7days

久しぶりに風邪をひいた

久しぶりに風邪をひいた。

ネピドーへ往復16時間の車移動をした翌々日、ヤンゴンへ夜行バスで往復する出張はやはり無謀すぎた。ネピドーが思いのほか涼しかったにも関わらず、Tシャツ以外持ってくることを忘れ、激寒なバス環境により撃沈した。

海外での一人暮らしで体調を崩すと、この世に自分だけしかおらず、このまま誰にも気が付かれず、消えていくんじゃないかというくらいに孤独感に苛まれる。油っこいミャンマー料理なんて食べたくないし、信頼できる病院はないし、体に良くないと分かりつつクーラーないと汗だくで熱中症になりそうだし。

 先日の一時帰国で受けた健康診断で、全項目Aという素晴らしい結果に油断していたからかもしれない。ともかく体調不良もあって、妙な孤独感と落ち込みに襲われた。

 

Googleの検索履歴には「海外駐在 田舎 孤独」とか「海外駐在 ストレス」とか「海外駐在 彼女」とか。もうこれらの履歴を見るだけでも、かなり彷徨っている感が否めない。 

そんなふうにいろいろな記事を読んでいたら、たまたま海外の田舎でNGOの駐在員をしている方のブログを見つけた。

kenyamatecchan.hatenablog.com

そっかー。世界には同じように悩んでいる人もいるんだな。

kenyamatecchan.hatenablog.com

 

やっぱりね、海外の片田舎で働いていると、日本にいるときと違って、いろんな情報はネットで手に入れられても、手触り感がないというか、どこかはるか遠くで起こっているような感覚になるのです。そこにずっといると、世界から取り残されるような感じ。

それは単なる孤独というよりは、手応えのない自分自身や将来に対する、焦りや幻滅や捉えどころのない不安みたいなもの。

そういった感情の解決方法は人とコミュニケーションが一番とよく聞くけども、 何となく気を紛らわせても、またひとり夜になると同じような感情に戻る。ということは、根本的にその感情は解決できていないのだし、そもそも”なくなる”ものでもないのだろう。

もともと僕は孤独に強いと思っていた。でも、日本にいると注意をひきつけてくれるものがたくさんあって、たくさんいて、そういった感情と向き合わないで済むからなのかもしれない。紛らわす道具がない田舎暮らしでは逃げ場がない。

そうならば、その感情をどーんと受け入れて、「僕は孤独なのだ」と認めてしまうほうがよっぽど楽になるのかもしれない。

 

そう言えば、先日日本の友人たちと話しているときに、彼ら彼女らもみんな孤独で不安なのだなと思った。みんな孤独を埋めるために、出会いを求めたり、誰かに話そうとしたり、旅に出てみたり。でも本人はそれに気がついていない。

自分自身が孤独であることを認識し、孤独を忘れるためではなく、孤独であることを前提に考えられたほうが良い方向にいくのかもしれない。

 

そうして、僕は気がついた。彼女が本気で欲しいことを。

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マネジメントマネジメントマネジメント

ここ2ヶ月くらい、元気だしては落ち込んでの繰り返し。

だいぶ気持ちが滅入ったこで、仕事も億劫になり、生活やら人間関係やらもこじれてきた。お盆休みにバンコクでリフレッシュできたのも束の間、もう翌日にはそんな気持ちも吹き飛んだ。

もともと落ち込みやすく、起こったことをずるずると引きずる性格ではあるのだが、精神的な体力は人一倍ある方だ。いまの落ち込みも明日の朝になれば、半分くらいに消化できてしまう。ただ、ここ最近はその消化が間に合わないほどに毎日毎日問題が起こるのだ。

僕がこの状態であるならば、事務所のスタッフは余計に落ち込んでいるのではないかと思う。ましてや、これらの問題が事業そのものではなく、スタッフマネジメントというストレスが強い類のものであれば、そのしんどさはよく理解できる。

そうして信頼するスタッフが去っていくのはもうしんどくて仕方がないのだ。

 

何か問題が発生したとき、これまで僕は僕自身を変えることで対応してきた。例えば、コミュニケーションのズレがあるのであれば、自分自身のある方を自省し、より良い自分になろうとしてきた。他の人を言い訳にできないことはしんどいが、そうであるから、自分自身と向き合ってこれたと思うのだ。

でも、どうやら形だけでも事務所の責任者になって、そのあり方だけではどうやらダメなのかもしれないと思い始めてきた。

僕のあり方は一人ひとりが強く自省し、物事と自分ごととして向き合い、自分自身を変えていかねばならない。そうであるから、人を変えようとしたり、人が変わることを期待してはいけない。

 

ただ、もしマネジャーにいる立場の人間が、むしろ真反対の考え方を持ち、自分自身のマネジメント能力ではなく、スタッフに物事の理由を押し付けているとすれば、何が起こるだろうか。

そう考えてみると、僕はもっとスタッフ一人ひとりの成長に介入し、援助し、特に厳しく伝える必要があるのかもしれない。特にミャンマー人の多くがプライドが高く、転職率も高いならば、むしろ僕のあり方は極めて日本人的で、ミャンマー文化の中での問題解決には適していないのかもしれない。

ストレスで禿げそうだけど、やるべきことはもっとスタッフと話し、責任者として言うべきことは言うべきなのだろう。

マネジメントの経験が長い人にとって、こうした問題は大した出来事でもないのかもしれない。でも色んな物事が初めての自分ができることは、自分のあり方を変えながら、思う手段をひとつひとつ試していくしかない。

 

相変わらず、僕は人と働くことが下手くそだ。一人で働きたいとつくづく思う。それでもみんながうまく噛み合わさり、大きな目標に向かって動けたときに見られる景色は全然違うということを知っているから、そう簡単に割り切れないのだ。

よくよく考えると、そんな成功経験は数えてみれば片手で十分足りるし、つくづく僕はマネジメントやらリーダーシップという役割をこなせていない。

自分の団体やマネジャーから期待されているなんて感じたことはない。でも僕自身では自分のこともスタッフも事業も期待しているんだ。だから余計に凹むぜ。

自分のできる範囲で

気が付けば前回の更新からもう4ヶ月も過ぎてしまった。いくら海外にいると言えども、もう2年同じ場所で働いていると非日常が日常になり、変化のない日々のように感じてくる。

実際には色んな出来事が重なり、慌ただしい日々だった。だが、それも日常の一部となり、改めて文字に起こそうという気持ちを削るのだ。

 

ここ数ヶ月で一番大きい出来事と言えば、事業責任者になったことである。今ままでのびのび仕事をしていた状況から一転し、事業責任者として色んな物事を引き受けなくてはならなくなった。いくら15人程度の小さな事務所と言えども、人が15人いれば、毎日のように様々な人間関係や事業上の課題に直面する。

マネジャーとしての仕事が初めての中で、判断に迷うことも、判断に後悔することも、自分の力不足を痛感することも、もう数えきれないほどにある。フィールドで働きたくてこの仕事に就いたのだが、どんどんフィールドから離れざるを得ない状況にフラストレーションも感じる。

一方で、この役割に就いたのであれば、現状をどうにか良くせねばという気持ちが生まれてくる。もともと転職のハードルが日本に比べてとても低いミャンマーであることを鑑みても、僕の事務所での現地スタッフの入れ替わりは激しいように思う。

この状況をどうにか改善し、事業を軌道に乗せねば、ここで何かを達成したという経験には至らないだろう。

 

正直なところ、自分自身の就業条件にも疑問を感じることがある。

”事業責任者”になったにもかかわらず、団体内での立場は変わらないために、決裁権限も給与額も何も変わらない。ただ、責任のみが増えただけで昇進ではないのだ。そもそもこの変更だって、事前に話があったわけではなく、いつの間にかである。

一方で、自分自身への人事評価もなく、団体からの研修もない。言ってみれば、「放置」である。別に職場に対して過度な期待を抱いていないが、自分の働きが、良いか悪いかは別にして、どのように評価され、それがインセンティブにどう結びついているか実感が持てないのだ。

 

ただ、そうした不満を、僕の事務所の現地スタッフも同じように感じているのではないかと思うのだ。ならば、少なくとも僕が変えうる範囲の中で、良い職場を作ってから次のことを考えても良いのではないかと。

そうしよう、今年いっぱいまで頑張ってみよう。

あと4ヶ月でできる限りの工夫をして、少しでも良い環境をつくって、納得できるまでやってみよう。きっとそこまでやれたならば、次の選択も胸を張ってできるのではないかなと思う。

貸したTシャツ

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月曜日は気持の良い晴天だった。

この日、僕はヤンゴン先週の金曜日に亡くなったスタッフのお葬式に参列した。キリスト教徒だった彼の葬儀は、ヤンゴンの町はずれにある教会で行われた。

すぐ隣には仏教徒の火葬場、中国人の墓、ヒンドゥー教徒の寺院が並ぶ。公営葬儀場兼墓地だ。ヤンゴンではしばらく前からご遺体を家に置くことは許されず、こうした場所で葬儀まで保管する。

キリスト教徒のお墓が所狭しと並ぶものの、いくつも壊されたお墓がある。キリスト教徒であっても、死後10年経つと、お墓を壊し、骨をだけを集め、別の場所に移動するという。ヤンゴンの土地不足はこんなところにも影響している。

 

その前日、僕らはご遺族のもとへ訪問した。それまで何となく実感のなかった現実が、彼の家族と会ったとき、それが本当であったことを痛感した。その重苦しい雰囲気に、団体の代表しての立場もあるにも関わらず、僕はほとんど言葉を言えず、寄り添いたくともちょうどいい距離感が見つからず、何とも虫の居所が悪い感覚を覚えた。

今日から2週間前の今ごろ、彼は元気だった。67歳という年齢を感じさせず、言葉通りピンピンしていた。だからこそ、その喪失は家族にとって計り知れないものに違いない。

そうした思いを真正面から感じた僕は余計に言葉が言えなくなってしまった。

 

しかし、不思議な事である。そういう事実を認めたとしても、お腹が減るし、笑うこともできる。人は上手く気持ちを受け止め、咀嚼し、緩やかに忘れていくのだろう。だからこそ、僕たち人間はたくさんの感情とぶつかりながら、それでも生きていけるのだろう。

お葬式で無事に彼を送り出せたとき、そんなふうに思った。

激しい感情を上手く付き合うため、人はいろんな方法を編み出してきた。お葬式もそのひとつなんだろう。

 

今日は事務所へ家族がやってきた。

彼の残した荷物を渡し、改めてお礼を伝え、お悔やみの言葉を送った。僕らができることは少ないのだけど、彼の仕事を責任持ってやりとげようと、いまは少しだけ彼の死を前向きに捉えられている。

 

彼の奥さんから黒い袋を受け取った。彼が最後の勤務日に事務所で体調を崩した際に、貸したロンジーが、綺麗にアイロンがなされて、その中に入っていた。

どこまで律儀な人だったんだと、改めて彼を思い浮かべた。

あのとき、一緒に貸したTシャツは返ってこなかったけど、きっと天国で着てくれていると思っておこう。

とらえどころのない感情

今朝、事務所のスタッフが亡くなった。享年67歳だった。

彼は僕らのお父さんみたいな存在で、いつもスタッフには平等に接し、時には厳しく、でも辛抱強い正確で事務所や事業を支えてくれていた。

先々週から体調を崩し入院していたが、水祭りが明ければ無事に復帰できそうだと話していた。なのに急な訃報が届いたときはあまりのショックに言葉が出なかった。

いまも彼や彼の家族のことを考えると、この気持ちをどう受け取ったら良いか分からない。いまだに戻ってくるんじゃないかという感覚もあるし、亡くなったことが信じることができない。

人はなぜこんなにもすぐ逝ってしまうのだろう。

 

大学時代からこの仕事に関わりはじめて、これまで3人の方を亡くした。

ひとりはインターン時代に一番お世話になった先輩でいつか一緒に働きたいと思っていた人だ。インターン後、久しぶりに事務所に遊びに行こうとした前日、急に亡くなってしまった。もうひとりは学生時代にお世話になった人で、トルコの地震緊急支援中に余震で被災し亡くなった。そして、前職時代に親身に厳しく接してくれた大先輩である。

ひとりひとりを思い出すと、何ともとらえどころのない感情が湧いてくる。

悲しみだけではない。彼らに対する尊敬の念、感謝、申し訳なさ、後悔。そうしたものがまぜこぜになって一気に溢れ出てくる。

もう一度会いたい、感謝の念を伝えたい、ごめんなさいと謝りたい、あの時にもっとこうしておけばよかった。

こうした感情と生きていくことが人生なのだろうか。

 

明後日、彼のお葬式に参列する。

彼の家族に何と言えば良いだろう、このとらえどころのないの気持ちをどう受けいればいいだろう。

こんなことはブログで書くべきではないのかもしれないけれど、いまの気持ちを残したくて書いている。