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ミャンマー語検定M1に合格した!

ミャンマーに赴任してもう1年半経つのだけど、現地に住んでいようとも、業務は英語が主で、一向にミャンマー語が話せるようにならない。買い物やタクシーの交渉は何とかなっても、ミャンマーにいてミャンマー語を話せないというのはコミュニケーションの壁になってしまうし、せっかく住んでいるのにという思いもある。

何かを勉強し続けるためにはやっぱり明確な目標が必要だ。そこでミャンマー語検定(MLT)受験を目指して、11月頃から独学で勉強を始めた。

2018年2月、M1に一発で無事合格することができた!とっても嬉しい。

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ミャンマー語検定とは

ミャンマー語検定はミャンマー語検定協会(MLT Association)主催で今回で8回目。母体はよく分からないのだけど、事務局の方は株式会社ココライズ・ジャパン所属のよう。テストのレベルは以下のとおり。

MB:日常生活で初めて出会う基礎単語、文法、会話を理解できるレベル【すべて口語・単語数:200~300語・学習歴目安:約72時間(3ヶ月)】


M1:意思表示をするために最低限必要な単語や文法を理解できるレベル【すべて口語・単語数:500~700語・学習歴目安:約144時間(6ヶ月)】


M2:スムーズに日常会話ができ、簡単な文章を読んで理解することができるレベル【すべて口語・単語数:1200~1400語・学習歴目安:約288時間(1年)】


M3:ネイティブと不自由なく会話でき、少し長めの文章が理解できるレベル【口語70%, 文語30%・単語数:2500~2700語・学習歴目安:約432時間(1年半)】


M4:ビジネスの場でネイティブとやり取りでき、長文(小説、新聞など)が読めるレベル【口語50%, 文語50%・単語数:4000~5000語・学習歴目安:約567時間(2年以上)】

ミャンマー語検定のWebサイトからサンプル問題を見たところ、MBは簡単そうだったので、思い切ってM1を受験することにした。単語数は500〜700語でBeginnerレベル 。真面目に勉強せねば難しい印象。

合格点

M1はListening(40分)とReading(60分)の2つのパートからなり、どちらも合格基準点を超えなければならず、Listeningだけできても不合格となってしまう。試験結果は正答率に応じたA~Eのグレードで出され、C以上(60〜79%)のグレードで合格である。

正答率の計算方法は分からないのだが、Listeningは43問、Readingは46問からなり、60%の正答率で良いとするならば、Listeningは26問、Readingは28問に正解できれば合格できるので、比較的優しい基準ではないかと思う。

Listening

Listeningは次の5つのパートに分かれる。音声は二度繰り返される。

  1. 単語あるいはフレーズが読み上げられ、該当するイラストを選ぶ問題(15問)
  2. 4つの選択肢が読み上げられ、イラストに該当する選択肢を選ぶ問題(15問)
  3. 文章と4つの選択肢が読み上げられ、会話が続くよう適した選択肢を選ぶ問題(8問)
  4. イラストに関する4つの説明文選択肢が読み上げられ、適した説明文を選ぶ問題(2問✕4題)
  5. 長めの会話文が読み上げられた後、問題文と選択肢が読み上げられ、適した回答を選ぶ問題(3問✕2題)

難易度はパート5が断トツ難しく、続いてパート3。パート1・2・4はイラストがあるぶん、難易度は低めである。そのため、パート1・2・4を確実に回答できれば合格に近づくことができる。

Reading

Readingは次の4つのパートに分かれる。

  1. 1つの単語を選択し、文章を完成させる問題(20問)
  2. 4つの単語を並び替え、文章を完成させる問題(10問)
  3. 2〜4文程度の短い文章を読み、問題文に回答する問題(6問)
  4. 長い文章を読み、問題文に回答する問題(2題)

難易度は後半に連れて難しくなる。合格のためにはパート1とパート2は確実に回答し、パート3とパート4をできるだけ回答する必要がある。

勉強方法

僕は①テキストで文法を勉強する、②MLTの単語リストを暗記する、③過去問を問いて対策を練るの3つの方法で準備をした。少なくとも①と②さえしっかり行っていれば、合格点には届くと思う。

 

①テキストで文法を勉強する

ミャンマー語のテキストで評判の高い「ニューエクスプレス ビルマ語」 。解説がとっても分かりやすし、この本だけでM1レベルの文法を全部カバーできる。他のテキストに手を付ける必要は一切なし!

20のスキットや練習問題を暗記するまで繰り返し書いて勉強する。同時にCDの音声を聞きながら、ミャンマー語の発音やリズムに慣れていく。

ニューエクスプレス ビルマ語《CD付》

ニューエクスプレス ビルマ語《CD付》

 

 

②MLTの単語リストを暗記する

Webサイトに公開されているMBとM1レベルの単語リストをひたすら暗記する。また、単語の発音も繰り返し練習する。ニューエクスプレスをしっかり勉強していれば、半分以上の単語はすでに知っているはず。

 

③過去問を問いて対策を練る

M1レベルで合格点を取るには上記の基礎さえできていれば問題ない。時間とお金に余裕があれば、過去問をいくつか問いておくと時間配分やコツが掴めると思う。もちろん過去問は一度解くだけではなく、スムーズに回答できるよう繰り返し見直すと良い。

次回のミャンマー語検定

ミャンマー語を勉強するモチベーションにはぴったしなミャンマー語検定。

次回は2018年9月30日(日)にヤンゴンと東京で、2019年2月24日(日)にヤンゴンで開催予定とのこと!僕もM2を受験する予定。

合格目指してコツコツ勉強しよう!

27歳ってもっと大人だと思っていた

ふと気がつけば、27歳、四捨五入すれば30歳だ。

高校生の頃に想像していた27歳は、自信が持てる何か専門性と仕事を持ち、将来に対して明確な目標があり、子どもはまだにせよ、彼女はいると思っていた。

だが、実際に27歳になって気が付いたことは、自分が想像していた自分にまったく近づけていないということだ。

孔子曰く、「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る。六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩 のり を踰えず」。

ところがどっこい、僕はやっと27歳にして学問の重要さを気がつき、一方で明確な専門性をなく、将来に対しても定まらないことこの上ない。はて、自分はあと3年後には而立し、40歳には不惑となっているのだろうか。

 

改めて思う、人の人生は地続きだ。

10年後の自分を考えたとき、なぜか今の自分からずいぶん飛躍し、まったく新しい自分を想像してしまう。だが、実際は”いまの自分”が連続し、”明日の自分”につながる。いまと10年後は10年の間があるが、そこには堺はなく、その10年は連続的なのだ。

いまの自分の思考や振る舞い、行動が10年後の自分を規定し、10年後の今ごろは出来上がった自分と対面するのみである。そのときに自分自身に満足できなくとも、そこで変化を起こすことはできないのだ。

高校時代に想像した27歳の自分と、いま現実の自分にギャップを感じるならば、この10年間が想像した自分につながる時間の積み重ねではなかったのだろう。

 

一方で、それで良いのだとも思う。

時間は使うものではない。時間を使うものにしてしまった途端、僕らの人生はただ何かを成し遂げるだけに翻弄され、時間が過ぎてゆくことに焦り、自分自身が消費されていく。

人生は人が生まれると書く。生きること自体が人を生みだす過程なのだと思う。時間は積み重ねるものだ。毎日毎日、その日に考えたこと、思ったこと、行動したことが薄く薄く積み重なって、人生が生まれていく。

いま、高校時代に想像した27歳そのものになれたとして、それは幸せなのだろうか。高校時代の自分にはいまミャンマーで働いていることなんて想像もできなかった。それでいいんじゃないかって思う。

 

こう前向きに考えたとしても、時に無性に不安に襲われることがある。

いろんな社会やコミュニティの保障が崩壊していく中で、自分は行きていかねばならないのだ。だからこそ、高校時代に想像した自分とのギャップが、これまでの10年間どうだったんだと不安にさせる。不安でたまらない、それが正直なところだ。

だが、その不安も受け入れよう。

究極的にはどんな金持ちだって、どんなに彷徨った人間だって、遅かれ少なかれ(後者の方が早いかもしれない)どうせみんな最後は墓場に入るのだし、不安になる必要などないのだ。

 

いまできることは、次の10年後の自分を想像しながら、地に足を着けて、目の前とちょっとその先にやってくるものに対して向き合い、諦めずに考え続けていくことだ。

10年後の自分は、いまの自分には想像できないところにいるかもしれない。相変わらず悩んで迷っているかもしれない。そうしてまた次の10年後を考え始めるのだ。

ミャンマー南部・イェへの旅 ②豪雨のカビャーワービーチ

イェではカビャーワービーチ(Ka Byar Wa)に行こうと決めていた。

もともと山梨県出身の僕は、海に馴染みがない。美しいビーチよりも、青々とした豊かな森の方に惹かれる。しかし、この写真を見たとき、不思議なグラデーションの海と、漁船の群れに妙に好奇心を寄せられたのだ。ここに行ってみたい。

f:id:taaku3:20170818002610j:plainSawor Mon's Pics: Ka Byar Wa Beach (Eco Tourism Zone, Mon State)

だが、翌日は朝から雨だった。

3つの季節を持つミャンマーで、雨季は最も旅に適さない時期だろう。すっきりと晴れる日はほとんどなく、時に外出さえままならない。昨日雨に降られなかったことは幸運だったのだ。

やむなくイェの町を散歩する。田舎町特有ののんびりした空気。しとしとと降りしきる雨がなおさら心を落ち着かせる。山羊も雨宿り。

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念願のカビャーワービーチ

ふと雨が止み、晴れ間が覗いてきた。これはきっと神様の思し召しに違いない。ポンチョを買って、カメラが濡れないようにタオルでくるむ。

今日のドライバーはホテルのシェフが買って出てくれた。雨季だからお客さんが少なくて暇なんだろうか。フロントのスタッフに道を確認するシェフ。何だか既視感を覚える。後々思えば、このときに感じた不安は的中したのだ。

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カビャーワービーチまでは1時間ほどと聞いていた。両脇に果てしないゴムの木を抱えた田舎道をひたすら進む。そして、ぐんぐん山道を登っていく。

ふたたび雨が降り始め、徐々に雨脚が早くなる。標高が上がるにつれ低くなる気温と雨。寒さを覚える。だが、雨が降る森は静かできれいだ。霧もかかった姿も特別な感情を抱かせる。

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ふと海抜ゼロメートルのビーチに行くのになぜこんなに山道を登るのだろうという疑問が湧く。そんな疑問をよそにひたすら進むシェフ。そうして、峠の上まで来ると大きな看板が見えてくる。タニンダーリ管区にようこそ。あれ・・?

そう、なんと僕らはモン州からタニンダーリ管区に続く8号線を来たのだ。カビャーワービーチにはずっと手前で左折しなければならない。って、フロントのスタッフが言っていたことを思い出した。

なんとシェフもカビャーワービーチに行くことが初めてだったのだ。イェに来たのは2ヶ月前。大して僕と変わらないじゃないか(2回目)。カッパも傘も持たないワイルド・シェフ。

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結局、1時間かけて登ってきた道を30分で駆け下りる。シェフも懲りたらしく、曲がっては人に道を訪ね、曲がって人に道を尋ねる。そうして、2時間半もかけて、カビャイワーに到着したのだ。

だが、到着したころには晴れ間も消え、豪雨。どこが道なのかよく分からくなった水浸しの村の中を進み、例の景色が見られるパゴダまで登る。

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だが、もはや豪雨でなんにも見えないのだ。時折見せる青い海から想像するに、乾季はずいぶんきれいなんだろうなと思う。

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ちょうど引き潮のようだった。のんびりした漁村の風景が残っている。

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帰り道、最も雨が強かった。激しい雨のなかでバイクを乗ると、雨粒が弾丸のように顔や腕にあたり、ものすごく痛いのだ。カッパも傘も持たない、ワイルド・シェフも遂に弱音を吐いた。すっげえ寒い。雨の中、往復4時間ちょっと行程を運転してくれたのだ。こういう真面目さがミャンマー人らしいのだが、何だか雨の日に行きたいとわがままを言ったことに申し訳なくなってしまう。

ホテルに戻ったことには身体がすっかり冷え切ってしまった。案の定、風邪を引いてしまったのは後日談。

イェからパアンへ

翌朝、行きと反対の道を辿り、モーラミャイン経由でパアンへ戻る。

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地球の歩き方にも乗っていない小さな田舎町。だが、期待していた以上におもしろい町だった。ふたつのビーチ、人々が住む漁村、夜出店で賑やうパゴダ。近くにはBanana Mountainと呼ばれる大きな僧院もあり、イェ側をボートで巡るツアーもあるようだ。

これから南部の開発が進むにつれ、ダウェイやベイへの観光客も増えていくだろう。モーラミャインからダウェイの中継点であるイェ。こののんびりした田舎町で1日過ごすのも悪くない。

ミャンマー南部・イェへの旅① アンダマン海を目指して

アンダマン海はその透き通った豊かな環境で世界に知られる。特にタイのプーケットやピピ諸島など最も観光地として知名度があるビーチリゾートだあろう。

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Visit Andaman Sea from Phuket Thailand - Gets Ready

そのアンダマン海プーケットから北上したミャンマー南部にも接している。イギリス植民地時代には彼らの避暑地ともなっていたダウェイ(Dawei)、美しい海で知られているメルギー諸島への起点となるベイ(Myeik)やコータウン(Kawthaung)。豊富な観光資源を持ちながら、リゾート開発は進んでおらず、交通網も整備されていないために手つかずのビーチが残されている。

これほど冒険心をくすぐるものはない。その美しい自然をいつか見てみたいとずっと気になっていた。

だが、陸路で移動するとなると、起点となるパアンからコータウンへ旅をするには1週間はかかってしまう。夏休みの3日間で確実に帰ってこれる旅先は、ダウェイの手前に位置するイェ(Ye)が限界そうだ。

パアンからモーラミャインへ

日が昇り始めた早朝、事務所近くのモン州都のモーラミャインへのバスに乗り込む。韓国製の中古バスに揺られ、パアンからタンリーアン川を沿うように南下していく。ピヨピヨとひよこの声が聞こえたと思えば、バス下の荷物入れからたくさんのひよこがでてくる。地元民を乗せては降ろし、時には荷物や手紙まで送り届ける。

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1時間半ほどでモーラミャインのバスターミナルに到着する。パアンからわずか1,000チャット。地元民の足だからこそ、ミャンマーのバス料金はとても安いのだろう。旅行者にとっても助かってこの上ないわけだが、運転手たちはしっかり生活できているんだろうかとか勝手な心配をしてしまう。

モーラミャインからイェへ

終点のバスターミナルでイェ行きのバスを探すが、どうやらこのバスターミナルはヤンゴンなど北部のバスが中心のようだ。バス会社のお姉さんが終えてくれたゼージョーに向かう。バイクタクシーで10分。料金は1,000チャット。パアンから1,000チャットで来たのに、なぜ1,000チャットを払って同じ道を戻ってるんだろうと何だか残念な気持ちになる。

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近くの食堂で朝ごはんを食べる。タミンジョー。MSGたっぷりの炒飯に、ミャンマーカレーを乗せて食べる朝食の定番。

ふたたびエアコンなしのローカルバスに乗り込み、8号線を通ってイェへ向かう。道路の両側にはゴムの木が整然と立ち並ぶ。時折、背の低い山々を背中に水田が広がる風景が見え、パアンからずいぶん遠くに来たような感覚になる。

途中、「死の鉄道」で知られるタンビュザヤで休憩。ひとり置いてかれては困るので運転手に出発時刻を聞くのだが、タミンサーメー(ご飯を食べるよ)と返事が来るだけ。それって何分なんだ。結局、20分もせずに出発。

こないだバガンで乗せてもらったドライバーが言っていた。欧米人は食事に2時間も3時間もかけるが、日本人や韓国人は1時間もかけないと。じゃあミャンマー人は?という問いに対して、ふたり声を重ねて15分と答えた。思わず笑ってしまった。しかし、本当に15分だったわけだ。

モーラミャインから4時間半でイェに到着。地球の歩き方に載ってもいない小さな田舎町だ。

イェの町

イェはイェ川と湖に囲まれた地域を中心に住宅が建ち並ぶ。こじんまりとしたイェの市場の裏手には、イェ川が流れ、まさに田舎らしい田舎だ。ここで外国人が泊まれる場所はふたつのみ。それもひとつは今年できたばかりだ。

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町の中には3つのパゴダがある。ミャンマーのどの町に行っても、パゴダには常に人が集まり、熱心にお祈りする人も、世間話する人も、昼寝をする人も、めいめいに時間を過ごす人たちに出会う。手を組んだ若い男女や、着飾った女の子たちを見ると、いっそう仏教やパゴダという場が人々の生活の一部として、存在しているか実感する。

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町の真ん中に位置するのがShwe San Daw Pagoda。バガンのシュエサンドーパゴダやアーナンダ寺院を模したものは多く見られるが、ここもそのひとつ。大きな寝釈迦像も。

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湖上に建つのがSasana 2500 Pagoda。なぜ2500なのか分からないのだが、仏暦2500年は西暦1957年にあたり、この年に何かゆかりがあるのだろう。夜は出店が並び、老若男女で賑わう。

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Sakar Taung Pagodaからはイェの町が一望できる。田舎町であることを忘れ、夜景を期待して見に行ったのだが、想像以上に真っ暗で写真に何も写らなかった。

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ピンレーワ―ビーチ

イェで行きたい場所がひとつあった。それがKa Byar Waビーチだ。詳しくは次編で書くとして、モン州政府が大規模なリゾート開発を考えている場所でもある。

しかし、ホテルのフロントで情報を集めていると、ピンレーワ―(Pin Leh Wa)というビーチも良いらしい。漁村の風景も見れると聞いて興味が俄然湧いてくる。さっそく行きたいことを伝えると、ホテルのマネージャーがドライバーを買って出てくれた。

のんびりとした田園地帯を進んでいく。道すがら、マネージャーが24歳という若さであり、ヤンゴン出身、イェに来たのは1ヶ月前という事実を知る。ピンレーワ―ビーチに行くのも初めてという。すっかり土地勘のある地元出身の青年と思い込んでいた僕は拍子抜けしてしまう。大して僕と変わらないじゃないか。

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30分ほどで到着したビーチは、透き通った青色という期待を裏切り、真っ茶色。いつも見ているタンリーアン川の色だ。いちゃいちゃする若いカップル以外、誰も泳ぐ人はいない。

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ビーチの裏手にあるパゴダに登ってみる。そこからの眺めは最高だった。海水が途中で綺麗な青色に変わっている。もともとの海水はきれいなのだが、川から泥が入流し、海水が濁ってしまうのだろう。

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ところで、マネージャーと僕が持っている知識はほとんど変わらない。パゴダの名前はとか、あの島の名前はとか聞いても、そばの地元民にそのまま聞くのである。だが、それが功を奏し(と言って良いのか何なのか)、辛抱強く付き合ってくれた青年が近くに綺麗な滝があるから連れてってくれるという。

海沿いに広がる漁村を進む。ここまで来ると外国人の来訪もほとんどないらしく、僕に対する目線も他の場所とずいぶん違う。大して見た目の変わらないのに。興味と警戒心が入り混じった目線はミャンマーで初めてかもしれない。

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入り口で入場料を支払う。滝を見るのになぜだろうという疑問が湧く。

そこに待っていたのは噴水とプールだった。こんなしっかりしたレジャー施設を初めて見たかもしれない。さながら東京サマーランド。思いがけない登場に動揺してしまう。

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だが、綺麗なプールでシャンプーを始めた女性たちを見て安心した。ああ、ここはミャンマーなのだと。決して東京サマーランドではないんだと。彼女らの気持ちが分かってしまうあたり、だいぶミャンマーに染まってきたと実感する。生活排水や下水が混じった川の水で洗うよりきれいだし、井戸水で洗うより潤沢に水があるし、髪の長い女性にとって、これほど髪を洗いやすい場所はないかもしれない。

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滝はプールの上流にあった。透き通って冷たい水。思ったより小さかったが、リラックス効果は十分だ。青年はこの水は飲めるよと教えてくれたが、お腹を下すことが不安で挑戦できなかった。

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しばらく涼しんだあと、イェへの帰路につく。

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だが、旅にはトラブルがつきものである。急にバイクの後輪がパンクした。ああ、行きに感じた違和感はこの前兆だったのか。青年が近くのワークショップまで連れて行ってくれ、タイヤのチューブを交換する。

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作業を待ちながら、ふと疑問が湧いてくる。この青年はなぜ1時間も2時間も付き合ってくれ、助けてくれるのだろう。腐ってしまった僕の心は、きっと別れ際にガイド料とか言ってお金を求めるのだろうと警戒する。一方で、ここはミャンマーの片田舎であって、実は彼は優しさで付き合ってくれているのかもしれないと思う気持ちもある。

信じることと疑うことの葛藤。旅では付きもののように思う。誰か知らない人について行くリスクはお金だけじゃない。むしろそれで済めば良い方なのだ。強盗や誘拐、レイプの可能性だってある。

この警戒心は旅を安全に続けるにあたって、とても重要なものに思うし、閉ざしてしまったとき、事件や事故に巻き込まれてしまうのだ。ただ、だからといって、すべての誘いを断ると旅はどんどん無機質なものになっていってしまう。

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そんなことを沸々と考えていると、パンク修理は終わった。別れ際、青年は笑顔で颯爽と去っていった。こういうときに疑っていた自分に寂しくなる。別れ際まで分からないのが難しいのだ。

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ホテルのレストランで夕食を取る。まずアスパラガスと銀杏の野菜炒めと、ナスと牛肉の煮込みをつまみに生ビールを飲む。シメはチェーオー。想像を裏切り、そこらのレストランより断然美味しい。結局、イェで食べた食事でここが一番だった。

ミャンマー・ヤンゴンとバガンを巡る旅 ④ヤンゴン編

最終日はヤンゴン観光。ダウンタウンを中心に盛りだくさんな1日に。ボータタウン・パヤーからボージョーアウンサンマーケットまで歩いてまわった。

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①ボータタウン・パヤー

ヤンゴン川沿いに経つパヤー。金ピカ・キラキラ。入場料はひとり6,000チャット。高い・・。

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外はみんなで並んで掃除中。

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近くにはボート乗り場がある。

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②旧官庁

アウンサンスーチーの父である、独立運動の英雄アウンサン将軍が暗殺された場所。修復中で中には入れないが、外観も見事。

www.tripadvisor.co.uk

③Hla Day

お洒落な雑貨屋さん。ソーシャルビジネスとして経営。

www.hladaymyanmar.org

④古本屋さん

37番ストリートには古本屋さんがいくつかある。掘り出しものが手頃な価格で手に入る。

⑤ラングーン・ティーハウス

お洒落なカフェ。ミャンマーの紅茶・ラペイエが好みでミルクや練乳の割合を選べておもしろい。朝10時頃まで朝食メニューがある。ダウンタウンの観光の一休みにおすすめ。

enjoy-yangon.com

最高裁判所

1911年建築の最高裁判所

⑦独立記念碑

マハバンドゥーラ公園の中にそびえる独立記念碑。

www.tripadvisor.com

⑧スレー・パヤー

ヤンゴンダウンタウンのど真ん中にある。金箔を買うと、船で上まで運べる。

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⑨ボージョーアウンサンマーケット

言わずと知れたミャンマー最大のマーケット。2階にある雑貨屋さんがおすすめ。

www.tripadvisor.com

ランチをトリプルナインシャンヌードルショップでシャンヌードルを食べて一旦ホテルで休憩。

ヤンゴン環状線に乗るため、ヤンゴン中央駅へ向かう。真っ白な外観で重厚感のある建物。建物の中に入り、ターミナル6・7番に向かう。チケットはプラットフォームにあるBoxで購入できる。料金は1日たった200チャット。安い。

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ほぼ時間どおりに列車がやってくる。調べたなかでは一番新しかった時刻表。

sakurakankou.com

一周は時間がなかったので、1時間ほどで下車。タクシーで再びダウンタウンに戻り、フットマッサージを受ける。

夕食はシャン料理で有名なシャン・ヨー・ヤー。初めて本格的なシャン料理を食べたが、とても美味しかった。

夕食後はライトアップされたシュエダゴンパゴダを見に行く。二度目ながら立派な姿に圧感される。

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あっという間の4日間もこれで終わり。

初めは驚きと刺激ばかりだったミャンマー生活も、1年間住んでいると日常になってしまう。旅は日常から抜けて、新しい発見と出会えるからおもしろい。