貸したTシャツ
月曜日は気持の良い晴天だった。
この日、僕はヤンゴンで先週の金曜日に亡くなったスタッフのお葬式に参列した。キリスト教徒だった彼の葬儀は、ヤンゴンの町はずれにある教会で行われた。
すぐ隣には仏教徒の火葬場、中国人の墓、ヒンドゥー教徒の寺院が並ぶ。公営葬儀場兼墓地だ。ヤンゴンではしばらく前からご遺体を家に置くことは許されず、こうした場所で葬儀まで保管する。
キリスト教徒のお墓が所狭しと並ぶものの、いくつも壊されたお墓がある。キリスト教徒であっても、死後10年経つと、お墓を壊し、骨をだけを集め、別の場所に移動するという。ヤンゴンの土地不足はこんなところにも影響している。
その前日、僕らはご遺族のもとへ訪問した。それまで何となく実感のなかった現実が、彼の家族と会ったとき、それが本当であったことを痛感した。その重苦しい雰囲気に、団体の代表しての立場もあるにも関わらず、僕はほとんど言葉を言えず、寄り添いたくともちょうどいい距離感が見つからず、何とも虫の居所が悪い感覚を覚えた。
今日から2週間前の今ごろ、彼は元気だった。67歳という年齢を感じさせず、言葉通りピンピンしていた。だからこそ、その喪失は家族にとって計り知れないものに違いない。
そうした思いを真正面から感じた僕は余計に言葉が言えなくなってしまった。
しかし、不思議な事である。そういう事実を認めたとしても、お腹が減るし、笑うこともできる。人は上手く気持ちを受け止め、咀嚼し、緩やかに忘れていくのだろう。だからこそ、僕たち人間はたくさんの感情とぶつかりながら、それでも生きていけるのだろう。
お葬式で無事に彼を送り出せたとき、そんなふうに思った。
激しい感情を上手く付き合うため、人はいろんな方法を編み出してきた。お葬式もそのひとつなんだろう。
今日は事務所へ家族がやってきた。
彼の残した荷物を渡し、改めてお礼を伝え、お悔やみの言葉を送った。僕らができることは少ないのだけど、彼の仕事を責任持ってやりとげようと、いまは少しだけ彼の死を前向きに捉えられている。
彼の奥さんから黒い袋を受け取った。彼が最後の勤務日に事務所で体調を崩した際に、貸したロンジーが、綺麗にアイロンがなされて、その中に入っていた。
どこまで律儀な人だったんだと、改めて彼を思い浮かべた。
あのとき、一緒に貸したTシャツは返ってこなかったけど、きっと天国で着てくれていると思っておこう。