ミャンマー南部・イェへの旅 ②豪雨のカビャーワービーチ
イェではカビャーワービーチ(Ka Byar Wa)に行こうと決めていた。
もともと山梨県出身の僕は、海に馴染みがない。美しいビーチよりも、青々とした豊かな森の方に惹かれる。しかし、この写真を見たとき、不思議なグラデーションの海と、漁船の群れに妙に好奇心を寄せられたのだ。ここに行ってみたい。
Sawor Mon's Pics: Ka Byar Wa Beach (Eco Tourism Zone, Mon State)
だが、翌日は朝から雨だった。
3つの季節を持つミャンマーで、雨季は最も旅に適さない時期だろう。すっきりと晴れる日はほとんどなく、時に外出さえままならない。昨日雨に降られなかったことは幸運だったのだ。
やむなくイェの町を散歩する。田舎町特有ののんびりした空気。しとしとと降りしきる雨がなおさら心を落ち着かせる。山羊も雨宿り。
念願のカビャーワービーチ
ふと雨が止み、晴れ間が覗いてきた。これはきっと神様の思し召しに違いない。ポンチョを買って、カメラが濡れないようにタオルでくるむ。
今日のドライバーはホテルのシェフが買って出てくれた。雨季だからお客さんが少なくて暇なんだろうか。フロントのスタッフに道を確認するシェフ。何だか既視感を覚える。後々思えば、このときに感じた不安は的中したのだ。
カビャーワービーチまでは1時間ほどと聞いていた。両脇に果てしないゴムの木を抱えた田舎道をひたすら進む。そして、ぐんぐん山道を登っていく。
ふたたび雨が降り始め、徐々に雨脚が早くなる。標高が上がるにつれ低くなる気温と雨。寒さを覚える。だが、雨が降る森は静かできれいだ。霧もかかった姿も特別な感情を抱かせる。
ふと海抜ゼロメートルのビーチに行くのになぜこんなに山道を登るのだろうという疑問が湧く。そんな疑問をよそにひたすら進むシェフ。そうして、峠の上まで来ると大きな看板が見えてくる。タニンダーリ管区にようこそ。あれ・・?
そう、なんと僕らはモン州からタニンダーリ管区に続く8号線を来たのだ。カビャーワービーチにはずっと手前で左折しなければならない。って、フロントのスタッフが言っていたことを思い出した。
なんとシェフもカビャーワービーチに行くことが初めてだったのだ。イェに来たのは2ヶ月前。大して僕と変わらないじゃないか(2回目)。カッパも傘も持たないワイルド・シェフ。
結局、1時間かけて登ってきた道を30分で駆け下りる。シェフも懲りたらしく、曲がっては人に道を訪ね、曲がって人に道を尋ねる。そうして、2時間半もかけて、カビャイワーに到着したのだ。
だが、到着したころには晴れ間も消え、豪雨。どこが道なのかよく分からくなった水浸しの村の中を進み、例の景色が見られるパゴダまで登る。
だが、もはや豪雨でなんにも見えないのだ。時折見せる青い海から想像するに、乾季はずいぶんきれいなんだろうなと思う。
ちょうど引き潮のようだった。のんびりした漁村の風景が残っている。
帰り道、最も雨が強かった。激しい雨のなかでバイクを乗ると、雨粒が弾丸のように顔や腕にあたり、ものすごく痛いのだ。カッパも傘も持たない、ワイルド・シェフも遂に弱音を吐いた。すっげえ寒い。雨の中、往復4時間ちょっと行程を運転してくれたのだ。こういう真面目さがミャンマー人らしいのだが、何だか雨の日に行きたいとわがままを言ったことに申し訳なくなってしまう。
ホテルに戻ったことには身体がすっかり冷え切ってしまった。案の定、風邪を引いてしまったのは後日談。
イェからパアンへ
翌朝、行きと反対の道を辿り、モーラミャイン経由でパアンへ戻る。
地球の歩き方にも乗っていない小さな田舎町。だが、期待していた以上におもしろい町だった。ふたつのビーチ、人々が住む漁村、夜出店で賑やうパゴダ。近くにはBanana Mountainと呼ばれる大きな僧院もあり、イェ側をボートで巡るツアーもあるようだ。
これから南部の開発が進むにつれ、ダウェイやベイへの観光客も増えていくだろう。モーラミャインからダウェイの中継点であるイェ。こののんびりした田舎町で1日過ごすのも悪くない。
ミャンマー南部・イェへの旅① アンダマン海を目指して
アンダマン海はその透き通った豊かな環境で世界に知られる。特にタイのプーケットやピピ諸島など最も観光地として知名度があるビーチリゾートだあろう。
Visit Andaman Sea from Phuket Thailand - Gets Ready
そのアンダマン海はプーケットから北上したミャンマー南部にも接している。イギリス植民地時代には彼らの避暑地ともなっていたダウェイ(Dawei)、美しい海で知られているメルギー諸島への起点となるベイ(Myeik)やコータウン(Kawthaung)。豊富な観光資源を持ちながら、リゾート開発は進んでおらず、交通網も整備されていないために手つかずのビーチが残されている。
これほど冒険心をくすぐるものはない。その美しい自然をいつか見てみたいとずっと気になっていた。
だが、陸路で移動するとなると、起点となるパアンからコータウンへ旅をするには1週間はかかってしまう。夏休みの3日間で確実に帰ってこれる旅先は、ダウェイの手前に位置するイェ(Ye)が限界そうだ。
パアンからモーラミャインへ
日が昇り始めた早朝、事務所近くのモン州都のモーラミャインへのバスに乗り込む。韓国製の中古バスに揺られ、パアンからタンリーアン川を沿うように南下していく。ピヨピヨとひよこの声が聞こえたと思えば、バス下の荷物入れからたくさんのひよこがでてくる。地元民を乗せては降ろし、時には荷物や手紙まで送り届ける。
1時間半ほどでモーラミャインのバスターミナルに到着する。パアンからわずか1,000チャット。地元民の足だからこそ、ミャンマーのバス料金はとても安いのだろう。旅行者にとっても助かってこの上ないわけだが、運転手たちはしっかり生活できているんだろうかとか勝手な心配をしてしまう。
モーラミャインからイェへ
終点のバスターミナルでイェ行きのバスを探すが、どうやらこのバスターミナルはヤンゴンなど北部のバスが中心のようだ。バス会社のお姉さんが終えてくれたゼージョーに向かう。バイクタクシーで10分。料金は1,000チャット。パアンから1,000チャットで来たのに、なぜ1,000チャットを払って同じ道を戻ってるんだろうと何だか残念な気持ちになる。
近くの食堂で朝ごはんを食べる。タミンジョー。MSGたっぷりの炒飯に、ミャンマーカレーを乗せて食べる朝食の定番。
ふたたびエアコンなしのローカルバスに乗り込み、8号線を通ってイェへ向かう。道路の両側にはゴムの木が整然と立ち並ぶ。時折、背の低い山々を背中に水田が広がる風景が見え、パアンからずいぶん遠くに来たような感覚になる。
途中、「死の鉄道」で知られるタンビュザヤで休憩。ひとり置いてかれては困るので運転手に出発時刻を聞くのだが、タミンサーメー(ご飯を食べるよ)と返事が来るだけ。それって何分なんだ。結局、20分もせずに出発。
こないだバガンで乗せてもらったドライバーが言っていた。欧米人は食事に2時間も3時間もかけるが、日本人や韓国人は1時間もかけないと。じゃあミャンマー人は?という問いに対して、ふたり声を重ねて15分と答えた。思わず笑ってしまった。しかし、本当に15分だったわけだ。
モーラミャインから4時間半でイェに到着。地球の歩き方に載ってもいない小さな田舎町だ。
イェの町
イェはイェ川と湖に囲まれた地域を中心に住宅が建ち並ぶ。こじんまりとしたイェの市場の裏手には、イェ川が流れ、まさに田舎らしい田舎だ。ここで外国人が泊まれる場所はふたつのみ。それもひとつは今年できたばかりだ。
町の中には3つのパゴダがある。ミャンマーのどの町に行っても、パゴダには常に人が集まり、熱心にお祈りする人も、世間話する人も、昼寝をする人も、めいめいに時間を過ごす人たちに出会う。手を組んだ若い男女や、着飾った女の子たちを見ると、いっそう仏教やパゴダという場が人々の生活の一部として、存在しているか実感する。
町の真ん中に位置するのがShwe San Daw Pagoda。バガンのシュエサンドーパゴダやアーナンダ寺院を模したものは多く見られるが、ここもそのひとつ。大きな寝釈迦像も。
湖上に建つのがSasana 2500 Pagoda。なぜ2500なのか分からないのだが、仏暦2500年は西暦1957年にあたり、この年に何かゆかりがあるのだろう。夜は出店が並び、老若男女で賑わう。
Sakar Taung Pagodaからはイェの町が一望できる。田舎町であることを忘れ、夜景を期待して見に行ったのだが、想像以上に真っ暗で写真に何も写らなかった。
ピンレーワ―ビーチ
イェで行きたい場所がひとつあった。それがKa Byar Waビーチだ。詳しくは次編で書くとして、モン州政府が大規模なリゾート開発を考えている場所でもある。
しかし、ホテルのフロントで情報を集めていると、ピンレーワ―(Pin Leh Wa)というビーチも良いらしい。漁村の風景も見れると聞いて興味が俄然湧いてくる。さっそく行きたいことを伝えると、ホテルのマネージャーがドライバーを買って出てくれた。
のんびりとした田園地帯を進んでいく。道すがら、マネージャーが24歳という若さであり、ヤンゴン出身、イェに来たのは1ヶ月前という事実を知る。ピンレーワ―ビーチに行くのも初めてという。すっかり土地勘のある地元出身の青年と思い込んでいた僕は拍子抜けしてしまう。大して僕と変わらないじゃないか。
30分ほどで到着したビーチは、透き通った青色という期待を裏切り、真っ茶色。いつも見ているタンリーアン川の色だ。いちゃいちゃする若いカップル以外、誰も泳ぐ人はいない。
ビーチの裏手にあるパゴダに登ってみる。そこからの眺めは最高だった。海水が途中で綺麗な青色に変わっている。もともとの海水はきれいなのだが、川から泥が入流し、海水が濁ってしまうのだろう。
ところで、マネージャーと僕が持っている知識はほとんど変わらない。パゴダの名前はとか、あの島の名前はとか聞いても、そばの地元民にそのまま聞くのである。だが、それが功を奏し(と言って良いのか何なのか)、辛抱強く付き合ってくれた青年が近くに綺麗な滝があるから連れてってくれるという。
海沿いに広がる漁村を進む。ここまで来ると外国人の来訪もほとんどないらしく、僕に対する目線も他の場所とずいぶん違う。大して見た目の変わらないのに。興味と警戒心が入り混じった目線はミャンマーで初めてかもしれない。
入り口で入場料を支払う。滝を見るのになぜだろうという疑問が湧く。
そこに待っていたのは噴水とプールだった。こんなしっかりしたレジャー施設を初めて見たかもしれない。さながら東京サマーランド。思いがけない登場に動揺してしまう。
だが、綺麗なプールでシャンプーを始めた女性たちを見て安心した。ああ、ここはミャンマーなのだと。決して東京サマーランドではないんだと。彼女らの気持ちが分かってしまうあたり、だいぶミャンマーに染まってきたと実感する。生活排水や下水が混じった川の水で洗うよりきれいだし、井戸水で洗うより潤沢に水があるし、髪の長い女性にとって、これほど髪を洗いやすい場所はないかもしれない。
滝はプールの上流にあった。透き通って冷たい水。思ったより小さかったが、リラックス効果は十分だ。青年はこの水は飲めるよと教えてくれたが、お腹を下すことが不安で挑戦できなかった。
しばらく涼しんだあと、イェへの帰路につく。
だが、旅にはトラブルがつきものである。急にバイクの後輪がパンクした。ああ、行きに感じた違和感はこの前兆だったのか。青年が近くのワークショップまで連れて行ってくれ、タイヤのチューブを交換する。
作業を待ちながら、ふと疑問が湧いてくる。この青年はなぜ1時間も2時間も付き合ってくれ、助けてくれるのだろう。腐ってしまった僕の心は、きっと別れ際にガイド料とか言ってお金を求めるのだろうと警戒する。一方で、ここはミャンマーの片田舎であって、実は彼は優しさで付き合ってくれているのかもしれないと思う気持ちもある。
信じることと疑うことの葛藤。旅では付きもののように思う。誰か知らない人について行くリスクはお金だけじゃない。むしろそれで済めば良い方なのだ。強盗や誘拐、レイプの可能性だってある。
この警戒心は旅を安全に続けるにあたって、とても重要なものに思うし、閉ざしてしまったとき、事件や事故に巻き込まれてしまうのだ。ただ、だからといって、すべての誘いを断ると旅はどんどん無機質なものになっていってしまう。
そんなことを沸々と考えていると、パンク修理は終わった。別れ際、青年は笑顔で颯爽と去っていった。こういうときに疑っていた自分に寂しくなる。別れ際まで分からないのが難しいのだ。
ホテルのレストランで夕食を取る。まずアスパラガスと銀杏の野菜炒めと、ナスと牛肉の煮込みをつまみに生ビールを飲む。シメはチェーオー。想像を裏切り、そこらのレストランより断然美味しい。結局、イェで食べた食事でここが一番だった。
ミャンマー・ヤンゴンとバガンを巡る旅 ④ヤンゴン編
最終日はヤンゴン観光。ダウンタウンを中心に盛りだくさんな1日に。ボータタウン・パヤーからボージョーアウンサンマーケットまで歩いてまわった。
①ボータタウン・パヤー
ヤンゴン川沿いに経つパヤー。金ピカ・キラキラ。入場料はひとり6,000チャット。高い・・。
外はみんなで並んで掃除中。
近くにはボート乗り場がある。
②旧官庁
アウンサンスーチーの父である、独立運動の英雄アウンサン将軍が暗殺された場所。修復中で中には入れないが、外観も見事。
③Hla Day
お洒落な雑貨屋さん。ソーシャルビジネスとして経営。
④古本屋さん
37番ストリートには古本屋さんがいくつかある。掘り出しものが手頃な価格で手に入る。
⑤ラングーン・ティーハウス
お洒落なカフェ。ミャンマーの紅茶・ラペイエが好みでミルクや練乳の割合を選べておもしろい。朝10時頃まで朝食メニューがある。ダウンタウンの観光の一休みにおすすめ。
⑥最高裁判所
1911年建築の最高裁判所。
⑦独立記念碑
マハバンドゥーラ公園の中にそびえる独立記念碑。
⑧スレー・パヤー
ヤンゴンのダウンタウンのど真ん中にある。金箔を買うと、船で上まで運べる。
⑨ボージョーアウンサンマーケット
言わずと知れたミャンマー最大のマーケット。2階にある雑貨屋さんがおすすめ。
ランチをトリプルナインシャンヌードルショップでシャンヌードルを食べて一旦ホテルで休憩。
ヤンゴン環状線に乗るため、ヤンゴン中央駅へ向かう。真っ白な外観で重厚感のある建物。建物の中に入り、ターミナル6・7番に向かう。チケットはプラットフォームにあるBoxで購入できる。料金は1日たった200チャット。安い。
ほぼ時間どおりに列車がやってくる。調べたなかでは一番新しかった時刻表。
一周は時間がなかったので、1時間ほどで下車。タクシーで再びダウンタウンに戻り、フットマッサージを受ける。
夕食はシャン料理で有名なシャン・ヨー・ヤー。初めて本格的なシャン料理を食べたが、とても美味しかった。
夕食後はライトアップされたシュエダゴンパゴダを見に行く。二度目ながら立派な姿に圧感される。
あっという間の4日間もこれで終わり。
初めは驚きと刺激ばかりだったミャンマー生活も、1年間住んでいると日常になってしまう。旅は日常から抜けて、新しい発見と出会えるからおもしろい。
ミャンマー・ヤンゴンとバガンを巡る旅 ③ポッパ山とバガンからのヤンゴンへ編
バガン2日目。午前中はポッパ山へ行き、午後はバガンを観光。夕方の便でヤンゴンへ向かった。
一昨日、空港から乗せてもらったタクシーに1日お願いする。料金はポッパ山観光で35,000チャット、半日バガン観光で20,000チャットだった。車も綺麗で、話しやすい運ちゃん。ちなみに1日バガン観光の場合は35,000チャットとのこと。
ポッパ山/タウン・カラッ
ホテルをチェックアウトして、さっそくポッパ山へ向かう。途中で誰もが連れて行かれるというパームシュガー工房に寄る。
1時間30分ほどで到着。天気がいまいちだが、ぽんと飛び出すタウン・カラッは不思議。
さっそくタウン・カラッを登っていく。ナッ神の仏像が並ぶ。寄付は手に握らせていくのがおもしろい。
タクシーの運ちゃんは、猿は優しいよとか言っていただけど、食べものをもらえないかずっと狙ってくる。猿用の餌をちゅーちゅー吸いながら、自分も吸われているお母さん猿。
猿用の餌を配りまくっているお坊さんと連れ。お洒落した女の子を連れていて写真なんか取っちゃっていたけど、あれは何なのだろう?
頂上には仏塔がある。景色はなかなか綺麗。
猿にお菓子を取られて泣いちゃった男の子。
帰り道、ミャンマー人の若いふたりに写真を撮って欲しいと声をかけられる。まさかの額にキス・・。ついでに自分のカメラでも撮らせてもらった・・笑
ポッパ山には雲がかかってしまっていたが、立派な姿。右端にタウン・カラッが見える。
再びオールドバガン観光
昼食を食べた後は、昨日行かなかったパヤーに連れて行ってもらう。しかし、雨季なのに、昼下がりの暑さが半端ない。徐々にバテてくるし、もはやパヤーも同じに見えてくる・・。訪れたところを簡単に紹介。
①ミーオンチャンターパヤー
大きな3つの白色の仏塔が並ぶ。
②仏塔の集合体
名前は忘れてしまったけど、10以上もの仏塔が集合する。傾いている仏塔もあった。裏手にはハタオリドリが作った巣がたくさんあった。
③400年前の僧院
400年前に作られた木造の僧院。彫刻が美しく、さらに色合いも良かった。
④マハー・ボディー・パヤー
他のパヤーでは仏像を描くことが多いが、ここでは仏像を彫刻している。
④ゴドーパリィン寺院
真っ白い外壁のパヤー。
⑤ローカナンダ―・パヤー
エーヤワディー川岸にあるパヤー。仏塔の写真を撮り忘れてしまった。
若いお坊さんがいて、英語が喋れたので雑談。もともとシャン州出身だが、4歳の頃に紛争でタイのチェンマイに逃げた。それ以来、初めてミャンマー語を勉強するために戻ってきた。今日は年に1回、僧院を出て自由に過ごせる日らしく、このパヤーに来たようだ。
仏像の前にはたくさんの寄付。ちょうど真っ昼間だったので、もう地面が暑くて暑くてもう歩けない。
⑥ダマヤッズィカ・パヤー(上部が金ピカ)
シュエズィーゴォン・パヤーの構造に似ているのだが、このパヤーは上部だけが金ピカだ。
⑦ミン・ナントゥ村(村見学)
最後にミン・ナントゥ村を訪問した。ドライゾーンの建物や生活が垣間見れる。機織りや銀細工のお店に連れて行かれるが、特に買わなくても文句は言われない。ガイドには気持ちでチップを。
そのまま、ニャウンウー空港へ向かい、ヤンゴンへ。
行きも帰りも、バガンを上部から見られる側じゃない方に座ってしまった・・。大反省。
18時にヤンゴンへ到着し、パラミ通りのラカイン料理が食べられるミンランで食事。
食事後、ホテルにチェックイン。宿泊先はチャトリウム ホテル ロイヤルレイク ヤンゴン(Chatrium Hotel Royal Lake Yangon)。ミャンマーとは思えないほど快適!
ヤンゴン編に続く・・。
ミャンマー・ヤンゴンとバガンを巡る旅 ②バガン編
バガン2日目は、日の出を見るために朝4:30に起床した。日の出時刻は5:45。
ホテルで自転車を借りて、日の出で有名なシュエサンドー・パヤーへ向かう。宿泊先のバガン・ティリピセヤ・サンクチュアリ・リゾートからは平坦な道を進み、15分ほどで着く。
まだ朝5時ちょっと過ぎなのにすでに多くの人が日の出を待っている。最上階は諦めて、ひとつ下の段でゆっくりと拝むことに。
少しずつ明けてくる朝とシルエットに浮かぶたくさんのパヤー。薄暗く青みがかかった空が一番美しい。しかし、いまは雨季。残念ながら雲がかかってしまい、日の出を拝むことはできなかった。
ホテルに戻って朝食。エーヤワディー川を眺めながら、涼しい風が吹く中での朝食は最高だった。
そして、いよいよパヤー巡りへ。旅行代理店に手配してもらった専用車で、日本語ガイドのテイさんと回った。バガンには日本語ガイドは7人(たしか)いるらしく、彼はヤンゴンで1年間日本語を勉強したのち、3年前からガイドを始めたらしい。日本語はいまいちだが、人懐っこい性格で良いガイドさんだった。
この日は1日で11個のパヤー・寺院と、ニャウンウーのマーケット、漆塗り工房に行くという盛りだくさんだった。ひとつひとつガイドの話を含めながら紹介したいところだけど、なんせ数が多いので簡単に紹介。
①ブレディ・パヤー
朝日で有名なブレディ・パヤー。残念ながら工事中で登れず、向かいの仏塔に登った。修復の資材はロープで手作業。こりゃ時間がかかる。
②ニャウンウー・マーケット
ニャウンウーにある市場。観光客目当てのお店や売り子がいてちょっと面倒くさい。でもローカルな雰囲気を見られた(と言っても普段こんな感じのマーケットで食料を買っているんだけども)。
③シュエズィーゴォン・パヤー
ニャウンウーにある金ピカパヤー。残念ながら上部は修復中で見られず。でも1枚500チャット払って金箔を貼れた。
④ティーローミンロー寺院
重厚感のある立派な外観。壁画もレリーフもおもしろい。
⑤タラバー門
昔の王宮を囲んでいた門。いまではわずかな城壁とこの門しか残っていないらしい。門にはナッ神を祀った仏像がある。バガンの人たちは新しく車を買った際はここに来て、交通安全を祈願するらしい。
⑥アーナンダ寺院
最もバガンで美しいと言われる寺院。薄くピンク色がかった白色の姿は美しく、見とれてしまう。中には大きな仏像が4つあり、昔ふたつは火事で失われ、新しく作り直されている。古い仏像は離れてみると微笑んでいるように見える。
⑦漆塗り工房
途中でガイドにつれてこられた漆塗りの工房。職人さんというと熟年の人を思い浮かべるが、若い職人ばかりだった。100年歴史があると言うけど、実際のところどうなんだろう?
⑧マヌーハ寺院
ビルマ人に戦いに敗れ捕らえられたモン人王様が作った。その怒りを込めて、仏像の表情は険しく、仏像は窮屈な場所に安置されている。
⑨ナンパヤー寺院
阿修羅像の彫刻が描かれている。いかに仏教がインドからもたらされ、ミャンマーがインドから影響を受けてきたかよく分かる。
⑩タビュニュ寺院
バガンで最も高い寺院。タイヤでできたゴミ箱がいたるところにあるんだが、どうもバガンの雰囲気とあっていない。
⑪ダマヤンヂー寺院
父親と兄を殺して王になったナラトゥー王が、自分の行いを悔いて建てた。どすんと構えた建築は迫力がある。建築途中で彼は亡くなったが、誰も引き継いてくれず、未完成のままである。中にはふたつの仏像が鎮座しているが、ひとつは現世のもの、もうひとつは来世のものである。王は現世だけで悔いるのでは不十分として、来世での平安を祈ったらしい。
⑫ブー・パヤー
ブーはひょうたんのことで、その形をしたパヤー。可愛らしい格好。エーヤワディー川沿いにあり、夕暮れ時の美しい景色が広がっていた。
⑬シュエグージー寺院
夕日を見るために来た。登れる。残念ながら、雲が多く、綺麗な夕日は見られなかった。
途中、もうどの寺院を見ているのかよく分からなくなってきてしまった。2,000あると言われるパヤー。その壮大さと歴史の深さを感じた1日だった。
夕食はサラバ―レストランで、ミャンマー風の中華料理を食べる。食べやすい味で美味しかった。
③ ポッパ山とバガンからのヤンゴンへ編に続く・・。