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ミャンマーの田舎と暮らし

美しい田園地帯と穏やかな暮らし。カレン州での民族紛争の印象とはまったく異なる風景が村には残る。

カレン州パアンから車で20分ほど、コカタンカーという村に行ってきた。見渡すかぎり田んぼと畑。朝もやがきれいだ。乾季が始まったこの時期は、みな焚き火をするので、夕方になるとけむく、さらにもやが濃くなる。

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カタンカーは知り合いの大学の先生(右奥)が生まれ育ったところ。先生の弟と、村の学校の元校長先生も加わって、村をのんびり歩く。

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ちょうどこの日はUNHCR DAYで、村の広場では子どもたちがイベントをしていた。そういえば、ミャンマー小学校で一度も男性の先生を見たことがない。この学校も若い女性ばかり。

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先日、アウンサンスーチーさんが来日したとき、「優秀な人材を集めると女性ばっかりになってしまうので、男性にもチャンスを与えなくてはいけない」と語ったらしいが、調べてみると、同国の労働参加率の男女差は7.5ポイント(女性72.4%、男性79.9%)と、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国の中でも2番目に差が小さいとのこと。カレン人の男性も真面目で働きものだが、やっぱり役所やお店に行っても、女性の率が高い。

頭に乗せた大きなざるを落とさないように歩いたり、バケツからペットボトルへ口移しで水を運んだり、不思議な競技ばかり。子どもたちはみんな楽しそう。

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村の学校とクリニックは草の根・人間の安全保障無償資金協で作られたようだ。ODAマークが入った看板が飾られていた。

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日本語を話せる女性がいると聞いて、会いに行ってみた。

1974年、29歳のときに東京へ夫とももに日本に来たらしい。それから10年、日本に住み、夫が亡くなったあと、ミャンマーに帰国した。ほとんど話す機会がない日本語はたどたどしいが、彼女が生きてきた人生に触れられたようで嬉しかった。

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お昼はミャンマー料理をご馳走になる。

豚肉のカレー(ウェッターヒン)に、冬瓜のスープ、卵焼き、ピーナッツであえのサラダ、魚醤(ンガピャーイェー)。お馴染みの塩辛い味付けだが、ご飯がよく進む。

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食事のあとは再び村を歩く。日中は日差しが強く、30度以上にもなる。

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ヤンゴンをはじめ、急速な開発が進められる最近ではあるが、こうした豊かな暮らしが守られ、長く残っていくことを願ってやまない。

パアンでも綺麗な建物が増え、家電や携帯電話の普及率も上がってきているように思う。たしかに新しいものは魅力的で、便利かもしれない。しかし、便利になればなるほど、人は時間に追われ、”暮らし”を忘れていく。

ミャンマーに来て幸せに思うのは、そうした丁寧な暮らしが感じられることである。日本人のエゴであろうと分かりつつも、失ってほしくないと願ってしまうのだ。