7days

Skypeアカウントを乗っ取られた。

何だか厄続きである。

Skypeアカウントを乗っ取られた。

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先日、Skypeアカウントに見知らぬメールアドレスが勝手に追加され、自分のメールアドレスがセキュリティ情報から削除されたと通知が届いた。さらにSkypeにおける登録メールアドレスが前述の見知らぬメールアドレスに変更された。

この時点ですでに第三者によりパスワードは変更されていたため、ログインができなくなってしまった・・。調べてみると、同様の被害は多くあるようだ。

reviews.f-tools.net

パスワードの再設定

とっても困る。勝手に友人へスパムメッセージが流されても、10年近く前から使ってきた情報が消えるのも、登録したクレジットカード情報が流出するのも本当に困る。

いろんなサイトを参考に、Microsoftのサイトからアカウントの復旧を申請したところ、「誠に残念ながら、お送りいただいた情報からは、お客様が対象アカウントの所有者様であることを確認できませんでした。」と返信。

つまりアカウントは復旧できませんと。

なんでだよ。改めて空白を埋め、再度申請。ちなみに1日に申請できる回数は決まっていて、その上限にいっていることは”フォームをすべて入力し終わった後に分かる”という最悪の仕様。数日に渡って何度も試して、ようやく「所有者であることを確認いたしました」との通知が来た。

別に送付されたメールのリンクから新しいパスワードについに変更!

再度アカウント復旧

やっと復旧ができたという安心できたのもつかの間、新しいパスワードでログインすると、今度は「だれかがあなたのアカウントを使っているようです」との表示が。再びアカウントの復旧を求められる。

なんでよ。何のためのアカウント復旧なのさ。だれかが使っている可能性があったからアカウント復旧を依頼したんじゃないかよ。

しかも、パスワード変更のときと同じ回答内容で申請したのに、「誠に残念ながら、弊社システムの判断により、この度お客様から提供いただいた情報からは、お客様が対象アカウントの所有者様であることを確認できませんでした。」だって。なぜ同じ内容で一度は承認され、今度は承認されないのか意味が分からない。

初期登録の情報も、Skypeクレジットの購入・使用履歴も、友達リストにいる人の名前もぜんぶ正しく回答しているのに、なぜ承認されないのか意味が分からない。

ユーザーフレンドリーとはほど遠い・・。

承認されずに問い合わせ

何度か回答内容の書き方を変えて申請してみるが、「復元のご依頼に関するお知らせ (最終) 」という通知が届き、新しくアカウントを作成することを勧められる。

そんなこと分かってるんだよ!新しくアカウントを作る方法なんて知っているが、アカウント自体に価値があるのではなく、10年近く使ってきた情報やクレジットカード情報、残ったSkypeクレジットなんかが重要なんだよ。だから復元をしようとしているだ。

どうしようもなくMicrosoftに問い合わせするも、大した助けにもならない。

今回、パスワードのリセットは成功した状況かと存じますが、
お困りのところ大変恐れ入りますが、アカウントの保護のために、ロックがかかっている状態となっております。

この制限は、第三者による不正使用からアカウントを保護することを目的としております。
この制限の解除方法は、以下の 3 通りになります。

手順をご確認のうえで、再度お試しいただけますでしょうか。

a. サインイン後にパスワードリセットを実施する
b. 回復用 (旧称 復元用) コードをお持ちの場合、コードを入力する
c. 「アカウントの復元」画面より、ご本人様確認の質問へ回答する

諦めるしかない?

これまでのアカウントを諦めるしかないんだろうか。今のところ、誰かからスパムメッセージが届いたという連絡も、クレジットカードが悪用された形跡もない。しかし、情報漏れの可能性がある友達リストの人たちに本当に申し訳がない。

どこからパスワードがどこから漏れたか皆目検討もつかなず、さらにアカウントが復旧できないことが本当に悔しい。

Skypeアカウントをお持ちの方、こうなる前に改めてセキュリティ情報や二段階ログインの設定を見直すことをおすすめします。

デング熱、その後。

先日、ミャンマーデング熱にかかった。

7月7日に発熱、17日には無事に血小板の値も正常値に回復したのだが、その後の体調不良が想像以上にしんどかった。まったくすっきり良くならないのだ。結局、3週間ほど不調は続いた。その備忘録。

7days.hateblo.jp

そもそもデング熱は後遺症がないと言われている。しかし、人によっては一度回復しても、発熱したり、髪の毛が抜けたりなどの後遺症とも言えるような症状が出るらしい。病院の看護師には1週間ほど療養するよう伝えられたが、人によっては1〜2週間、長くて1ヶ月間、すっきりと快復しないこともあるようだ。

僕の場合は、病院を退院してからも身体のだるさが続き、頭痛やリンパの腫れ、皮膚のかゆみなどの症状が出た。医師いわく、いずれもデング熱によるものか100%は分からないようだが、可能性は高いようだ。

7月19日(木)

パアンに戻って来てから数日は軽い食欲不振が続き、揚げものや肉などを食べたいとまったく思えなかった。消化の良いものや野菜を食べる。

加えて身体がだるく、少し動くだけでもすぐ疲れてしまう。いかに体力が減ったか自分でも驚いてしまう。

7月21日(金)

ミャンマーでデング熱にかかったでも書いたように、朝方に急に微熱が出て、急に右耳下の付根のリンパが腫れきた。痛くてたまらない。初めは単なる寝違えだと思ったが、どうやら右耳下から肩にかけてのリンパ管も炎症を起こしているらしく、首を少し動かせば激痛。

パラセタモールを飲み、アイスノンでリンパを冷やしながらとにかく休む。熱が下がってくると、リンパの痛みも少し引いてきた。

7月22日(土)

相変わらずリンパは腫れている。そして完治したと思っていた全身のかゆみが再び襲ってきた。乾燥肌がひどくなったような感じのちくちくとしたかゆみがひどい。昨晩から足と腕が特に痒くて眠れないのなんのって。

我慢できずにかいてしまうと、前回の斑点とは違う、赤い点々が出てくる。午後・夜になるにつれ、かゆみがひどくなる。

7月23日(日)

かゆみがひどくてまったく眠れなかった。かゆいかゆいかゆい!発狂寸前。

病院から処方されたかゆみ止めがもうないため、近所の薬局で同じ薬を探しに行った。残念ながらタイの病院で処方されたものはなかったけど、同じ抗ヒスタミン薬をふたつ見つけて、両方試しに買ってきた。

ひとつはレボセチリジンのLevocet、もうひとつはデスロラタジンのDevit。調べてみると、レボセチリジンの方が効果が強そうなので、前者を飲んでみる。が、全然効かない。プラシーボ効果かわずかにかゆみが引いたような気がするが、かゆいかゆいかゆい。

かゆみがひどくて何にも集中できない。なんたって眠れないのがしんどい。 

7月24日(月)

まったくかゆみが治まらないため、薬局にいた看護師の言葉にしたがって、朝もう一錠飲んでみる。が、身体がだるいし、恐ろしく頭が痛くなる。最大摂取量内ではあるが、おそらく副作用のせいだろう。

午後、体調不良で少し仕事を休む。パラセタモールを飲み少し横になったら、頭痛が収まり仕事に戻る。しかし、身体は相変わらず重く、疲れっぽい。

夜になるにつれ、またかゆみもひどくなる。どうやらレボセチリジンとデスロラタジンは望ましくはないが、併用しても問題なさそうなので、デスロラタジンを服用する。何となくかゆみが少し治まったような気がする…。 

7月25日(火)

朝起きると、かゆみが少し引いていた。抗ヒスタミン薬のおかげか、単純にかゆみが減ったのか、よく分からない。

相変わらず右耳下のリンパが腫れている。少し痛みが治まってきたものの、右耳下のリンパも痛みがある。何かしらのウイルスと戦っている証拠だろうが、いまだにデング熱のウイルスが身体にいるんだろうか。

7月26日(水)

ヤンゴンへ出張があったので、ついでに病院を受診する。運悪く初見の若い医師にあたってしまう。

診察後の一言目は「ガンではないですね」。

そっから疑っていたんかーーーい!いや、ガンでないことは嬉しいけど、先週までデング熱で、それに関連することは疑わないのかなあと。

次に一言。マラリアなどのウイルス感染の疑いがあります。でも先生、9日に検査してから感染地には行っていないし、熱や頭痛などの症状もないから可能性は低いんじゃないんでしょうか。思わず伝えてしまったら、そうですねと。

皮膚のかゆみに関してはハウスダストや花粉などの環境因子によるものだって。確かにアレルギー性鼻炎で、ほこりも花粉もダメだけど、こんな全身のかゆみに襲われたことは初めてだし、新しい家に引っ越したということもない。再び思わず伝えてしまう。すると、まれにデング熱後に皮膚のかゆみができることがあるんだって。いやいや、そっちを先に疑ってほしかった。

専門的知識がない素人があんまりでしゃばるべきではないのは自覚しつつ、現在の体調不良はデング熱に関連したものじゃないかな…。血液検査では特に別のウイルスは検出されなかったし。

まあ、ともかく新しい病気でもなく、血液の異常も見つからずひと安心。血小板は350,000まで快復していた。

ちなみに、あとあと調べてみると、皮膚のかゆみやリンパの腫れは悪性リンパ腫の症状にも当てはまっていて、だからこそガンの可能性を疑ったのかもしれないと思った。

7月27日(木)

昨日の病院ではセチリジン塩酸塩錠のCetrineを処方してもらったものの、皮膚のかゆみ自体が少し治まってきた。リンパの腫れは相変わらず引かない。

食欲はデング熱前よりあるような気がする。お腹がすぐ減ってしまう。揚げものでも何でも食欲が起きるようになってきた。

7月29日(土) 

ミャンマーではH1N1型のインフルエンザが流行して大騒ぎ。一度は新型ウイルスと言われたH1N1型はすでに季節性のインフルエンザと見なされているし、そこまで騒ぎ立てるのは良くないんじゃないかと思ってしまう。

豚肉や鶏肉を避けろなんて話もあるが、インフルエンザが豚肉から感染することはないと2009年にWHOが声明を出している。

それよりもデング熱マラリアの方が怖いよ。

リンパの腫れは引かないが、皮膚のかゆみはほとんどなくなった。ぐっすり眠れる幸せよ。

7月30日(日)

左側のリンパ管に激痛。再び首を動かせなくなる。ようやく回復してきたと思ったのに、身体がだるい。一日ゆっくり休む。

8月1日(火)

ようやく身体のだるさもリンパの痛みも引く。退院してから約2週間続いた不調から、何となく脱せたような気がする。

長い長い戦い

この記事を書いている8月7日、右耳下のリンパに腫れは残るものの、どうやら完全に快復できたようだ。発症してから丸1ヶ月、長い長い戦いだった。

デング熱は不思議な病気だ。

急に熱が出て苦しめられると思えば、急に楽になったり、もっとしんどくなったり。快復したかなと思えば、身体のだるさや不調に見舞われたり。

僕の場合はインフルエンザよりずっと辛かった。特効薬があるわけでもなく、ワクチンも研究段階(昨年から一部の国で摂取できるようになった)、タミフルを飲んでしまえば、あっという間に解熱するインフルと違って、ひたすら戦わなくてはならない。 

もう二度と罹りたくないと、改めて思ったのでした。

 

食べられる幸せ!

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ミャンマーでデング熱にかかった

ミャンマー・パアンでは、雨季はデング熱の季節である。

以前は子どもがよくかかる病気と考えられていたようだが、今ではどんな年代でもかかるようになったと聞く。

つい先日、27歳になった僕もデング熱にかかってしまった。
おそらく人生で2回目。おそらくと言うのは、フィリピンでデング熱らしき症状が出たのだが、病院がなかったため検査ができず、自己療養で治したからだ。

おそらく2回目のデング熱に罹った2週間の備忘録。

いきなり発熱。

7月7日(金)、知人の離任を見送るべく参加した夕食会の途中、いきなり急なめまいと悪寒が始まった。寒いったらありゃしない。そのまま発熱し、身体の節々が痛む。

実は、その2週間前から夏風邪を引きずっていて、咳や微熱が続いていた。免疫が落ちていたからこそ、デング熱に罹ったのかもしれない。だが、その状況が余計に単なる夏風邪が悪化しただけと思わせ、土曜日は病院にも行かず休んでいた。

体温計が手元になかったのだが、後々思えば、39℃台の熱が出ていたと思う。

デング熱感染が発覚。

たまたま9日(日)からヤンゴンへ出張だった。パアンには清潔で信頼できる病院はなく、インターナショナルクリニックを受診するにはヤンゴンに行かねばならない。

いわゆる小康状態に入ったのか、身体が少し楽になったこともあり、ヤンゴンへ行くことにした。バスで6時間移動し、そのままLEO Medicareを受診。

医師いわく、どうやら何かしらのウイルスに感染しているよう。熱は38.4℃。血液検査をしてみると、思いもかけなかったデング熱が陽性。単なる夏風邪だったと思っていたのに。

ただ、この時点で血小板数は160,000ほどと基準値を上回っている。しばらくホテルでの療養となり、2日後に再検査となった。

本気のデング熱

熱は38度半ばあるのに身体は思ったより軽い。デング熱はこんなものか。

そんなことは勘違いだった。10日(月)からは、頭痛・眼窩痛・関節痛がよりひどくなり、下痢・食欲不振・腹痛も同時でやってくる。食べなければならないのに食べられない。身体がしんどくて眠りたいのに、身体が痛くて眠れない。そんな状況が延々と続く。

11日(火)には血小板数は121,000に下がる。翌日12日(水)からは吐き気がひどくなり、嘔吐が続くために寝てもいられない。この吐き気からの嘔吐の繰り返しが一番しんどかった。いよいよ水分も取れなくなり、辛うじて取れても、下痢と嘔吐ですべて出ていってしまう。

13日(木)の時点で、ついに血小板数が45,000と下がって、出血の可能性が出てきたため、医師から入院指示が出される。

しかし、ヤンゴンにはインターナショナルクリニックで入院できるところがない。受診していたLEO Medicareでも、クリニックが入っているビクトリア病院というローカル病院に入院せねばならない。だが、ビクトリア病院に入院するにも、ミャンマー人24時間付き添い、1,000ドル事前デポジット、血清がすぐ手に入るかわからないという無理な条件。

しかも他の病院を紹介することもできないこと。医師からはビクトリア病院に入院するか、入院を拒否するかの二択のみ提示される。そこで同僚の勧めがあり、バンコクの病院へ入院を決定。入院を拒否し責任は自分で負いますという誓約書を書かされる・・。

バンコクの病院へ入院。

13日(木)夜、同僚の同行のもと、バンコクへ向かう。この時点で血圧がだいぶ下がっており、少し歩くだけでめまいと吐き気に襲われる。ヤンゴンで一度、点滴をしたものの、体力も落ちていて、ふらふら。

バンコク空港に設置されている病院の窓口で、予め予約していた専用車に乗り、一路バムルンラード国際病院へ。緊急外来を受診し、即入院決定。到着から2時間後には、綺麗なプライベートルームに案内された。素早い判断と丁寧な対応に驚く・・。

この時点で、同日午前中、38.9℃もあった熱がなぜか36℃台に下がっていた。重症っぽく来たけど、全然大丈夫じゃんみたいな雰囲気を感じていたが・・症状は変わらず、吐き気も身体の痛みもひどかった。

それと、正直なところ、入院さえすれば、ゆっくり休めると思っていた。だが、看護師は2時間ごとにやってくるし、落ち着かないったらありゃしない。しかも、なぜかベッドがものすごいかたい。ただでさえ、関節痛がひどいのに、身体が痛くてたまらない。入院なんてしないほうが良かったと猛烈に後悔しながら、1日目を過ごした(後々、もっと早く入院すれば良かったと思うようになるのだが)。

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バンコクの病院素晴らし。

14日(金)、血小板数は36,000まで下がる。歯ブラシ使用禁止、ひとりでベットからの移動禁止などの出血防止策が出される。もし転んで頭でも打ったら、脳内出血する可能性があるらしく、非常に危険らしい。出血の有無をよく聞かれるものの、幸運にも出血熱の傾向は見られなかった。

ちなみに一度だけ、我慢できずに歯ブラシで歯を磨いたのだが、すぐに歯茎から出血したのでびっくりして止めた。

ただ、シャワーはOKらしく、病室の綺麗なシャワー室で、ふかふか綺麗なタオルも準備され、良い気分転換になった。ベットがかたすぎると伝えたところ、シャワーを浴びている間にふかふかのマットレスに変わっていた(今度は柔らかすぎて腰が痛くなったのだけど)。

その夜、再び熱が38℃を超える。2日ぶりの高熱にもがき苦しむ。

 15日(土)、血小板数がついに上がった!こんなに嬉しい出来事は久しぶりだ。
この頃から手足がとても痒くなり、斑点が出てくる。特に足の斑点がひどく、全体が紫色がかった赤色になり、看護師さんたちも驚く。ひとりからは形態で写真を撮らせて欲しいと言われたが、あんな写真どうするんだろう。

それでも、看護師さんの対応も、医師の対応もとても良かった。あとこのくらいの日数で良くなるはずだよと、笑顔で言ってもらえることが、何にも増して安心するものだ。苦しいときにすぐ心地良く対応してくれ、ずいぶん救われた。

病院食も日本食を選ぶことができ、15日(土)から少しずつ食べられるようになった。ほぼ1週間ぶりの食事。と言っても、野菜の煮物とかくだものだけだけど。

ついに退院。

16日(日)、血小板数が72,000に上がり、ついに50,000という危険値を抜けたことから、退院できることに!ずっと点滴を打っていたこともあり、体力も少しずつ戻ってきた。

諸々手続きを終えて、お昼過ぎに退院。ちなみに入院費用は4日間で約15万円。さすが一流の国際病院でした。かなり痛い金額だが、保険が適用され支払いはなし。

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18日(火)、2日間バンコクで休んだ後、ヤンゴンへ戻った。再びLEO Medicareで検査したところ、血小板の値は200,000超え!人間の回復力はすごい。

今回、出血熱にならなくて本当によかったと思う。

その後。

19日(水)にはパアンへ帰ってきた。ようやく食欲が戻ってきたのだが、さすがに1週間近くほとんど食べられなかったため、体重は3キロ以上減り、体力もずいぶん落ちたようだ。デング熱は肝臓にも負荷がかかるらしく、しばらくアルコールも辛いものも禁止。

1週間ほどのんびり休みつつ、体力を戻していかないといけないようだ。

21日(金)には微熱が出て、右耳下のリンパが腫れきた。なんだろう。デング熱は後遺症がないと言われているが、回復後に微熱が続いたり、髪の毛が抜けたりすることがあるらしい。そのひとつなのだろうか。

発症から3週間経った22日(土)でも、いまだに身体がだるかったり、斑点が綺麗には消えていなかったりする。いまだウイルスが残っているのだろうか。しばらくはしっかり休みながら、様子を見ることにする。すっきりと良くなると良いんだが。

今後に向けて。

もうこんなしんどいデング熱なんて二度と罹りたくない。

できることは蚊対策しかなく、デング熱を媒介するネッタイマシカは特に早朝と夕方に活発だ。虫よけスプレーや蚊取り線香はもちろんのこと、長袖長ズボンで防ぐこともできる。特に雨季は甘く見ず、対策をせねばならない。

万が一、ミャンマーデング熱に罹った場合、ローカル病院を受診することも可能ではあるが、衛生状態や医療レベルの面からおすすめできない。ローカルのクリニックは外国人さえ受け入れてくれない。検査であれば、ヤンゴンのLEO MedicareやInternation SOSなどのインターナショナルクリニックを受診することをおすすめする。

入院が必要になった場合、海外保険が適用されるのであれば、動ける早い段階でバンコクや日本の病院へ移動するほうが良いだろう。特にバンコクの病院であれば、デング熱患者も多く、よっぽど日本の病院より安心である。今回利用したバムルンラード国際病院やバンコク病院は日本語対応もあるし、おすすめだ。

最後に。

今回、同僚や東京本部の人に本当に心配も迷惑もかけて反省。それと全力でサポートしてくれたことへの感謝の思い。あの状態でバンコクへひとりで移動して入院なんて厳しかった。

ヤンゴンバンコクの医師も看護師も親身に対応してくれて救われました。

皆さま、本当にありがとうございました。

インドネシア・ジャワ島旅行記④ 秘境カリムンジャワ、辿り着けず・・・

カリムンジャワ国立公園。

ジャワ島の情報を調べていたときに偶然見つけたビーチリゾート。あまりビーチやリゾート地に興味のない僕は、普段であれば軽く流してしまっただろう。しかし、27の島々で成るカリムンジャワ島は手付かずの自然が残り、サンゴ礁が広がる美しい海にはイルカやウミガメが生息する。しかも”アクセスが悪い”らしい。旅 ≒ 移動な僕にとって、これこそ惹かれる旅行先はない。行ってみるしかない。

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引用:Karimun Jawa | Raja Wisata – Biro Perjalanan Wisata

ジョグジャカルタからスマランへ

カリムンジャワの情報が分かりやすくまとめられているインドネシア中部ジャワ州観光局情報サイトによれば、カリムンジャワへはスマランという町から2時間ほどのジェパラ港から船に乗ればいいらしい。ただ、毎日運行しているわけではないため、旅の日程上、もうひとつの選択肢であるスマランのケンダル港発の船に乗らねばならない。そこで、まずはジョグジャカルタからスマランへ向かうことにした。

ホテルをチェックアウトし、ジョンボールバスターミナルへ向かう。到着すると、ボロブドゥール行きのバスに勧誘するおっちゃんたちがワラワラ寄ってきた。スマランに行きたいと伝えると、急に興味を失くし、ターミナルを教えてくれた。どうやらスマランに行く観光客は少なく、ここで儲ける気もないようだ。

スマランまではエアコン付きバスで45,000ルピア。6時過ぎから17時前までほぼ1時間おきで出ているようだ。バスの乗り心地もよく景色を眺めているとあっという間だ。

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3時間ほどでスマランのTerboyoというバスターミナルに到着する。ただ、ここのバスターミナル、市内からかなり離れている上に、治安もあまり良くないと聞く。ジョグジャカルタからのバスは市内の外れのバスターミナルで停まったあと、高速道路に乗り、市内を通らずにこのバスターミナルに向かう。

市内に向かうのであれば、Terboyoバスターミナルではなく、Banyumanikという別のバスターミナルで降りると良いらしい。後日もう一度、バスでスマランに来ることになるのだが、そこでトランススマランで市内に移動した。その方がずいぶん時間が節約できた。

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Terboyoバスターミナルからも、市内を結ぶバス路線のトランススマランが出ていて市内に行ける。価格は一律3,500ルピア。トランスジョグジャにトランススマランと、インドネシアの市内移動は便利で安くて助かる。Balai Cotaという駅で1度乗り換えをして、予約したホテル近くのSimpang Limaまで行く。

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トランススマランの路線図。途切れているけれど・・

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スマラン発の高速船は・・

ホテルにチェックインし、フロントに翌日のタクシーの手配を依頼する。それと、念のため、高速船の空き情報を確かめるため、運行会社にも電話をしてもらえるようお願いする。

カリムンジャワのホテル情報を調べながら待っていると、フロントのお兄さんが「明日ケンダル港からの高速船はありません」と。

え~~~~!

なんとスマランのケンダル港からは土曜日しか船が出ていなかった。火曜日と木曜日の船は一時的なキャンペーンで、火曜日の船はジェパラ発に変更、木曜日は休船となったらしい。ああ、もっと早く確認しておけばよかったなあ・・今回の旅、3度目の後悔。

 

スマランからジェパラまではバスで3時間、タクシーで1〜2時間ほど。木曜日は偶然ながらジェパラ行きのフェリーは出ている。翌日ジェパラ発の高速船に乗ってもどうにか帰ってこれる。

この時点で取りうる選択肢は3つ。

①翌日、朝一でスマランからジェパラに向かう
②今すぐホテルをチェックアウトして、ジェパラに向かう
③諦める

散々迷って・・①を選択。次に移動手段をどうするか。これもまた3択。

①タクシー:150,000〜200,000ルピア、いつでも
②乗り合いバン:50,000ルピア、朝6時以降
③バイクタクシー:100,000ルピアほど、いつでも

①が確実で、②は船の時間までに到着できない可能性があり、③は最も事故のリスクが高い。どれも一長一短なのだが、懐事情を考えて、結局フロントのお兄さんが紹介してくれた②乗り合いバンで行くことにした。

待てど暮らせど・・ 

翌朝、約束の6時前にはホテルをチェックアウトし、ホテル前で待っていた。

が、待てど暮らせど、一向に約束したバンはやってこない。フロントから運行会社に電話してもつながらない。そうして6時を回り、6時半を過ぎ・・

ついにジェパラまで行けないことを悟った。カリムンジャワどころか、ジェパラにも辿り付けなかった。

自分の情報と準備不足ゆえなのだが、さすがに約束したのに来なかったバンに対する行き所のない怒りと、目的地であるカリムンジャワに辿り付けなかった悔しさが入り混じり、妙に落ち込んでしまった。

カリムンジャワ行きの注意点

カリムンジャワへの渡航を考えている方は、高速船やフェリー会社への運行スケジュールとチケットの残数の事前確認を忘れずに。当たり前のことなのだが、僕の場合は確認が遅くなり、結局たどり着けなかった。

Webサイトではほとんどアクセス情報が掲載されておらず、最新情報でない可能性もあるので、現地で情報収集することが重要。

ツアーで行くこともできるらしく、料金は100,000ルピアくらいから。日程が限られている場合は、ツアーの方が確実かもしれない。

ぜひ行かれた方、最新情報を教えてください。

 

スマランのホテルからは街並みが見渡せた。伝統的な瓦屋根の家が多い。 

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次編に続く・・

できることをやる。

先日、こんな話を聞いた。

ある時、とある神父さんが海岸を歩いていると、大量のクラゲが打ち上げられていることを見つけた。大変だと驚いた神父さんは急いで海に返そうとする。でもあまりの数にひとりではどうしようもできない。どうにか3匹だけ救えた神父さんに、近くを通りかかった町の人が尋ねる。「全部を助けられないのに、なぜその3匹だけ救うんだ」。神父さんは返す。「自分ができることをしたまでだ」。

 

何のひねりもへったくれもない話である。ミャンマー人スタッフが教会かどこかで聞いてきたのだろう。何とも素直なオチだ。

だが、よくよく読み返してみると、おもしろい話にも見えてくる。さて、神父さんが「できること」はクラゲを"3匹"だけ海へ返すことだったのだろうか?

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大量のクラゲと聞いて、小学生2年生の頃、海へ友だち家族と行ったことをふと思い出した。8月も終わりに近づき、山梨からわざわざ訪れた海には大量のクラゲが発生していた。海岸を埋め尽くすかのようなクラゲ、クラゲ。海になんて入れるわけがない。

僕も無邪気な子どもだった。打ち上げられたクラゲを捕まえては投げてみたり、砂に埋めたり、救うどころかクラゲを散々いじめていった。あの数え切れないほどのクラゲの様子はいまでも思い出す。

 

話は逸れたが、神父さんができたことは、ひとりで3匹のクラゲを救うことではなかったはずだ。開発分野でよく聞かされた話がある。川の上から赤ちゃんがどんぶらこどんぶらこと流れてくる。救っても救ってもキリがない。上流に見に行ってみると、赤ちゃんを流している人を見つけた。あんまり具体的に覚えていないが、根治療法の重要性を説いた逸話である。

じゃあ、冒頭のクラゲ救出物語の場合はどうだろうか。やはり同じく対処療法と根治療法があるはずだ。

クラゲを救う対処療法と根治療法

対処療法では、打ち上げられたクラゲをどう救えるかということが視点になる。ここで神父さんがより多くのクラゲを救うためには、まず道具があると良い。網があれば一気にクラゲを移動できるし、バケツがあれば、水をクラゲにかけてちょっとは延命できるかもしれない。

それにひとりでできることは少ない。水族館に連絡をして専門家に助けてもらったり、町の人にボランティアとして手伝ってもらったり、はたまたメディアやSNSで取り上げてもらって関心を高めたりと、よりクラゲを多く救う行動ができるはずだ。

一方で、根治療法はクラゲが打ち上げられないために何ができるかということだ。正直なところ、僕もなぜクラゲが海岸に打ち上げられるか知らないのだが、まず根治療法では原因を探ることから始まる。課題と原因を紐解き、どこを解決すれば最も打ち上げられるクラゲが最も減るかを知り、具体的な対策を行っていく。

根治療法は時に時間がかかるものだ。1回目に打ち上げられたクラゲは救えないかもしれない。でも2回目は打ち上げられるクラゲを減らして、対処療法よりももっと救えるかもしれない。根治療法のアプローチを行いながらも、対処療法を同時に行うことはとても意義がある。

あなたができることは何か 

そう考えてみると、打ち上げられた神父さんはすぐクラゲ救出に取り組むのではなく、まず助けを求めるべきだったと思う。途中で誰か1人合流してくれたら、少なくとも3匹+2匹は救うことができる。さらにその人がバケツや網を持ってきてくれて、クラゲの寿命が2倍になり、1匹あたりの救助時間が半分になれば、1匹+2匹✕2倍✕2倍✕2人=17匹を救えることになる。

さらに救助後、クラゲが打ち上げられた理由を探り、試しにひとつの案を試してみたところ、例えば、打ち上げられる数が10%減ったとする。当初は100匹が打ち上げられていたが、90匹に減った。

対処療法と根治療法の合計数を足してみると、27匹を助けることができ、なんと神父さんがひとりで助けるときよりも、9倍ものクラゲが助かる。

冒頭の逸話は「できることをしなさい」の前に、「あなたができることは何なのかを見つけなさい」というとても根幹的な投げかけを含んでいるのではないだろうか。

課題を社会化する

さらに逸話では、懸命にクラゲを救おうとする神父さんを町の人があんなひとりじゃ救えないよと蔑む。あるいは、もしかしたら、そもそも町の人にはクラゲを救うという行為自体が滑稽だったのかもしれない。

そこで必要なことが「課題の社会化」である。産後の母体ケアに取り組むマドレボニータという団体は、活動開始当初、誰も関心を持っていなかった産後の母体の状況や育児環境に対して疑問を投げかけ、それが社会の解決するべき問題であると示していった。

言わば、クラゲを救うどころか、それが問題と捉えられない人に助けを求めても助けは得られない。そもそもクラゲを救うことへの意義を見出していないからだ。そこでクラゲの存在価値を伝え、保護の意義を示していく。そうすることで、「クラゲの打ち上げ問題は重要だ。みんなで取り組むべきだ」という空気を醸成していくことができる。

つまり冒頭の逸話はもうひとつ別のメッセージを含んでいて、「クラゲを救う意義を考えなさい。そしてそれを社会化しなさい」ということだ。

できることをやる。

私たちはできることからしかできない。しかし、できることをやるという気持ちさえあれば、できることはきっと広がっていく。大きくなくてもいい。小さくできることを始めて、そのできることを広げていくだけだ。

3匹しか救えないなら、何もしなくていいという考えていたらどうだろう?それは単なる思考停止で諦めに過ぎない。こういう考えが広がっていった先には、誰もが誰に対しても無関心で、関係性が失われた社会しか残らないのではないかと思う。

ガンジーは言ったという。

Find purpose, the means will follow.
目的を見つけよ。手段は後からついてくる。

クラゲを救う、この目的さえ見失わなければ、手段はいくらでもついてくる。

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