赤く腫れが広がる。虫刺されはしこりができ、腫れは熱を帯びている。歩く際に痛みを感じるようになる。だが、以前も同じような腫れができたことがあり、あまり深刻には考えていなかった。

2月20日(月)

実家に帰省。18日から腫れと痛みが大きくなる。特にしばらく座ってから歩き出すときに激しい痛みがある。虫刺されを塞いでいたかさぶたが剥がれ、膿と思しきものと出血。少し痛みと腫れが引く。

2月21日(火)

足の付け根のリンパが腫れてきたため、地元の皮膚科を受診。が、医師にミャンマー帰りと伝えると、患部に触れもせず、抗生物質を飲んで治らなければミャンマーの病院を受診しろと伝えられる。医師の気持ちも理解しつつ抗生物質を服用開始。

夜、久しぶりに家族と温泉に行く。が、寒いのなんの。温まっても温まっても悪寒がする。帰宅後、37.9℃と発熱。後で思えば、この温泉が良くなかった。

2月22日(水)

翌朝は38.5℃まで熱が上がっていたため、マラリアの可能性を考えて、国立国際医療研究センター病院感染症内科を受診。マラリアの検査では陰性だったことから蜂窩織炎の診断。下痢はなく、頭痛と胃痛のみ。

とりあえず一安心。入院か自宅での治療か選択して良いと言われ帰宅。強めの抗生物質を服用し、月曜日に再診することになる。

2月23日(木)

熱帯性マラリアは1回目の検査では陰性になることがあると聞いていたため、熱の経過をしっかり観察。下痢などの熱帯性マラリアの症状がなく、徐々に熱も下がり、熱のぶり返しもなかったため、三日熱や四日熱マラリアの可能性もないと判断。入浴や運動は避け、とにかく寝て休養した。

2月27日(月)

ようやく平熱まで戻り、医師にも問題ないと診断される。ただ、発病から10日間は抗生物質を服用する必要があるとのこと。実際に3月2日(木)あたりまで熱っぽさがあり、頭がぼーっとしていた(決して休みボケではない)。

 

今回、①早い段階でマラリアの可能性を疑ったこと、②感染症の専門医に診てもらったことは良い判断であったと思う。急な発熱があり、さらにそれが虫に刺されてから1週間ほど経過していた時点であったため、マラリアの可能性を考えた。そして、実家がある山梨県にはマラリア診断ができる感染症内科がないことを知っていたため、東京まで行き信頼できる専門医を受診することができた。そうして、マラリアデング熱などの可能性を排除でき、適切な診療を受けられた。

日本で熱帯病が原因で亡くなる多くの人は、専門医ではない医師を受診し誤った治療を受けたことによると聞く。ついつい日本の医療は進んでいると思いがちだが、熱帯病の経験がない医師も多く、適切な医療機関にかかることが重要だ。

熱帯病の可能性がある国に行く人は、最低限の知識を身につけ、それらの可能性を疑えるようにしておくと良い。また、潜伏期間のある病気もあるので、日本や滞在先の病院情報を集めておく必要がある。そうすれば、何かあっても、少しは安心できる。

なお、日本の感染症内科はこちら。

今回僕が受診した国立国際医療研究センター病院の国際感染症センター トラベルクリニックは、帰国後の体調不良に関して24時間対応を行っている。正直なところ、医師やスタッフの患者対応はいまいち(やけに偉そう)だが、医師が2名体制で診断してくれたし、経験も豊富であろうしおすすめ。

今回は山梨から近い病院を選んだが、都立駒込病院も良いだろう。ワクチン外来しか受診したことがないが、感染症の専門医がいる。

 

しかし、何と言っても予防が一番大切だ。蚊にさされないこと、虫刺されや傷などの患部を清潔にしておくことなどで防げるものばかりだ。そして、虫刺されが腫れたときは温泉に入らない!ここ大事。

せっかくの休暇は布団の中で終わってしまったが、得られた教訓は大きい。

 

国立国際医療研究センター病院は立派な建物だった。なんと病院内にタリーズがあった!すごい。

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「僕と同じだね」

今週のお題「私のタラレバ」

もし人生に自分に対する選択と他人に対する選択があるならば、他人に対する選択で「もし、ああしていたら」「あのとき、あっちを選んでいれば」なんて毎日後悔しっぱなしだ。

 

「僕と同じだね」

先日、障がい者への聞き取り調査でフィールドへ出張した際のこと、村の学校で何人かの障がい児を紹介された。その中に眼鏡をかけた一人の少年がいた。

彼に話を聞くと、何年か前から急に近視が進み、黒板の文字が読めなくなってしまったらしい。夜は目が見えづらくなったようだが、いまは眼鏡をかけており、教室のどこからでも黒板は見えるようになった。

僕も小学3年生の頃から急に近視が進み、それらから20年弱、眼鏡が必須だ。目が良ければと思うことはあるけど、目が悪いことで困ることは多くなかったし、緊張しがちに話す彼にも近視なんて気にしなくて大丈夫だよと思った。

そんな彼に「僕と同じだね」と伝えた。

でも数秒後、ひどい言葉を投げかけてしまったとすぐ後悔した。たとえ同じく近視であろうとも、”障がい”の程度は少年と僕とは全然異なるかもしれないのに、少年の気持ちを考えずに言ってしまった。

 

障がいとは何か 

障がいとは何だろうか。その問いには長い歴史がある。その中でも「社会モデル」は様々な批判を受けながらも、現在の障がい理解の基礎となっている。

社会モデルの対比相手は医学モデル(個人モデル)だ。従来の障がい者に対するリハビリテーションは個人の生活機能を向上するために行われてきた。言い換えれば、障がいは個人の機能に起因するもので、それさえ改善されれば、障がいは改善されるという前提で行われていた。

 

一方で、社会モデルは、個人の機能不全をImpairment、社会にある障壁をDisabilityと定義し、人は社会によってDisabledにされると考える。例えば、車いすを利用している人がバスに乗れなかったとする。これは乗車に必要なスロープや、十分なスペースが社内にないからこそ起こるものであり、個人のImpairmentに原因あるのではなく、社会によって”できない状況”にさせられているということ。

さらに社会モデルは、Impairmentは社会のDisabilityに直面して、はじめて認識されると考える。歩けないことはそれ自体でImpairmentとなるわけではなく、日常生活を送る、外出する、学校に行くなどの社会参画を行うとき、Disabilityによって何かができない状況にさせられることで、個人のImpairmentにはじめて気づく。

僕のように近視だとしても、日本であれば眼鏡やコンタクトといった補助具が手に入るし、眼鏡が差別の対象になることもない。言わば、Disabilityはとても少なく、それが個人の機能不全だと認識することはほとんどない。

しかし、祖母の話を聞けば、何十年前、田舎では近視の女性は”お嫁に行けない”ことがあったらしい。そのため、家族は女性が近視であることを隠していたこともあったという。社会や時代が違えば、Disabilityも、それによって認識されるImpairmentも異なる。

 

この視点を持って考えれば、前述の少年と僕が直面するDisabilityは同じではなく、それによって認識されるImpairmentも違うだろう。彼は眼鏡をかけていることでいじめを受けているかもしれないし、眼鏡を購入することで家族の経済状況は大変かもしれない。正しい知識がないゆえに、先生からは”障がい者”として見られていることに、彼の自尊心が傷ついているかもしれない。

たかが数分の会話で僕は彼の状況を知った気になり、「僕と同じだね」という残酷な言葉を投げかけてしまった。

 

他人に対する選択

自分に対する選択に後悔しないのは、それによって影響を受ける相手が自分であり、どうとにも解釈し受け入れることができるからだろう。しかし、他人に対する選択で後悔するのは、それが容易に相手を傷つけたり、信頼を損ねたりしてしまうからだ。

相手に対する誠実な姿勢、深い理解、適切な背景知識。

ひとつ欠けていれば、すぐさま無配慮の言葉や態度に表れる。他人に対する選択はそれらがいかに自分に欠けているかを痛感させ、落ち込ませ、「なんでこうしてしまったのだろう」と後悔させる。

こうした後悔を少しでも変えるには、相手に対する誠実な姿勢、深い理解、適切な背景知識、それらを鍛えることでしか成せないのだろうと思う。

 

乾季のパアンの朝は美しい。濃霧がぼんやりと朝日に照らされる景色が好きだ。

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Community Based Rehabilitationの評価手法

Community Based Rehabilitation(地域に根ざしたリハビリテーション)は、障がい者個人を対象とした専門的支援を提供するのではなく、限られた地域資源を活用しながら、障がいのあるなしに関わらず、均等な機会を得られる、障がい者を含めた社会的包摂を実現するアプローチである。

中西由起子さんの「根ざしたリハビリテーション(CBR)の現状と展望」という論文では、CBRの意義として、①障がい者の生活の質の向上、②適正技術の移転、③地域社会の意識の向上、④障がい者のエンパワーメントを挙げている。具体的には、5つのカテゴリー・25の活動分野を自在に組み合わせながら、複合的な活動を行っていく。

概念が提唱されてから40年以上が経ち、現在100カ国以上で実践されている。

CBRが抱える問題

CBRが障がい者を含むコミュニティ主体で行う大前提を持つにも関わらず、”支援者”が障がい者を一方的な”被支援者”と見ており、計画・実施に障がい者自身が参画していないという批判がある。

また、一般化された評価指標がないために、エビデンスにもとづく評価がなされたCBRの事例が積み重なっていないことも指摘されている。確かに多くのCBR事例では、25の活動分野のうち、どの活動をどのように行ったかという点までしか記載されていないことが多く、果たしてその手法が有用であったか、他事業へ展開可能であったかなど、十分な評価と分析がなされていない印象が強い。

評価があったとしても荒いビフォー・アフター評価で、信頼に値するものはとても少ない印象だ。これはCBR事業だけでなく、ほとんどすべてのNGOの事業で当てはまることだろう(そういえば、前職で受けた地方行政の仕事はまったくといってよいほど、セミナーを何回やって何人参加したといったアウトプット記載に終止していた)。

ディーン・カーランが「善意で貧困はなくせるのか?―― 貧乏人の行動経済学」で述べているように、その程度の評価をするのであればいっそやらないほうがマシというのも頷ける。

CBRの評価手法

一方で、実務者の立場からすれば、限られた予算と時間の中で、どうにか自分たちの事業が本当に成果を生んだのか調べねばならないし、そこまでして初めて受益者と支援者に対して責任を取ることになると思う。

CBRで活用可能な評価手法はどんなものがあるだろうか。

ひとつにWHOが2015年に発行した”Community-based Rehabilitation Indicators Manual”がある。CBRガイドラインにもとづいた事業を評価しましょうというものである。

この評価ガイドラインは次のふたつを目的としている。

Capturing the situation of people with disability in the communities where CBR is implemented.

Capturing differences between adults, youth and children with disability, and those without disability in the areas of health, education, social life, livelihood and empowerment.

具体的には5つのCBRカテゴリーに対して、健康状態への満足度や意思決定の機会があるかなど基礎的な指標として13項目と、より具体的な指標の27項目から評価する。またその指標に必要な情報を得るために、8つの基礎的な質問と、30の具体的な質問が設定されている。各指標と質問は簡潔でとても使いやすい印象だ。

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WHO(2015)Community-based Rehabilitation Indicators Manual, p4

また、男性・女性・男子・女子のそれぞれの分類を設け、障がいを持っている人と、障がいを持っていない人を比較するところも特徴だろう。

例えば、日常生活において大きな選択を自分自身で行ったかという設問に対して、それぞれの回答を比較する(下図参照)。すると、最も否定的な回答は女子であったものの、障がいのあるなしで比較すると、女性で最も大きな差がある。

つまり障がいとは別の理由で女子が脆弱な状況にあるものの、障がいあるなしによって女性が最も自己選択の機会を阻まれている。CBRが平等な機会を目指すのであれば、後者の差こそ小さくすることが成果として言えるのであろう。ただ、CBRはコミュニティの社会的包摂を促していくもので、結果的に女子の選択機会の向上にもつながると思われる(あるいは、女子と男子の機会選択の差異を問題としてみることもできるだろう)

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WHO(2015)Community-based Rehabilitation Indicators Manual, p35

簡潔で扱いやすい印象のある指標だが、CBRの成果をすべて捕らえるのは難しいだろう。基本的な手法と基礎的な設問を参照しつつ、事業独自の指標を追加し、カスタマイズしながら使うのが良さそうだ。

この他にも評価方法は様々なものがあるだろう。いずれにせよ、評価なしでは自分たちの事業が果たして有効であったか知ることはできないし、いくら事業の良い点を挙げようともそれは主観的な解釈でしかない。評価→改善→評価・・・と繰り返していく上に、信頼にたる事業が生まれていくのだろう。

ヤンゴンの新しいバス路線YBSに乗ってみた

2017年1月16日、ヤンゴンのバス路線が一新されて、Yangon Bus Service(YBS)という新しい仕組みに変更された。

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これまで運用されていた約300路線は61路線に縮小され、バスの台数は7,800台から3,700台へと削減。以前は郊外から市街地へ1本で行けたが、市街地の周回バスへ乗り換えなければならないことになった。

約1週間前に急遽、アナウンスされたYBSへの移行で、バス利用者は大混乱。朝と夕方のバス停は多くの人で混雑していた。

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さっそくYBSに乗ってみた

1月18日、ちょうどヤンゴンへ出張していたので、バスに乗ってみた。

YBS移行に合わせてか、YBSと書かれたキャップをかぶっているスタッフがおり、新しい路線図を配りながら、利用者の案内をしている。どのバス停にも5人ほどのスタッフがいて、どのバスを乗れば良いか教えてくれる。

もちろん路線図はビルマ語のみ。案内スタッフに目的地を伝えると、ちょうどバス停に入ってきたバスに乗れと教えられる。

乗ったバスは年季の入ったボロバス。渋滞のひどい道をのろのろ進むなか、エアコン付きのバスに乗れば良かったと少し後悔する。運賃は200チャットで一律。

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ミャンマー人の知り合いは、YBSの導入によりこれまで1路線で行けた場所が2路線に増えた、これまでよりも通勤時間や通勤費がかかると言う。決して十分満帆の船出とは言えないYBS。市民の不満に対して、ヤンゴン政府は改善を約束すると伝えている。

一方で、ボランティアにより無料のバスが運行!困ったときはお互いさまの精神なのか、特にバスが足りていない路線を補っている。さらにフェリーやタクシーまでもボランティアで。さすがミャンマー。今週いっぱいは遅刻してもOKの会社も多いとのこと。ミャンマーいちの大都市でさえ、この柔軟性と共助の文化、これこそがミャンマーに住んでいておもしろいところだ。

ヤンゴンの渋滞対策

ヤンゴンでは特に通勤・登校の朝、下校の昼、退勤の夕方から夜は渋滞がひどい。無数のバスとタクシー、通勤や通学に使われる個人の車。車の輸入が制限されていた軍事政権が終わり、マイカーを持つ人口が急激に増えた結果だ。自動車登録台数は、2015年には2011年の2倍に増加したとのこと。

ただでさえ交通マナーが悪く、路上駐車や二重駐車により、渋滞は悪化する様相だ。交通システムの未整備も大きな課題。

そういた状況に対して、今回のYBS導入は渋滞対策としては、とても大きな一歩であると思う。今後、タクシーやスクールバスのルールも変更されると聞く。ヤンゴンに来るたびに何かしら変化が見られるが、急激な開発のなかで、市民を悩ませる渋滞はどのように解消されていくだろうか。

おまけ:YBSの路線 

バス亭で配られている路線図。

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裏面は各路線がどのバス停に停まるか書かれている。

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バス停で配られている路線図はこんな感じ。YBSの公式サイトでも各路線がバス停に停まるか調べることができる。

路線図を読むちびっこ比丘尼さん。

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