ミャンマーでデング熱にかかった
以前は子どもがよくかかる病気と考えられていたようだが、今ではどんな年代でもかかるようになったと聞く。
つい先日、27歳になった僕もデング熱にかかってしまった。
おそらく人生で2回目。おそらくと言うのは、フィリピンでデング熱らしき症状が出たのだが、病院がなかったため検査ができず、自己療養で治したからだ。
おそらく2回目のデング熱に罹った2週間の備忘録。
いきなり発熱。
7月7日(金)、知人の離任を見送るべく参加した夕食会の途中、いきなり急なめまいと悪寒が始まった。寒いったらありゃしない。そのまま発熱し、身体の節々が痛む。
実は、その2週間前から夏風邪を引きずっていて、咳や微熱が続いていた。免疫が落ちていたからこそ、デング熱に罹ったのかもしれない。だが、その状況が余計に単なる夏風邪が悪化しただけと思わせ、土曜日は病院にも行かず休んでいた。
体温計が手元になかったのだが、後々思えば、39℃台の熱が出ていたと思う。
デング熱感染が発覚。
たまたま9日(日)からヤンゴンへ出張だった。パアンには清潔で信頼できる病院はなく、インターナショナルクリニックを受診するにはヤンゴンに行かねばならない。
いわゆる小康状態に入ったのか、身体が少し楽になったこともあり、ヤンゴンへ行くことにした。バスで6時間移動し、そのままLEO Medicareを受診。
医師いわく、どうやら何かしらのウイルスに感染しているよう。熱は38.4℃。血液検査をしてみると、思いもかけなかったデング熱が陽性。単なる夏風邪だったと思っていたのに。
ただ、この時点で血小板数は160,000ほどと基準値を上回っている。しばらくホテルでの療養となり、2日後に再検査となった。
本気のデング熱。
熱は38度半ばあるのに身体は思ったより軽い。デング熱はこんなものか。
そんなことは勘違いだった。10日(月)からは、頭痛・眼窩痛・関節痛がよりひどくなり、下痢・食欲不振・腹痛も同時でやってくる。食べなければならないのに食べられない。身体がしんどくて眠りたいのに、身体が痛くて眠れない。そんな状況が延々と続く。
11日(火)には血小板数は121,000に下がる。翌日12日(水)からは吐き気がひどくなり、嘔吐が続くために寝てもいられない。この吐き気からの嘔吐の繰り返しが一番しんどかった。いよいよ水分も取れなくなり、辛うじて取れても、下痢と嘔吐ですべて出ていってしまう。
13日(木)の時点で、ついに血小板数が45,000と下がって、出血の可能性が出てきたため、医師から入院指示が出される。
しかし、ヤンゴンにはインターナショナルクリニックで入院できるところがない。受診していたLEO Medicareでも、クリニックが入っているビクトリア病院というローカル病院に入院せねばならない。だが、ビクトリア病院に入院するにも、ミャンマー人24時間付き添い、1,000ドル事前デポジット、血清がすぐ手に入るかわからないという無理な条件。
しかも他の病院を紹介することもできないこと。医師からはビクトリア病院に入院するか、入院を拒否するかの二択のみ提示される。そこで同僚の勧めがあり、バンコクの病院へ入院を決定。入院を拒否し責任は自分で負いますという誓約書を書かされる・・。
バンコクの病院へ入院。
13日(木)夜、同僚の同行のもと、バンコクへ向かう。この時点で血圧がだいぶ下がっており、少し歩くだけでめまいと吐き気に襲われる。ヤンゴンで一度、点滴をしたものの、体力も落ちていて、ふらふら。
バンコク空港に設置されている病院の窓口で、予め予約していた専用車に乗り、一路バムルンラード国際病院へ。緊急外来を受診し、即入院決定。到着から2時間後には、綺麗なプライベートルームに案内された。素早い判断と丁寧な対応に驚く・・。
この時点で、同日午前中、38.9℃もあった熱がなぜか36℃台に下がっていた。重症っぽく来たけど、全然大丈夫じゃんみたいな雰囲気を感じていたが・・症状は変わらず、吐き気も身体の痛みもひどかった。
それと、正直なところ、入院さえすれば、ゆっくり休めると思っていた。だが、看護師は2時間ごとにやってくるし、落ち着かないったらありゃしない。しかも、なぜかベッドがものすごいかたい。ただでさえ、関節痛がひどいのに、身体が痛くてたまらない。入院なんてしないほうが良かったと猛烈に後悔しながら、1日目を過ごした(後々、もっと早く入院すれば良かったと思うようになるのだが)。
バンコクの病院素晴らし。
14日(金)、血小板数は36,000まで下がる。歯ブラシ使用禁止、ひとりでベットからの移動禁止などの出血防止策が出される。もし転んで頭でも打ったら、脳内出血する可能性があるらしく、非常に危険らしい。出血の有無をよく聞かれるものの、幸運にも出血熱の傾向は見られなかった。
ちなみに一度だけ、我慢できずに歯ブラシで歯を磨いたのだが、すぐに歯茎から出血したのでびっくりして止めた。
ただ、シャワーはOKらしく、病室の綺麗なシャワー室で、ふかふか綺麗なタオルも準備され、良い気分転換になった。ベットがかたすぎると伝えたところ、シャワーを浴びている間にふかふかのマットレスに変わっていた(今度は柔らかすぎて腰が痛くなったのだけど)。
その夜、再び熱が38℃を超える。2日ぶりの高熱にもがき苦しむ。
15日(土)、血小板数がついに上がった!こんなに嬉しい出来事は久しぶりだ。
この頃から手足がとても痒くなり、斑点が出てくる。特に足の斑点がひどく、全体が紫色がかった赤色になり、看護師さんたちも驚く。ひとりからは形態で写真を撮らせて欲しいと言われたが、あんな写真どうするんだろう。
それでも、看護師さんの対応も、医師の対応もとても良かった。あとこのくらいの日数で良くなるはずだよと、笑顔で言ってもらえることが、何にも増して安心するものだ。苦しいときにすぐ心地良く対応してくれ、ずいぶん救われた。
病院食も日本食を選ぶことができ、15日(土)から少しずつ食べられるようになった。ほぼ1週間ぶりの食事。と言っても、野菜の煮物とかくだものだけだけど。
ついに退院。
16日(日)、血小板数が72,000に上がり、ついに50,000という危険値を抜けたことから、退院できることに!ずっと点滴を打っていたこともあり、体力も少しずつ戻ってきた。
諸々手続きを終えて、お昼過ぎに退院。ちなみに入院費用は4日間で約15万円。さすが一流の国際病院でした。かなり痛い金額だが、保険が適用され支払いはなし。
18日(火)、2日間バンコクで休んだ後、ヤンゴンへ戻った。再びLEO Medicareで検査したところ、血小板の値は200,000超え!人間の回復力はすごい。
今回、出血熱にならなくて本当によかったと思う。
その後。
19日(水)にはパアンへ帰ってきた。ようやく食欲が戻ってきたのだが、さすがに1週間近くほとんど食べられなかったため、体重は3キロ以上減り、体力もずいぶん落ちたようだ。デング熱は肝臓にも負荷がかかるらしく、しばらくアルコールも辛いものも禁止。
1週間ほどのんびり休みつつ、体力を戻していかないといけないようだ。
21日(金)には微熱が出て、右耳下のリンパが腫れきた。なんだろう。デング熱は後遺症がないと言われているが、回復後に微熱が続いたり、髪の毛が抜けたりすることがあるらしい。そのひとつなのだろうか。
発症から3週間経った22日(土)でも、いまだに身体がだるかったり、斑点が綺麗には消えていなかったりする。いまだウイルスが残っているのだろうか。しばらくはしっかり休みながら、様子を見ることにする。すっきりと良くなると良いんだが。
今後に向けて。
もうこんなしんどいデング熱なんて二度と罹りたくない。
できることは蚊対策しかなく、デング熱を媒介するネッタイマシカは特に早朝と夕方に活発だ。虫よけスプレーや蚊取り線香はもちろんのこと、長袖長ズボンで防ぐこともできる。特に雨季は甘く見ず、対策をせねばならない。
万が一、ミャンマーでデング熱に罹った場合、ローカル病院を受診することも可能ではあるが、衛生状態や医療レベルの面からおすすめできない。ローカルのクリニックは外国人さえ受け入れてくれない。検査であれば、ヤンゴンのLEO MedicareやInternation SOSなどのインターナショナルクリニックを受診することをおすすめする。
入院が必要になった場合、海外保険が適用されるのであれば、動ける早い段階でバンコクや日本の病院へ移動するほうが良いだろう。特にバンコクの病院であれば、デング熱患者も多く、よっぽど日本の病院より安心である。今回利用したバムルンラード国際病院やバンコク病院は日本語対応もあるし、おすすめだ。
最後に。
今回、同僚や東京本部の人に本当に心配も迷惑もかけて反省。それと全力でサポートしてくれたことへの感謝の思い。あの状態でバンコクへひとりで移動して入院なんて厳しかった。
ヤンゴンとバンコクの医師も看護師も親身に対応してくれて救われました。
皆さま、本当にありがとうございました。
インドネシア・ジャワ島旅行記④ 秘境カリムンジャワ、辿り着けず・・・
カリムンジャワ国立公園。
ジャワ島の情報を調べていたときに偶然見つけたビーチリゾート。あまりビーチやリゾート地に興味のない僕は、普段であれば軽く流してしまっただろう。しかし、27の島々で成るカリムンジャワ島は手付かずの自然が残り、サンゴ礁が広がる美しい海にはイルカやウミガメが生息する。しかも”アクセスが悪い”らしい。旅 ≒ 移動な僕にとって、これこそ惹かれる旅行先はない。行ってみるしかない。
引用:Karimun Jawa | Raja Wisata – Biro Perjalanan Wisata
ジョグジャカルタからスマランへ
カリムンジャワの情報が分かりやすくまとめられているインドネシア中部ジャワ州観光局情報サイトによれば、カリムンジャワへはスマランという町から2時間ほどのジェパラ港から船に乗ればいいらしい。ただ、毎日運行しているわけではないため、旅の日程上、もうひとつの選択肢であるスマランのケンダル港発の船に乗らねばならない。そこで、まずはジョグジャカルタからスマランへ向かうことにした。
ホテルをチェックアウトし、ジョンボールバスターミナルへ向かう。到着すると、ボロブドゥール行きのバスに勧誘するおっちゃんたちがワラワラ寄ってきた。スマランに行きたいと伝えると、急に興味を失くし、ターミナルを教えてくれた。どうやらスマランに行く観光客は少なく、ここで儲ける気もないようだ。
スマランまではエアコン付きバスで45,000ルピア。6時過ぎから17時前までほぼ1時間おきで出ているようだ。バスの乗り心地もよく景色を眺めているとあっという間だ。
3時間ほどでスマランのTerboyoというバスターミナルに到着する。ただ、ここのバスターミナル、市内からかなり離れている上に、治安もあまり良くないと聞く。ジョグジャカルタからのバスは市内の外れのバスターミナルで停まったあと、高速道路に乗り、市内を通らずにこのバスターミナルに向かう。
市内に向かうのであれば、Terboyoバスターミナルではなく、Banyumanikという別のバスターミナルで降りると良いらしい。後日もう一度、バスでスマランに来ることになるのだが、そこでトランススマランで市内に移動した。その方がずいぶん時間が節約できた。
Terboyoバスターミナルからも、市内を結ぶバス路線のトランススマランが出ていて市内に行ける。価格は一律3,500ルピア。トランスジョグジャにトランススマランと、インドネシアの市内移動は便利で安くて助かる。Balai Cotaという駅で1度乗り換えをして、予約したホテル近くのSimpang Limaまで行く。
トランススマランの路線図。途切れているけれど・・
スマラン発の高速船は・・
ホテルにチェックインし、フロントに翌日のタクシーの手配を依頼する。それと、念のため、高速船の空き情報を確かめるため、運行会社にも電話をしてもらえるようお願いする。
カリムンジャワのホテル情報を調べながら待っていると、フロントのお兄さんが「明日ケンダル港からの高速船はありません」と。
え~~~~!
なんとスマランのケンダル港からは土曜日しか船が出ていなかった。火曜日と木曜日の船は一時的なキャンペーンで、火曜日の船はジェパラ発に変更、木曜日は休船となったらしい。ああ、もっと早く確認しておけばよかったなあ・・今回の旅、3度目の後悔。
スマランからジェパラまではバスで3時間、タクシーで1〜2時間ほど。木曜日は偶然ながらジェパラ行きのフェリーは出ている。翌日ジェパラ発の高速船に乗ってもどうにか帰ってこれる。
この時点で取りうる選択肢は3つ。
①翌日、朝一でスマランからジェパラに向かう
②今すぐホテルをチェックアウトして、ジェパラに向かう
③諦める
散々迷って・・①を選択。次に移動手段をどうするか。これもまた3択。
①タクシー:150,000〜200,000ルピア、いつでも
②乗り合いバン:50,000ルピア、朝6時以降
③バイクタクシー:100,000ルピアほど、いつでも
①が確実で、②は船の時間までに到着できない可能性があり、③は最も事故のリスクが高い。どれも一長一短なのだが、懐事情を考えて、結局フロントのお兄さんが紹介してくれた②乗り合いバンで行くことにした。
待てど暮らせど・・
翌朝、約束の6時前にはホテルをチェックアウトし、ホテル前で待っていた。
が、待てど暮らせど、一向に約束したバンはやってこない。フロントから運行会社に電話してもつながらない。そうして6時を回り、6時半を過ぎ・・
ついにジェパラまで行けないことを悟った。カリムンジャワどころか、ジェパラにも辿り付けなかった。
自分の情報と準備不足ゆえなのだが、さすがに約束したのに来なかったバンに対する行き所のない怒りと、目的地であるカリムンジャワに辿り付けなかった悔しさが入り混じり、妙に落ち込んでしまった。
カリムンジャワ行きの注意点
カリムンジャワへの渡航を考えている方は、高速船やフェリー会社への運行スケジュールとチケットの残数の事前確認を忘れずに。当たり前のことなのだが、僕の場合は確認が遅くなり、結局たどり着けなかった。
Webサイトではほとんどアクセス情報が掲載されておらず、最新情報でない可能性もあるので、現地で情報収集することが重要。
ツアーで行くこともできるらしく、料金は100,000ルピアくらいから。日程が限られている場合は、ツアーの方が確実かもしれない。
ぜひ行かれた方、最新情報を教えてください。
スマランのホテルからは街並みが見渡せた。伝統的な瓦屋根の家が多い。
次編に続く・・
できることをやる。
先日、こんな話を聞いた。
ある時、とある神父さんが海岸を歩いていると、大量のクラゲが打ち上げられていることを見つけた。大変だと驚いた神父さんは急いで海に返そうとする。でもあまりの数にひとりではどうしようもできない。どうにか3匹だけ救えた神父さんに、近くを通りかかった町の人が尋ねる。「全部を助けられないのに、なぜその3匹だけ救うんだ」。神父さんは返す。「自分ができることをしたまでだ」。
何のひねりもへったくれもない話である。ミャンマー人スタッフが教会かどこかで聞いてきたのだろう。何とも素直なオチだ。
だが、よくよく読み返してみると、おもしろい話にも見えてくる。さて、神父さんが「できること」はクラゲを"3匹"だけ海へ返すことだったのだろうか?
大量のクラゲと聞いて、小学生2年生の頃、海へ友だち家族と行ったことをふと思い出した。8月も終わりに近づき、山梨からわざわざ訪れた海には大量のクラゲが発生していた。海岸を埋め尽くすかのようなクラゲ、クラゲ。海になんて入れるわけがない。
僕も無邪気な子どもだった。打ち上げられたクラゲを捕まえては投げてみたり、砂に埋めたり、救うどころかクラゲを散々いじめていった。あの数え切れないほどのクラゲの様子はいまでも思い出す。
話は逸れたが、神父さんができたことは、ひとりで3匹のクラゲを救うことではなかったはずだ。開発分野でよく聞かされた話がある。川の上から赤ちゃんがどんぶらこどんぶらこと流れてくる。救っても救ってもキリがない。上流に見に行ってみると、赤ちゃんを流している人を見つけた。あんまり具体的に覚えていないが、根治療法の重要性を説いた逸話である。
じゃあ、冒頭のクラゲ救出物語の場合はどうだろうか。やはり同じく対処療法と根治療法があるはずだ。
クラゲを救う対処療法と根治療法
対処療法では、打ち上げられたクラゲをどう救えるかということが視点になる。ここで神父さんがより多くのクラゲを救うためには、まず道具があると良い。網があれば一気にクラゲを移動できるし、バケツがあれば、水をクラゲにかけてちょっとは延命できるかもしれない。
それにひとりでできることは少ない。水族館に連絡をして専門家に助けてもらったり、町の人にボランティアとして手伝ってもらったり、はたまたメディアやSNSで取り上げてもらって関心を高めたりと、よりクラゲを多く救う行動ができるはずだ。
一方で、根治療法はクラゲが打ち上げられないために何ができるかということだ。正直なところ、僕もなぜクラゲが海岸に打ち上げられるか知らないのだが、まず根治療法では原因を探ることから始まる。課題と原因を紐解き、どこを解決すれば最も打ち上げられるクラゲが最も減るかを知り、具体的な対策を行っていく。
根治療法は時に時間がかかるものだ。1回目に打ち上げられたクラゲは救えないかもしれない。でも2回目は打ち上げられるクラゲを減らして、対処療法よりももっと救えるかもしれない。根治療法のアプローチを行いながらも、対処療法を同時に行うことはとても意義がある。
あなたができることは何か
そう考えてみると、打ち上げられた神父さんはすぐクラゲ救出に取り組むのではなく、まず助けを求めるべきだったと思う。途中で誰か1人合流してくれたら、少なくとも3匹+2匹は救うことができる。さらにその人がバケツや網を持ってきてくれて、クラゲの寿命が2倍になり、1匹あたりの救助時間が半分になれば、1匹+2匹✕2倍✕2倍✕2人=17匹を救えることになる。
さらに救助後、クラゲが打ち上げられた理由を探り、試しにひとつの案を試してみたところ、例えば、打ち上げられる数が10%減ったとする。当初は100匹が打ち上げられていたが、90匹に減った。
対処療法と根治療法の合計数を足してみると、27匹を助けることができ、なんと神父さんがひとりで助けるときよりも、9倍ものクラゲが助かる。
冒頭の逸話は「できることをしなさい」の前に、「あなたができることは何なのかを見つけなさい」というとても根幹的な投げかけを含んでいるのではないだろうか。
課題を社会化する
さらに逸話では、懸命にクラゲを救おうとする神父さんを町の人があんなひとりじゃ救えないよと蔑む。あるいは、もしかしたら、そもそも町の人にはクラゲを救うという行為自体が滑稽だったのかもしれない。
そこで必要なことが「課題の社会化」である。産後の母体ケアに取り組むマドレボニータという団体は、活動開始当初、誰も関心を持っていなかった産後の母体の状況や育児環境に対して疑問を投げかけ、それが社会の解決するべき問題であると示していった。
言わば、クラゲを救うどころか、それが問題と捉えられない人に助けを求めても助けは得られない。そもそもクラゲを救うことへの意義を見出していないからだ。そこでクラゲの存在価値を伝え、保護の意義を示していく。そうすることで、「クラゲの打ち上げ問題は重要だ。みんなで取り組むべきだ」という空気を醸成していくことができる。
つまり冒頭の逸話はもうひとつ別のメッセージを含んでいて、「クラゲを救う意義を考えなさい。そしてそれを社会化しなさい」ということだ。
できることをやる。
私たちはできることからしかできない。しかし、できることをやるという気持ちさえあれば、できることはきっと広がっていく。大きくなくてもいい。小さくできることを始めて、そのできることを広げていくだけだ。
3匹しか救えないなら、何もしなくていいという考えていたらどうだろう?それは単なる思考停止で諦めに過ぎない。こういう考えが広がっていった先には、誰もが誰に対しても無関心で、関係性が失われた社会しか残らないのではないかと思う。
ガンジーは言ったという。
Find purpose, the means will follow.
目的を見つけよ。手段は後からついてくる。
クラゲを救う、この目的さえ見失わなければ、手段はいくらでもついてくる。
インドネシア・ジャワ島旅行記③ ボロブドゥール遺跡サンライズツアーとジョグジャカルタ観光
ボロブドゥール遺跡サンライズツアー
翌朝は4時に起床。今回の旅の目的のひとつ、ボロブドゥール遺跡のサンライズツアーに参加する。ゲストハウスから専用車でマリハナホテルまで向かう。
ツアーはゲストハウスのフロントで予約ができ、料金は450,000ルピア。400,000ルピアと聞いていたけど、どうやら値上がりしたよう。ちなみにツアーと言っても、ガイドがいるわけではなく、受付後はルートにしたがって各自歩き、各自解散というもの。
受付で懐中電灯を受け取り、ボロブドゥール遺跡の頂上へ登っていく。
月夜に照らされる姿も味がある。
5時半には頂上で日の出を待つ。思いの外、参加者が多く、良い場所から埋まっていってしまう。なかなかいい値段がするからか外国人ばかり。
頂上からはインドネシアでも最も活動的な火山と言われるムラピ山が一望できる。噴煙がぼんやり見え、幻想的な雰囲気だ。
徐々に夜も明け、ついに日の出。
日の出後はゆっくりモチーフを見て回ったが、金銭的に余裕があればガイドをつけた方が良いように思う。ガイドも予備知識もなしだったから、モチーフの意味や背景などはわからなかった。
全体を見終わった頃にはすっかり日も昇り、一般の観光客が増えてきた。
ボロブドゥール遺跡は1時間あれば十分に見て回れるこじんまりとした遺跡だった。正直なところ、サンライズツアーに参加しなければ、この遺跡の印象は薄いかもしれない。少し割高だが、奮発してサンライズツアーに参加し、できればガイドの説明を受けながら、レリーフや歴史を味合うのが良いように思う。
ボロブドゥールからジョグジャカルタへ
ゲストハウスをチェックアウト後、ジョグジャカルタへ向かい、市内の観光地を巡ることにした。インドネシアのゲストハウスやホテルはタイなどに比べて割高な印象だが、チェックアウトが12時までというところが多く、朝観光してからチェックアウトができるところがありがたい。
ボロブドゥールのバスターミナルに行くと、まさにジョンボール行きのバスが出発するところ。念願かなって(?)、昨日乗り遅れたローカルバスに乗ることができた。料金は25,000ルピア。
今回の旅行で立ち寄ったジョグジャカルタやジョグジャカルタなどでは、9時頃から渋滞が起こり始め、夕方までひどい渋滞が続いていた。午前中早めの時間に移動すれば、あまりストレスを溜めないでスムーズに移動できると思う。
ジョグジャカルタ市内
1時間ほどでジョンボールバスターミナルに到着。トランス・ジョグジャでクラトン(王宮)まで向かう。
王宮の右手に入場ゲートがあり、チケットを購入できる。料金はカメラ持ち込み料を含めて数千ルピアだったが、正確な金額を忘れてしまった。
正直なところ、見どころはあまりなく、僕が行ったときには無給のボランティアとして王宮を守るスルタン家臣の子孫たちもいなかった。
王宮内に入ってすぐに人形が所狭しと並べてあるのだが、それぞれの説明もなく、誰が誰なのかさえよく分からなかった。ただ、位の高い女性を腕だけで支えている男たちの像を見つけ、思わず撮ってしまった。めっちゃしんどそうだが、お尻はさわり放題。
その後、王宮から歩いてすぐのブリンハルジョ市場へ向かう。
ほとんど観光客はおらず、インドネシア国内からの観光客や住民で賑わっていた。衣類や食品が主で、特にめぼしいものは見つけられなかった。
ブリンハルジョ市場が位置するマリオボロ通りはジョグジャカルタで最も賑わう街だ。お土産屋さんから飲食店、屋台が並ぶ。ここの良いところは良心的な価格だ。高めの金額がふっかけられても、そもそもその金額が許せる範囲であったり、あまり苦もなく値引き交渉ができる。
僕はここでTシャツを2枚買った。価格は50,000ルピアと80,000ルピア。ルピアは単位が大きく散財した気持ちにいつもなるが、日本円に換算すると400円と640円ほど。質も悪くない。
フルーツジュース屋さん。10,000ルピアしないくらいで飲める。
また路上では至るところでライブパフォーマンスも行われていた。たまたま見つけたAngklung Malioboroというグループがとても格好良かった。竹を何重にも重ねて作られている楽器の音色がとても綺麗だったのだが、何という楽器だろう?
馬車も至るところにある。観光客向けの乗り物なのだろうか?
気付けば日も落ち、マリオボロ通りも昼間と違った顔を見せる。
お洒落なバーや飲み屋さんがいかにもありそうな雰囲気だが、なんたってここはインドネシア。お酒を飲める場所は本当に限られている。この日、ビンタンビールというインドネシアのビールに辿り付けたが、大瓶で50,000ルピアほど。高い高い。
一歩裏路地に入れば、ガラッと落ち着いた雰囲気に変わる。ゲストハウスも多く見かけたので、宿はジョグジャカルタに来て見つけるでも良いかもしれない。
ちなみに夕食を食べたお店はこちら。僕が行った時には15分ほど並んだが、雰囲気も料理の味も良くおすすめ。
次編に続く・・・。
インドネシア・ジャワ島旅行記② ジョグジャカルタ・プランバナン寺院群を見る
旅って人それぞれ色々な楽しみ方がある。リゾート地でゆっくりとした時間を過ごす人もいれば、買い物や食を楽しむ人、安宿を渡り歩く人。
僕にとって旅の醍醐味は新しい土地に行くことだ。バスや電車を乗り継いでまだ見たことのない町に行く。単に移動が好きということもあるけれど、見知らぬ地でその雰囲気を肌で感じ、ローカルな料理を食べ、すれ違う人と一言二言交わしていく・・。そう漂流するような旅が好きだ。
ジャカルタからジョグジャカルタへ
今回の目的のひとつ、ボロブドゥール遺跡を観に行くため、ジャカルタからジャワ島中部に位置するジョグジャカルタへ向かう。ボロブドゥール遺跡は世界最大級の仏教遺跡であり、カンボジアのアンコールワット、ミャンマーのバガンと並んで、世界三大仏教遺跡と言われている世界遺産だ。ジョグジャカルタから車で1時間ほどのところにある。
ジャカルタからジョグジャカルタへはバスや鉄道といった選択肢があるが、時間の節約のため、飛行機で向かう。インドネシアで人気のLion Airを試してみたかったが、安いフライトすでに売り切れていた。再びAirAsiaを利用。
ちなみにバンコクからはジャカルタで入国せずに、トランスファーができたんだけど、チケットが割高だったことと、前日の移動が長かったため、しっかり休みを取れるようホテルに宿泊したかったことから翌日の便を別々に予約した。社会人旅行ならでは、疲れて帰っては仕事に支障が出てしまうので、どうしても体力を温存することに気を使ってしまう。
ジャカルタからジョグジャカルタまでは1時間ちょっとで到着する。着陸直前に眼下に広がった、噴煙を上げるマウピ山とその麓に広がる街並みはとても美しかった。(離発着時には電子機器が使えず撮影できなかった泣)
プランバナン寺院群
ジョグジャカルタ近郊にはボロブドゥール遺跡のほかに、プランバナン寺院群というもうひとつの世界遺産がある。ジョグジャカルタの空港から近く、市内からもアクセスが良いため、ボロブドゥールへ行く前に立ち寄ることにした。
途中渋滞にあったり、タクシーの運ちゃんに変な場所に連れて行かれたりしたが、空港からは30分かからずプランバナン寺院群に着いた。料金は50,000ルピア。
外国人専用ゲートでチケットを購入する。チケット料金は18ドルをその日の両替レートで換算したもの。僕が行った日は大人が234,000ルピア、子どもと学生が117,000ルピアだった。正直なところ、外国人料金は現地人に比べて極端に高いし、遺跡の規模からしても割高な印象を覚えてしまう。
ゲートをパスして、入場するとすぐプランバナン寺院が見えてくる。プランバナン寺院群は240の仏教・ヒンドゥー教寺院からなるが、プランバナン寺院はその中でも中心的な存在。
小さな博物館も園内にあり、修復の様子が見られる。
広い公園内を回るために自転車をレンタルした。自転車コースが定められていて、園内のひと通り遺跡が見られるようになっている。料金は10,000ルピア、所要時間は20分ほど。
こちらはセウ寺院。園内の外れに位置するため、ほとんど人がおらず、ゆっくりと鑑賞することができる。
プランバナン寺院群は少し地味な印象ではあるが、建物の造形は美しく、レリーフをひとつずつ見ていけるほど飽きずに楽しめる。ボロブドゥール遺跡とセットでの訪問がおすすめ。
プランバナン寺院群からボロブドゥールへ
翌日ボロブドゥール遺跡のサンライズツアーに参加するべく、ボロブドゥール町内でゲストハウスを予約していたため、プランバナン寺院群から一路、ボロブドゥール遺跡のあるボロブドゥールへ向かう。
プランバナン寺院群から市内には、近くのトランスジョグジャの乗り場から、A1のバスに乗れば、市内まで乗り換えなしで行くことができる。料金は3,500ルピア。市内からボロブドゥールへは、ジョンボールバスターミナルか、ギワンガンバスターミナルかどちらかのバスターミナルからローカルバスに乗る。
僕はバスを試してみたかったので、ボロブドゥールへ近いジョンボールバスターミナルまでトランスジョグジャで行き、ローカルバスを乗ることにした。トランスジョグジャのバスは綺麗で乗り心地が良い。
ただ、この時の僕はこのあとの長い長い道のりを知る由もなかった・・。
結論から言えば、僕は市内から出発するボロブドゥールへのローカルバスの最終便に乗り遅れた。4時10分頃、まだジョンボールバスターミナルに辿りつけていない僕は、たまたまをこの記事を読んで、最終便が4時であることを知った。
そもそもなぜバスターミナルに4時までに辿り着けなかったかと言えば、いくつもの要因が重なり合ってそうなったとしか言えない。
ひとつは空港周辺の道路で工事をしていてひどい渋滞が発生していた。渋滞でも構わずインドネシアのマナーの悪いドライバーたちは割り込み、バスは急ブレーキを繰り返したのだ。ついにその揺れに耐えきれなくなった隣の少年がゲロをバス内にぶちまけた。
車内に充満する強烈な臭いと、渋滞でなかなか進まないバス。旅先でもらいゲロは絶対に避けたい。耐えきれなくなった僕はバスから、気持ち悪さを解消するために近くのバス停まで歩くことにした。不思議なことに気持ち悪さの次に空腹がやってきた。遅めの昼食を済ませ、やっとこ着いたバス停で乗り換えのバスを待つものの、待てど暮らせどバスはやってこない。そうして、最終バスの時間が過ぎた。
それでもめげずにボルブドゥールへ行く手段を探していると、ギワンガンバスターミナルであれば、5時までバスがあるという情報を見つける。ジョグジャカルタの町を挟んで、ジョンボールバスターミナルの対角線に位置するギワンガンバスターミナル。わずかな望みにかけて、バイクタクシーを捕まえ急かして向かう。
4時45分、ギワンガンバスターミナルに無事に到着。近くのおっちゃんに聞いてみると、最終バスは5時らしい。間に合ったことの喜びとともにダッシュで発車所まで向かう。
が・・・バスがない。結局、4時が最終だった。
気付けば、時間的にも金銭的にも一番ロスが大きい選択をしてしまった。ここからボロブドゥールへは、バイクタクシーで来た道を戻り、ジョンボールバスターミナル近くを通り、向かうことになる。案の定、町はずれのバスターミナルにはタクシーもほとんどおらず、こんな時間にボロブドゥールなんて行きたくないというオーラぷんぷんのタクシーを交渉し、お値段は250,000IDR。高すぎる・・。
どこかひとつでも違う選択をしていればきっと間に合っただろう。
個人的にはゲロった少年に八つ当たりしたいところだが、涙を流しながら苦しそうな表情をしていた彼を攻める気にもなれず、何とも言えない悔しさが残る。
この旅で2回目の失敗による痛い出費。
そんなわけで、クーラーががんがん効いた車を独り占めし、美しい夕陽を見ながらボロブドゥールに向かう。到着したころにはもう外は真っ暗だった。
ちなみにボロブドゥールで宿泊したこのホテルはおすすめ。遺跡にも徒歩5分ほどと近く、部屋も清潔でレストランの食事も美味しかった。
次に続く・・